第2話 θ10月1日
少女の朝は早い。
時にこの日は特に早かった。
まず洗顔。
歯を磨き、校則ギリギリアウトの化粧をして、あの時と同じ髪型をセットする。
あの日と同じ朝食を取り、あの日と同じ時間に家を出て、あの日と同じ電車に乗り、高校の最寄り駅で下車をする。
あの日と同じ、雲一つない秋空であの日と同じ人々が、あの日と同じ行動を取る。
歴史通りで、史実通り。
だから、少女は疲れていた。
寝不足?栄養不足?
いえいえ、違いますとも。
少女の疲れは一年前から始まった。
いや、正確に言うなら同じ一年を繰り返すことで始まった。
腹部を気味の悪い男に刺されて、死ぬ程痛い思いをしたと思ったら、気付けばその日から一年前に時間が巻き戻っていた。
少女は様々な事を試した。
刺される事を事前に回避する為に、ありとあらゆる事を……
そして少女はこの現象の特徴に行き着いた。
少女が『一度目』の史実と違う行動を取ると、刺されてからの一年前に巻き戻る。
何をしても、何を言っても『一度目』と違う行動を取ると強制的に10月1日から刺される一年前の10月1日に強制送還されるのだ。
もう!ウンザリだ!クソ食らえ!
私は痛い思いをするのが大嫌いなんだよ!
嫌だから、刺されない様にしてるのに!
少しでも1度目と行動を変えようものなら即座に一年前に巻き戻る!
誰が?何の為に!?
このクソ巻き戻し制度を制定しているのは知らないが、もし仮に神がそんな事をしているのなら、神の土手っ腹……少女が刺された寸分違わぬ位置に少女流の仁義を通させて頂きたい。
だからもう一度少女は言いたい。
コレは重要事項だ。
少女は疲れていた。
だから、もう疲れない様に、この馬鹿げた仕掛けを終わりにするのだ。
一度知っている事をやり直すのは精神をすり減らす。
一度された話に、もう一度リアクションを求められても『一度目』と同じリアクションを取る事は難しい。
少女の心は最早限界だったのだ。
それは少女にとってやり直す機会ではなく、苦痛を受ける機会がもう一度与えられているという事に他ならない。
永遠に続くこの地獄を早々に切り上げたい。
そう思いながら、少女は東京都中野駅の改札を抜ける。
吹き抜ける秋風を切り、スクールバッグを右肩から左肩へ持ち替える。
携帯を取り出し、友人から来ている返信に規定通りの返信を返す。
温度も首筋を抜けていく風も、目に映る風景も、都会特有のこびり付く排ガスの匂いも、嫌になる程あの日と同じだ。
一つ違うとすれば、私の心持ちだろう。
刺されると分かっていて……
もう一度あの痛みを味わうと分かっていて、足が竦まない訳が無い。
ああ、嫌だ。嫌だ……。
さっさと済ませて欲しい。
次の行動は何だったか?
……そうだ、思い出した。バックから鏡を取り出して、自分の前髪の位置を確認するんだった。
あの時の私は、未確認のストーカーの被害に遭っていて仕切りに後ろを確認していた。
最初は知らないと怖いが、受け取り時刻が分っている『愛してる』の押し売りラブレターは、恐ろしくも感じない。
何故ならストーカーの方からわざわざ背中に穴を開けに来てくれる日時と、時刻が分かっているからだ。
言うなれば、ストーカーからの手紙は、日めくりカレンダー感覚に近いかもしれない。
だが何も知らない『一度目』の私は、あの日もこうして鏡で後ろを確認したのだ。
何かの視線を感じたから、あの日の私も鏡で前髪を確認すると見せかけて……
自分の肩越しに後ろを違和感の生まれない程度に確認した。
奴と目が合った。
『一度目』の私は恐怖で震えたが、今現在の私は嫌いな担当教諭と目が合ったぐらいの気持ちしか持てなかった。
全ては演技だが、怯えの早足は少し肩を上げながらそそくさと、かつ少し怯えてる感じを混じらせて……
当時の私は二度三度と確認したので、此処の私も忠実に行動をトレースしていく。
同じ行動を取ってきたのだ、最後の最後で些細なミスを犯して、一年前に強制送還などされたくない。
遊歩道を渡り、住宅街を抜ける。
あの瞬間まで、もうすぐだ。
残り十歩も歩けば、私の人生は幕を下ろす。
一度目と全く同じ行動を一年間取り続けて来た私を、誰も助けられるわけがない。
