第29話 『ニューワールド』 <崩壊>
アセロラはぽつんと一人孤独になった。
誰の息遣いも聞こえない。
ただ窓ガラスを叩きつける雨音だけが静寂を引き裂いていた。
「どうして……どうして、大事なものが守れないんだろう……」
アセロラは項垂れ、ぐっと拳を握る。
気を抜くと足元が震えて崩れ落ちてしまいそうだった。
「……もう一緒にいられないのね。……手元にもない」
すると静かな声が耳元で聞こえた。
「誰……ライチ?」
「そうよ」
アセロラがふと顔を上げると、いつの間にいたのか、ライチがアセロラの隣に立っていた。
アセロラは力のない瞳でライチをぼんやりと見た。
「君がライチ……ちゃんと顔を合わせるのは初めてかもしれない」
金髪碧眼の容姿で白を基調とした聖職者のローブ風コスチュームをまとったライチが、まるで慈愛の天使のようにアセロラの瞳は映った。
「そうね。あなたがなかなか見つけてくれないから」
「僕が、見つける……?」
アセロラは眉根を寄せた。
「あーあ、いなくなっちゃったね、みんな。こんなにバラバラになって。……現実と変わらない。何にも変わらない」
「ライチ……何を言って……?」
アセロラはライチの横顔を見つめた。
ライチがゆっくりとアセロラの方へ顔を向けると、霧がかったような印象を受ける瞳にアセロラが映った。
アセロラと視線が合うとライチがふわりと笑った。
「おしまい」
瞬間。
轟音。
空間が壊れ始め、地鳴りがする。
硝子が飛び散っていくような、耳を劈く派手で鋭い音が響き渡った。
突風が吹き上げ、様々な物体が一瞬で飛んだ。
アセロラは身構えながらライチに向かって叫んだ。
「……何をしたんだ!?」
アセロラの隣にいたはずのライチが、いつの間にか大きく距離をとってモダンハウスの外にいた。
ライチの背にはどす黒い空間が渦を巻いていた。
時折雷鳴のような音が轟き稲妻が走る。
その空間に様々なものが吸い込まれる。まるでブラックホールのようだった。
外にあった建物や樹木だけでなく、荒れ狂う風雨さえも飲み込んでいく。
「『ニューワールド』のシステムを破壊したわ。……この世界を壊すの」
「何だって!?」
アセロラは驚き目を瞠った。
システムの破壊の影響か、海、空、大地すらどす黒い空間に飲み込まれていく。
地面がぐにゃりと揺れ動き、アセロラは立っているのがやっとだった。
「知ってる? もともとこの破壊プログラムはシェアハウス・ビタミンを壊すためだけに作られたお粗末なアイテムなの」
「アイテム……?」
「チーム・ビタミンにバトルを仕掛けてきた二人組がいたでしょう? 彼らが仕掛けていたのを私が見つけて停止させたの」
「停止させたのに、なんで……」
「誰かに壊される可能性があるなら、自分の手でくだした方がいいと思ったの。この世界はホンモノを置き去りにしたニセモノの世界なんだから」
「ニセモノの世界」
「だから、このアイテムを『ニューワールド』のシステムを破壊するプログラムに作り替えたの。きちんと起動したわ。良かった……」
ライチは振り向いて後ろのどす黒い空間を見つめ、うっとりと言った。
「どうしてこんな事を……!? 君にとっても大切な世界だったんじゃないのか!?」
「……あなたが望んだことよ」
「僕が……? 僕はそんなこと望んでない!」
「いいえ。あなたよ」
「違う!」
ライチは静かに否定するがアセロラは頭を振った。
何度も何度もその言葉を打ち消すように頭を振る。
「……ねえ、もうおしまいにしよう?」
ライチの言葉に、一層破壊音が激しさを増した。
「いつも私のせいにして、楽だった?」
「私の、せい……?」
アセロラは眉間にしわを寄せて、訝しげにライチを見た。
「私は、苦しかった。……どうしようもなくね」
「何のことだ!? 何を言っている!? ……君は一体誰なんだ!?」
闇を背負ったライチにアセロラは大声で問うた。
――あなたの知っている人。
アセロラの頭の中に直接声が響いた。
ライチの姿が硝子が砕けるようにぴしぴしとひび割れを起こす。
やがて繊細で派手な音を立てて四散した。
同時にこの世界の全てが彼女と同じく、硝子が砕けていくようにゆっくりと四散し始めた。
どす黒い渦に全てが吸い込まれていく。
「……嫌だ、消えるな……。お願いだ。やめてくれ……!」
アセロラの体はぐらりと傾き、ばたりと両の手を突いた。
両足ではもう体が支えきれなくなっていた。
「やめろおおっっ!」
アセロラが腹の底から精一杯叫んでも、何かが止まるわけではなかった。
暗闇が全てを飲み込み、何もかもがなくなって。
存在していたことすら、分からなくなった。
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