第6話 赤坂渉の場合 <起点>
そこにいたのは、ふんわりとした暖かそうなニットをきた英語教師の小宮詩織だった。
一年生の英語を担当する詩織は、もちろん渉達二人のクラスを受け持っている。教師歴十三年目の溌溂とした笑顔が魅力の人気の先生である。
「小宮先生、その、名前で呼ばないでほしいんだけど……」
「あ、ごめんごめん。小さいころから知ってるからついつい」
詩織は眉尻を下げて謝った。
「先生、何かあったの?」
「そうそう。理事長からの伝言があるの」
「母さんから?」
渉の母親・赤坂景子はこの学園の理事長を務めている。そのため、小さな頃からこの学園に出入りしている渉は詩織とは顔見知りだったのだ。
「さっき理事長と会ってね。今日の夕方、データマーク社の方が来るっておっしゃってたわよ。赤坂くん、覚えてた?」
「……あ、えっと……うん」
「良かった。赤坂くん、打ち合わせなんでしょ? もし会うことがあれば念押ししておいてねっておっしゃってたの」
「うん……そっか」
「渉、予定あるんだったら言えよ。先に帰っても良かったんだぞ?」
「あ……それは、大丈夫。なんとかなると思うし……」
心配そうに顔を覗き込んでくる俊輔に、渉は歯切れが悪く答えてしまった。それをごまかすように渉は会話を続けた。
「あら、帰るつもりだったの? 打ち合わせ場所は学校の近所にある古民家カフェって聞いたけど」
「えっと……そうだったっけ……?」
「そうよ。理事長が念押ししておいてっておっしゃったのは正解ね。ちゃんと確認できて良かったわ」
「あ……うん。ありがと……」
「データマーク社ってアレでしょ? 赤坂くんの『ニューワールド』の件で来るんでしょう?」
「すごいわよねぇ」
「……すごくないよ」
「そうやっていつも謙遜する。自慢していいのよ。なんてったって『ニューワールド』は赤坂くんが作ったんだから」
歯切れ悪く答えている渉をよそに詩織は会話を続ける。渉は苦笑いを浮かべた。
「そんな自慢できるもんじゃないよ……僕自身が作りたくて作っただけだし」
「そうかもしれないけれど、『ニューワールド』がデータマーク社って企業に見初められて商品化したんだよ。最近増えてきた高校生起業家ってやつね」
「僕はそうなるとは思わなかったよ。それに、商品化だって母さんがいないと出来なかったことだったし」
「それは赤坂くんの頭脳とプログラミング技術があったからよ。ほら、アバター同士でコミュニケーションとって友達になれるんでしょう?」
「僕があまり友達作り上手くないから友達が出来ればいいなって……」
「アバターは職業を持つことができるとか」
「色んな仕事が出来ればいいかなって……」
「バトルゲームもあるんでしょう?」
「僕は強くないから、強くなってみたいなって……」
「やっぱり赤坂くんのアイデアがあってこそのオンラインゲームよ。素晴らしいことじゃない。胸を張りなさい、少年!」
にっこりと笑った詩織は渉の背中を勢いよくドンと叩いた。
渉は思わず咳き込み、届かない背中を擦った。先生、相変わらず元気だな、と渉は苦笑した。
『ニューワールド』は渉が中学の時に作ったものだ。習得したプログラミング技術で試しにゲームを作ってみたことが始まりだ。
渉は学園を経営する母と官僚の父の下に生まれ、六歳離れた兄と共に幼い頃から官僚を目指し勉強を強いられていた。息抜きにゲームをプレイしている中でゲーム制作に興味が湧き、学校の授業でプログラミングがあったこともあり、親に頼み込んでプログラミングを習い始めた。
プログラミングは瞬く間に渉の心を掴んだ。親の目をかいくぐりながら作り始めたゲームをこっそりとフリーゲームサイトへ投稿した。
評判は上々で親に隠れて運営していたが母親に見つかってしまった。消去されそうになったところ、何の因果かフリーゲームサイトのサーバーを管理していたIT企業・データマーク社の目に留まり、商品化されたのだ。つい一年前のことである。
ちょうど仮想現実などのテクノロジーが世間に広まってきたこともあり、ユーザーにウケているらしく売上は上々のようだ。
「理事長も素敵なお子さんに恵まれて、鼻が高いでしょうね」
「……向こうはそう思ってないと思う」
「そんなことないでしょう。私だったら自慢しまくりよ」
「小宮先生のその姿、おれ想像できますよ」
「広尾くん、言うじゃなーい」
大人の女性の小宮先生にツッコめるなんて俊輔はすげーな、と渉は思う。
渉自身はコミュニケーション能力が高くはなく、どちらかと言えば引っ込み思案で気弱な性格だ。俊輔みたいに堂々とできればいいんだけどな……といつもうらやましく思い、そして少し落ち込む。
やっぱり今日も落ち込みかけて、表情がばれないように俯いた。
ふと俯いた視線の先に二人分の足先が見えた。渉は気になって顔を上げてみると、こちらへ向かって歩いてくる白衣を着た男が二人いた。
一人は物腰が柔らかそうな、しかし食えない笑顔を浮かべている男で、もう一人は体躯の大きい目つきの鋭い男だった。
渉は目を見張った。
「お疲れ様です」
「あ、お疲れ様です」
柔和な男の方が詩織を見つけると声をかけた。詩織も挨拶を返すと互いが軽く会釈をし、すぐに去っていた。
渉は思わずじっと背中を見つめた。
「小宮先生、あの先生達は……?」
「学校のメンタルケアを担当する先生が来たのよ。精神科医の月島先生と竹橋先生。定期的に学校に来るって話だけど……赤坂くん、どうかした?」
「ううん、何でもないよ」
「そう?」
怪訝な表情を見せた詩織に対して、渉は横に首を振った。
その時、ピリリと電子音が響いた。
「おっと。私のスマホが鳴ってるわ」
音を聞いた瞬間げんなりした詩織が所持していたスマホに出る。二、三言ほど会話を交わすと通話を切った。
「はぁ。これは残業決定だわ……」
「先生、どうしたの?」
「急に今日会議が決定したみたい。早く帰りたかったのになぁ」
「先生どんまい」
「行ってくるわー。二人とも気を付けてね」
詩織は渉達に軽く手を振り職員室へと去って行った。
「いつも忙しないね、小宮先生」
「うん。この間教師をもっと雇えばいいのにって先生愚痴ってた」
「ふーん。でも、おれさっきのメンタルケア担当の先生初めて見た気がする」
流石ミステリ好き、よく見てるなぁ、と渉は思い、ずっと心に閉まっていたことを打ち明けようと考え付いた。
「あのさ、俊輔……相談があるんだ」
「相談?」
「うん」
俊輔がいいよと言えば、渉は下駄箱とは反対方向の廊下へ向かい中庭に俊輔を誘った。
中庭にはちょうど誰もおらずベンチに二人して腰掛けた。少し陽が差していることが有難かった。
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