第7話 赤坂渉の場合 <相談>
「相談って何だよ?」
どうやって切り出そうか考えあぐねていると、俊輔の方から助け舟を出してくれた。
「あのさ……母さん、最近おかしいんだ。さっきの二人組見ただろ。あの人達が現れてからなんだけど……」
「さっきメンタルケアの先生達? 二人に何か問題があんの?」
「母さんと二人組が何度か話しているのを見かけたんだ。その後からかな、データマーク社と急にやり取りを増やし始めたんだ」
「今日の打ち合わせと何か関係あるってことか?」
「わかんないけど……」
渉は今日の打ち合わせに対して胸騒ぎを感じていた。それが何かは分からないけどどうしても行きたくなくって、しれっと帰ろうとしたくらいだ。
渉はあの時から母が『ニューワールド』を認めてくれているものだと思っていたのだが……。
母さんが動いている。母さんは何を考えているんだろうか?
渉の母は学園の経営を一手に引き受けている理事長職を務めている。まもなく五十代になるがやり手の経営者として学校関係者の間で有名である。
渉が作ったオンラインゲーム『ニューワールド』が世に出た一因は、その母の卓越した手腕が発揮された点がある。高校生である渉に代わり、商品化許諾契約の締結からその他の細かいやり取りまでをこなしていた。
現在海外に留学している大学生の兄を殊の外愛している母が、珍しく自分をかまった事を不思議に思ったくらいだ。今でも何故そうしたのかは分からない。
『ニューワールド』を削除しない、そしてデータマーク社を通して商品化する代わりに、渉は母と約束した事がある。
それは成績は上位をキープし勉学を疎かにしないこと。進むべき道を踏み外さないこと。渉は『ニューワールド』を守るために、約束を忠実に懸命に守っていた。
「それともう一つ気になることがあって」
「もう一つ?」
「うん。保健室で聞いたんだけど変な噂が立ってるらしくって」
「噂?」
「うん。うちの学校のどこかに生徒が閉じ込められているっていう」
「生徒が? なにその学園七不思議的な話。噂だろ? 今の話と何か関係があるのか?」
眉根を寄せて困惑した表情をした俊輔をよそに、渉は必死に言葉を続けた。
「はっきりとは言えないけど……。だけど、その噂はあの二人組が来てから流れ出したんだ。母さんが『ニューワールド』のことでデータマーク社とやり取りを増やした時と同じ時期」
「同じ時期……」
「僕、何か関係しているんじゃないかと思うんだ。母さんとあの二人組が何度か一緒にいるのを見かけたこともあるし……もしかしたら脅されているのかもしれない」
「脅しって……偶然かもしれないだろ?」
「偶然は必然でもあるんだよ、俊輔」
「誰の言葉だよ」
「とにかくさ、ちょっと探りを入れたいんだけど……」
「探りを入れたい?」
俊輔が鸚鵡返しに聞くと渉はこくりと頷いた。
「『ニューワールド』のこともあるけど学園にも関係していることだろ? 母さんも父さんも忙しいし、兄さんが海外留学でいないから僕がなんとかしなきゃいけない。だから、協力してくれないか!? ほら、俊輔ミステリ好きだし、そういうの得意だろ? 頼むよっ」
渉はぱんと手を合わせ俊輔に頭を下げて懇願した。
俊輔が困惑するのも無理もないと思う。突拍子もない話で、渉が当事者でなかったら同じような反応をしていただろう。
しかし、渉は俊輔がこの話に乗ってくることを半ば確信していた。なにせミステリ好きの俊輔である。好奇心を抑えられるはずがない。
「しゃーねーなぁ。渉に協力するよ」
俊輔の言葉に渉は口元をにんまりさせ諸手を上げて喜んだ。
「マジか! ありがとう、俊輔!」
俊輔はやっぱり頼りになる幼馴染だ。渉はこれみよがしに俊輔を褒め称え、無邪気に笑いあっていた。
その時。
「渉」
凛とした女の声音の渉はびくりとし固まった。渉は声がした方へゆっくりと顔を向けた。
そこにいたのは黒髪をきっちりとまとめ上げ、エレガントなワンピースにツイードジャケットを羽織った中年の女で、彼女の双眸は威厳と怜悧さ映し出していた。
「母さん……」
「ここにいたのね、渉。俊輔くん、こんにちは」
「こんにちは。おばさん」
俊輔は母・景子にぺこりとお辞儀をして挨拶をした。
「渉、小宮先生から聞いてるでしょうけど、今日は打ち合わせがあるわよ」
「あ、うん……忘れてないよ」
「そう。そろそろ準備なさい」
落ち着いた、でも温度のない声で景子は言った。
わざわざ僕を探しに来たんだ……渉は珍しい母の行動を訝しげに感じた。
「あのさ……っ、どうしても、僕行かなきゃいけないかな……?」
ちらりと上目遣いで景子を見上げるが、景子は冷えた双眸で渉を見据えていた。
「何を言っているのかしら?」
「だって……ほら、明日テストもあるし……」
「少し時間を取られたくらいで落ちてしまう成績なの?」
「違うっ……そうじゃなくて……」
「何? お母さんの言うことがきけないとでもいうのかしら?」
ふぅと溜息を吐かれ、渉はひゅっと息を飲んだ。
「……ご、ごめんなさい。母さん」
「行くのね?」
「……はい」
息子の小さな返事を聞けば、それ以上は用がないとばかりにくるりと背を向けて景子は歩き始めた。
こつこつと響く靴音が渉の胸に刺さるように聞こえた。
「渉?」
俊輔は心配そうに渉の顔を覗き込んできたが、渉は心配しなくてもいいよと伝えたいために首を横に振ってへらりと笑った。
「僕、行かなきゃ。俊輔、また後で連絡するから。あのこと、お願いな」
「わかった。早く行けよ、おばさんに追いつけなくなるぞ」
「うん。じゃあね」
渉は俊輔に手を振ると一度も振り返らない母の姿を慌てて追った。
背を向ける母の向こう側には、白くそびえたつ冷たい建物と寒々しい灰色の曇天。
先ほどまであった暖かな陽の光は、いつの間にか差さなくなっていた。
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