第27話 赤坂渉の場合 <喪失>
「今日もご足労いただきありがとうございます、赤坂さん」
「いえ、こちらこそ。ここまで来ていただいて」
誠実そうな笑みで挨拶する片倉に景子が優雅な微笑みを返した。
大人たちがやり取りをしている間、渉は俯きぎゅっと拳を握った。
渉は学校を終えると母とともに古民家カフェ・芦花にいた。
今回も『ニューワールド』の著作権譲渡の件で打ち合わせのため、データマーク社の片倉が来ていた。
景子の目の前に座り、古びた味のある木製のテーブルに書類をいくつか並べていた。
「お電話で色々お話をさせていただきありがとうございました」
「こちらこそ」
「赤坂さんからご提案いただいた内容を社内で揉ませていただきました。結果から申し上げますと、ご提案いただいた内容で契約締結を進めさせていただきたいと思っております」
「そうですか。ありがとうございます。社内で無事に決裁が下りたのね」
「赤坂さんの絶妙な提案に正直なところ私の上司が唸っていました。落としどこが素晴らしいと」
ふふ、と景子が満足そうに笑った。
「このまま進めさせていただこうと思うんですが……渉くん、それでいいかな?」
片倉に水を向けられ、渉は俯いていた顔を上げた。
「……この間はすみませんでした。わがままを言ってしまって」
渉が口を開くと、大人たちがじっと渉を見た。
「出て行ってしまって迷惑をかけましたよね。あの時、ちゃんと言葉にできればよかったんですけど。僕、どうしても譲れなかったんです。手放したくなかったんです。僕にとって『ニューワールド』は初めて認めてもらえたものだから」
「渉くん……」
「それに僕もプレイしてるんですけど、現実を忘れさせてくれる楽しい仲間たちがいて、違う自分になれる場所だったんです。ホンモノの僕は気が弱いところがあるから」
「渉……」
「仲間たちは僕と一緒にシェアハウスで住んでくれていて家族のような感じだった。いつも僕を必要としてくれていて、僕のたった一つの居場所だったんです」
「え……」
渉の一言に景子が顔を顰めた。
「渉、何を言っているの? 家族のような感じ? たった一つの居場所……?」
「母さん?」
「あなたの居場所はここでしょう? あなたにはちゃんと家族がいるのに赤の他人の方が大事だっていうの?」
景子が静かな怒りを湛え、渉を見据えた。
その双眸は冷たい炎が見えるようで渉は背が震えた。
「母さん、それは違……」
「やはり『ニューワールド』を作り出したから、それをしているからこんなことになるのね。心が離れていってしまうの。……私の判断ミスだわ」
切って捨てたような冷たい言い方で景子が言った。
「片倉さん、書類を。譲渡の契約を今すぐ結びましょう」
「か、母さん!?」
渉は目を瞠った。母の横顔は眉根を寄せつつも、真っ直ぐに前を向いていた。
「赤坂さん、いいんですか? その渉くんの気持ちが……」
片倉が景子に書類を手渡すが、その先の言葉は言い淀んだ。
「ええ。これは必要な選択なんです」
「必要って……母さん、待ってよ。僕の話聞い……」
「渉、元のあなたに戻すにはこうするしかないのよ。いいわね?」
景子が有無を言わせない響きで渉に問うた。
「……」
「いいわね」
しばらく間が開いたのち、渉は母の問いに無言で頷いた。
「片倉さん、サインをさせていただくわ」
「……分かりました。ありがとうございます。では、こちらの契約書の内容に再度目を通していただいてから、サインと捺印をお願いします。……渉くん、本当にいいのかい?」
片倉が渉に最終的な確認を取る意味で聞いた。
「……仕方がありません。母が決めたことですから」
渉は力なく笑った。
これ以上、自分の力ではどうすることも出来ない。
だって、大切なものはいつだって他人に決定権がある。
こんなことには慣れている。いつものように諦めればいい。
どうして、大事なものが守れないんだろう……
渉の問いに答える者がいるはずもなく、ただ母がサインをするのを呆然と見ていた。
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