第50話

 脱獄といっても、平民が罪を犯したときに入るような牢屋に入れられていたわけではない。アマンダほどの豪華な部屋ではないが、ロバートも貴族用の手入れの行き届いた綺麗な牢屋に入れられていたので、そこに自身の息のかかった衛兵を立たせるなど色々やりようがあったらしい。


 どうして抜け出したのかはすぐにわかった。ウィルバートの元に、ロバートの妻エリザがイリスタッド王国の件くだんの盗賊団の残党による襲撃を受けたと連絡が入ったからだ。犯人はエリザを襲撃したのち、自害したとのことだ。ロバートに利用され、嵌められたことに対する報復に違いなかった。

 

 エリザは庭の散歩中、木の影から突如現れた刺客に正面から襲いかかられたそうだ。護衛の騎士が間に合ったお陰で致命傷は避けられたものの、襲いかかられたときに背中から強く地面に叩きつけられた衝撃で脊髄を損傷したらしく、下半身に麻痺が残ってしまったという。医者によるともう元通り歩けるようにはならないだろうとの診断であった。


 その報告を聞いたのは、一応、ティアナの部屋として整えられていた一室で、ティアナを義娘として歓迎しているというエリザの心遣いが感じられた。ティアナは初めて訪れた自分のためにしつらえられた部屋で、ウィルバートやサミュエルと共にことの次第を確認していた。ロバートはエリザの一大事に駆けつけたかっただけで逃亡の意図はないことが確認できたため、監視はついているが、特に拘束はされずに自身の執務室にて軟禁されている状態だという。


 ティアナたちがルスネリア公爵家の領地にある邸宅に着いたとき、ロバートはエリザの部屋にいて、二人で会話をしているところだった。

 ロバート脱獄の知らせを聞いたとき、ちょうどウィルバートを迎えに出てこようとしていたアマンダにも話が聞こえてしまったようで、一緒に連れて行けと一心不乱に頼み込んできた。

 ウィルバートは案の定渋ったが、ティアナがとりなして一緒に向かうことになった。アマンダは突如として入ってきた「父親の脱獄」という重大な情報に錯乱していて、ティアナの存在は視界にも入っていないようだった。


 そのアマンダが、父親と母親の穏やかな話し声が部屋から漏れ聞こえて来ることに気づき、ティアナの腕をぎゅっと握ってきた。二人の邪魔をしないで、と懇願するように。

ティアナはウィルバートたちに目配せして、アマンダの意志を尊重するよう促した。その瞬間、朧げだった話し声がそこにいるみんなにはっきりと聞こえてくるようになった。


「……エリザが、アマンダを皇太子妃にしたいと、そう言ったから……」

「私はそんなこと言っていませんよ? どうしてそんな話になったのかしら……あなた、もしかしてただの思い込みで、私のためにアマンダを皇太子妃にしようとなさっていたの?」

「う……」

「あなたは本当に……昔から繊細で、こうと決めたら一直線で……私の気を惹こうと一生懸命で……。でも、そういうところが愛おしいのですけれど」

「い、愛おしい……!?」

「ええ。今まではっきりと伝えられなくてごめんなさい。こんな時に言うことではありませんが、私はロバート様のことを愛しています」

「…………。だって……エリザは兄上を慕っていたではないか……」

「最初はそうでした。でも、あなたの不器用な優しさや、一生懸命仕事に取り組む姿を一番近くで見ていて、私がそばで支えて差し上げたいと……どうしようもなくあなたに惹かれていく自分に気づいたのです。いつの間にかあんなにも好きだと思っていたクリストファー様への気持ちはかけらもなくなっていました」

「じゃあ……」

「私がまだクリストファー様に気持ちを残したままだったら、あなたと結婚していなかったでしょうね」


 きっぱりと言うエリザに、ロバートは呆然とした表情で膝をついていた。


「私は……なんのために兄上たちを…………私はなんということをしてしまったのだ……」

「あなたのしたことは到底許されることではありません。何の罪もないたくさんの人たちの命を奪ったのですから。一生償っても足りないでしょう。でも、アマンダも、私も……みんな同罪です。あなたを諫め、あなたの意志を変えることができたのは私たちだけだったのに、それを怠ってしまったのですから」


