第3話 ε10月1日

大見八重が目を開ければ、そこは野戦病院ではなく、何時か見覚えのある通学路だった。

戦場にいた頃より幾分か長い前髪の隙間から見える晴れた秋空の下を学生服を着た少年少女が友人たちと談笑を楽しみながら学校へと向かっている。

ここが死後の世界だと言うなら、成る程俺は地獄に堕ちたらしい。

雲一つない青空が覆う空と、心地よい風が吹く中野駅前を忘れる筈も無い。

自分の身体を確認すれば、服装は学生服。

もし神様なんてモノが存在するなら、余程皮肉が好きらしい。

自分の物の様に動く手足に……

何故か左の目が見えないが、まぁ良いだろう。

駅の時計を確認していると、見覚えのある少女が素知らぬ顔で改札を抜けた。

あぁ……そうだ、覚えている。

何がこれから起こるのかが分かる。

まぁいいさ、神様っていう奴が地獄を味合わせたいならその余興に乗ってやろう?

少女の後ろを付いて行けば、すぐにその姿を見つける事が出来た。

そしてその後ろに付いて行く怪しい男の影も確認した。

もうすぐに、あの時間が来る。

先回りするか?

……いや、犯行現場が同じとは限らない。

しかし、現行犯で捕まえる事が出来なければ、その場の対処になってしまう。

それにこの身体何故か自衛隊の頃より、体力の低下が著しい。

この頃の自分を完全再現している辺り、本当に神様っていうのは、趣味が悪い、

仕方なく、結局少女の後ろに居る男にソッと付いて行く事にして、何食わぬ顔で男の後ろを歩いていると、少女は何度か手鏡で後ろを警戒しているのが分かった。

正直それは逆効果と言わざるを得ないだろう。

警戒している事を相手に知らしめる行為は、相手の逆上を買う事がある。

だが、だからこそ俺は安心した。

あの日と全く同じ。

全く同じなら、タイミングまで一緒という事だ。

攻撃する位置と角度とタイミングが分かっていれば、往なす事は容易である。

一歩、男は少女が犯行圏内に入るのを見計らう。

二歩、男は包丁をバックから取り出した。

三歩、表情は深く被ったフードで見えないが、多分笑っている。

四歩、まだだ、まだ引きつけろ。

五歩、男が凶器を剥き出しにするタイミングを狙え。

六歩、もっとだ……もっと出せ。

七歩、構える瞬間を見逃すな。

八歩、刃物が太陽光を反射した。

九歩、男が完全に刃物を晒す。

十歩、少女が踏み出したのを見計らい、少女を突き飛ばし、その刃を自分の腕に掠める。

そこからは、男に呼吸をする暇も与えない。

大股から、刃物を逸らし、顎に一撃を入れ同時に足を掬い上げ上体を力任せに地面へ叩き付ける。

腕に受けた傷は、いわば布石だ。

怪我人が出なければ、大ごとにならない。

この事態を大ごとにする為には、誰かが傷を負う必要がある。

まぁ、それも結局は夢の中の話だ。

そこまでする必要があるのかと聞かれれば、甚だ謎ではあるが、8年前はこの少女を助ける事が出来なかったのは事実だ。

多少の傷を受けなければこの少女に対して不公平だろう。

「おい!キミ!怪我は無いか!」

名前が思い出せない。

というか、俺は知らないのかもしれない。

同じクラスメイトだった筈なのだが、俺はこの少女の名前を知らない。

或はこの時の事が衝撃的すぎて、意図的に忘れているのだろう。

クラスメイトが目の前で殺されるなど普通は誰にでも衝撃的な事件の筈だ。

きっと例の漏れず俺にも衝撃的だったからこそ少女の名前が思い出せないのだろう。

体力の無いなかの大仕事。

にも関わらず少女はケロッとした様子で手のひらを見せてきた。

「……ハハッ……アンタのせいで手がすり切れたわよ!!」

ああ、少女は元気そうで何よりだ。

無事なのを確認すれば、ホッと胸をなで下ろす事が出来た。

助ける事が出来なかった少女を、夢の中だけでも助ける事が出来た。

死ぬ前の悔恨が一つ晴れた気分だ。

晴れ晴れとした気分は、次第に落ち着き、そうすれば周りの景色が見えて来る。

リアル過ぎる夢の世界は……

一体何処からが夢なのか……

あの戦場で死んだ筈の『大見八重』は、今になって何故か酷く痛む腕と、左目を押さえつつそんなことを思うのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る