私は一回目の私と全く同じ行動を取っている。
いや、取らされていると言った方が適切だろう。
同じ行動を取らなければ、目眩と共にぶっ倒れ、即座に一年前に戻される。
一歩、あの時の痛みを思い返す。
二歩、あの時の後悔を思い返す。
三歩、あの時の倒れたアスファルトの硬さを思い返す。
四歩、あの時の傷口の熱さを思い返す。
五歩、あの時の掠れた最後の一呼吸を思い返す
六歩、……あれ?以外と思い返す事が無い事を思い返す。
七歩、もうすぐだ……きっと私は痛さのあまり泣いてしまうかもしれない。
八歩、二歩目で思い返した後悔があるが、もう清算する時間はない。
九歩、次の一歩はこの世とのさようならの合図だ。
さて、私、十歩目を踏み出す前に整理しよう。
私は一度目のやり直しと全く同じ歴史の流れを辿って、今この場に立って居る。
少女が一度目の死から一年前に戻ったとしても、少女が『一度目』の史実と同じ行動を取っているのなら、周りの人間も、『一度目』と同じ行動を取るのは自然な流れの筈だ。
つまり、少女は『一度目』と全く同じ死に方を、この場でもう一度体験する。
筈だった……
さあ、戻ろう。
十歩目、私が取るべき行動は決まっている。
さて、大最後の仕事だ。
大根役者も今日でお役御免である。
なら見せてやる。
命を掛けた最後の演目、精々楽しめストーカー野郎!
と、驚いた振りをして、少女はその男へ振り返る。
そこで少女は違和感に気付いた。
『一度目』に視界の端で見た筈の同級生男子の姿がない。
少女はあの時の事はよく覚えている。
恨みを抱いたとも違うが、少女が最後に見た光景はその同級生が顔を真っ青にして自分へ駆け寄って来る姿だったからだ。
だが同級生男子が居ない事以外に、変わった様子は見られない。
まぁ、今までにも些細な違いはあった。
少女自身『一度目』にやった憶えのあるテストで同じ点数を取る事は出来なかったし、クラスメイトの動きが『一度目』とやや違う事もあった。
ならこの場所に同級生の男子が居ない事も全体を通して見れば、些細なことなのだろう。
些細な違いでは、少女の身に巻き戻りは起こらない。
つまり同級生男子のこの場での有無は大したことではない。
はぁ……嫌だ、嫌だ。
一世一代の最後の大仕事
観客無しに幕を閉じるのも味気ないが、仕方がない。
迫る鈍色の凶器を躱す術もないし、躱したら躱したで、一年前に巻き戻るのはもうたくさんだ。
だから……
もう、これでいい。
少女は目を閉じて、これから来る筈の痛みに耐える為、四肢に力を込める。
だから、即座に違和感に気付いた。
倒れ込む様な、
十一歩
え?
それは、ある筈がない一歩
10+11=1歩だ
だが、待ってくれ私。
一度目の時は無かった。
そう思っても、少女が何者かに後ろに突き飛ばされた事実は変わらない。
手のひらに感じるのは確かに痛みと言えば痛みだが……
あの時の熱を帯びた痛みではなく、これは地面に転んだ擦り傷の様な痛みだ。
助かったのか?
いやいや、待て。待てと……
物事には万が一がある。
少女はグロテスクが苦手なので目を瞑ったまま自分の腹部を弄ったが、あるべき場所には何も無い。
そもそも血液の滑りすら感じない。
恐る恐る、薄らと目を開ければ、そこには信じられない光景が飛び込んで来た。
まず、何から説明しようか……
そうだ、私の脇腹に時代遅れのワンポイントデザインを刻んだ凶器から
端的に言うなら凶器を取り上げられていた。
そして、何故か最後の観客になる筈だった同級生男子が憎きあの男を地面に押さえ付けていた。
「おい!キミ!怪我は無いか!」
同級生に向けるとは思えない大人びた口調の男子生徒の言葉に、自分の身体を見渡しズキリと痛む箇所を満面の笑みで見せ付けた。
「……ハハッ……アンタのせいで手がすり切れたわよ!!」
だってそうだろう、この痛さは、未来に続く痛みで……
少女一人では決して超えられない運命を最も容易く撃破った祝傷だ。
そう、今この瞬間……
晴れて少女『硯 言ノ葉』は、自分の歴史を手に入れたのだから。
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