 ロバートは目を伏せて静かに涙を流していた。


「だから、私がこのような状態になってしまったのはその報いなのです」

「エリザ……申し訳なかった。報いを受けるべきは私だったはずなのに。私の愚かな行いのせいでお前をこんな身体にしてしまって……なんと罪深いことだろう。何もかも私が間違っていたのだ。私が兄上に嫉妬して、全部兄上のお下がりなのが気に入らなくて。愛しいエリザまで物のように下げ渡されたのだと思ったら、兄上が憎くて憎くてたまらなかった……」

「その辺りもすべて含めて、会話不足でしたね。私の身体と心が弱かったばかりに、ごめんなさい。あなたに私の心を告げるのが怖かったのです。何より、嘘みたいに簡単に心変わりした自分の気持ちが信じられなかったのです。そのうちに身体を壊してしまって、別々に暮らすうちに伝える機会も勇気も失ってしまった。でも、今なら自信を持って言えます。私は、どんなあなたでも愛しています。伝えるのがこんなにも遅くなってしまってごめんなさい……」


 ティアナは、泣き崩れるロバートとエリザの声を聞きながら複雑な想いを抱いていた。

 話をまとめると、結局は家族のすれ違いに端を発した私怨が原因だったということだ。もう少し夫婦がお互い歩み寄っていたら、そして思いついてしまった計画を実行できる権力と財力がなかったとしたら、そもそもすべての事件は起こらなかったかもしれない。

確かにクリストファーも手っ取り早く駆け落ちするという結論に至ったのは早計だったかもしれない。時間をかけて話し合いで解決していればロバートの自尊心も傷つかなかったかもしれない。けれど、過去が変わっていたらと考えても意味はない。ティアナの父はすでに亡くなっているし、この件に巻き込まれて多くの人が犠牲になった事実はなくならないのだから。


 いくら考えたところで父を亡くしたティアナはどうしてもやるせない思いを昇華することができなかった。反省しているのなら、自分の行いを悔いているのなら、父を返してほしい。ティアナはそう思うばかりであった。ティアナが悔しい思いをどう飲み込めばいいのか考えているうちに、アマンダは顔面蒼白のままフラフラと自分の部屋へと向かい、閉じこもって出てこなくなってしまったようだった。


 ティアナの部屋として与えられた場所で、ロバートとエリザの会話を思い出していたティアナは、ウィルバートの質問に意識を戻した。


「ティアナ嬢、今ならロバートとアマンダ二人とも面会可能だが、どうする?」


 ティアナは首を横に振って答えた。


「いいえ。それより、ロバートとアマンダ様の二人にこそ会話が必要だと思います」

「いいの? この機会を逃したらもう二度と会えないと思うけど」

「はい。私はあの人たちと家族にはなれませんでしたから」


 ティアナは三人の間に確かに存在する家族の強い絆を感じていた。そして、自分はその中にはどうやっても迎え入れられない異分子なのだと思い知っていた。


 ロバートはティアナに対して無関心を貫いているように見えて、その実、激しい憎しみをぶつけないよう自分を抑えていたのかもしれない。そうであるならば、ティアナもこの激しい憎しみは抑えて無関心を貫くべきだと思えた。だから、もう二度と彼らには会わない。処分にも口出ししない。今後一切彼らには関わらないことを決めたのだった。


 その後、ロバートの処分は北の地での生涯幽閉に落ち着いた。国外追放の案も検討されたのだが、ロバートはイリスタッド王国へ入国することが禁止されているため、監視が必要になることを考えると、幽閉してしまった方が監視もしやすく手間がかからないという結論だった。

 エリザも夫と共に幽閉されることを望んだので、修道院行きが決まりかけていたアマンダも母親の介護をするため、一緒に幽閉されることを希望した。結果として親子三人は同じ場所に幽閉されることとなった。これまでとは比べ物にならないくらい大変な暮らしになるだろうけれど、困難な中でも家族三人仲睦まじく生きていくのだろうと思われた。ティアナはロバートとアマンダの処分内容に対して意見を求められたが、一切口を挟まなかった。


 真実は明らかになった。犯人は法の下に処分を受けた。

 ティアナはもう、過去に囚われずに前を向いて生きていこうと決めたのだった。

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