幼馴染:夏目紬の独白

 学校が終わると、私は一目散に部屋へと閉じこもった。



「私と結人くんは、付き合ってるんです」


 ああ、この発言の真意に気付くのに時間がかかってしまった。

 奈緒ちゃんは、私を刺激しようとしているのだと後になって気づいた。


 結人の性格とあの反応からすぐ気付くべきだった。

 あの時は気が動転して、上手く脳が動かなかった。今まではそんなことがなかったのに。


 ずっと、幼馴染として結人の隣を歩いてきた。


 幼馴染として一緒にいて、幼馴染として笑い合って、幼馴染として弱みを隠してきた。


 契約書まで作って、結人との幼馴染の関係に明確なラインを設けてきた。

 決して、一歩を踏み出せないようにするために。

 この心地よい関係が壊れてしまわないように、先回り先回りして。



 でも、奈緒ちゃんが現れてから私と結人の関係は少しずつ変わり始めた。

 いや、元々変わっていたものが可視化されただけかもしれないが。


「幼馴染だから当たり前でしょ?」


「私たち、幼馴染じゃん」


「幼馴染として見過ごせないわ」


「私の幼馴染がこんなのとか……」


 幼馴染幼馴染幼馴染幼馴染幼馴染幼馴染。何度も何度も口にして、上書きして忘れないようにしてきた呪いの言葉。

 言えば言うほど苦しくなって、言えば言うほど気付いてしまう。


 ……私が、結人の事が好きであると。幼馴染としてではなく、特別で大切な相手として。


 惚れた時は覚えていない。いつの間にか、幼馴染から特別な貴方へ変わっていた。

 でも、その変化は同時に怖かった。


 一緒変わらないと信じて疑わない幼馴染の関係。でも私の気持ちは変化していく。変化したものは元には戻らないし、一度自覚して仕舞えば後には引けない。

 溢れ出る気持ちを抑えようとすれば違うところから漏れ出して、修復なんて不可能になる。


 幼馴染であることをやめたら、私と結人はどうなってしまうのだろうか。

 私は好きでも、結人がそうじゃなかったら?

 幼馴染だから仕方なく付き合ってくれてるのでは?

 

 考えても仕方ない、ありふれた不安が私を押し潰そうになる。

 振られた時が怖い。だって、二度とこの関係には戻れないと分かっているから。


 恋愛感情が怖い。

 だって、恋の病は病なのだ。いつか治ってしまうことがある。

 この気持ちが冷めた時、私と結人はどうなってしまうのだろうか。



 だから、契約書を使ったのだ。


「幼馴染契約をしましょう」


 書面に残して、私たちが幼馴染であると強く意識しよう。ルールを設けよう。そうすれば、決して深く切り込む必要はなくなるから。


 ……でも、それは無駄だった。


 ある日の事。あれは、友達とカラオケに行った時のことだ。


「ねえ、紬ってさ。石川くんと付き合ってるの?」


「いやいや。ただの幼馴染だって〜」


「そうなの? でもめちゃめちゃ親しいし、一緒に住んでるんでしょ? 間違いが起きないの?」


「ないない! ないって」


「そうなんだ〜、まあ確かに。石川くんって紬とは釣り合わないよねぇ」


「え?」


「だって、別にそんなに顔がかっこいいわけでもなければ、頭がいいわけでもない。おまけにクラスじゃいつも寝てるしね」


「そ、そうだね」


「紬なら、絶対良い男と付き合えるからさ、あんな男にうつつ抜かしてたら勿体無いなと思ってたんだよね〜」


「そう、なんだ……」


「あ、私の彼氏の友達でさ、凄くイケメンの人がいるんだけど……」


 その後の会話は特に覚えていない。記憶するのも無駄な会話だった気がするし。

 そのあと、私はぶらぶらと街を歩いて、暗くなった頃には公園にいた。


 凄く、悔しかったんだと思う。私の好きな人が馬鹿にされて。それに言い返せなかった私が、とても悔しかった。

 一瞬、結人が好きだと言うのを恥ずかしいと思ってしまった私に腹が立った。


 幼馴染として塗り固めた仮面は今にも剥がれ落ちそうである。


「もう……なんで」

  

 好きになっちゃったかなぁ。


 幼馴染として、十数年も共に過ごしてきて。

 この関係を、変えてしまうのが、壊れてしまうのが怖い。

 

…………だから、私は仮面をつけよう。


「さて。夕飯のお手伝いしないと」


 私は暗い部屋から出ると、リビングへの階段を下る。

 ガチャリ。


「ただいま〜……あ、紬」


 その時、玄関が開き結人と鉢合わせる。

 お互い見合い硬直。

 気まずい空気が流れる。


「あのさ、紬。今朝の秋元の発言は……」


「冗談なんでしょ?」


「そう、そうなんだ。……分かってた?」


「うん、もちろん分かってたよ。だって、私は幼馴染だからね」


 結人のことは、私が1番しっかり見てるのだ。

 確かに多少慌ててしまったが、冷静になれば分かること。


「あ、私夕飯のお手伝いしないといけないから」


「そっか。……今日の夕飯はなに?」


「さあ? でも、美味しいもの作るから期待してて」


「お前は切るだけだろ」



「気持ちを込めて切ってるもん」


「そっか」


「そうだよ」


 ああ、心地いい。

 私たち二人の空気感はこれでいい。

 当たり障りのない、普通の会話。

 変にギクシャクしないで、笑い合うそんな日常。


 これが、ずっと続けば良いと、心から思う。


 だから、私は……。


「ほら、先にお風呂入ってきなよ幼馴染君」


 今日も、幼馴染の仮面を被る。

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