ヒロインレース

 時間という生き物は残酷で、あっという間に過ぎ去ってしまう。例え必死に縋ろうとしても、誰にでも平等で、時に不公平。

 昔は綺麗なお姉さんだったのに、見ないうちに社会の波の中で痩せ細って元気がなくなっていたりする。昔あんなに怒っていた人が丸くなっていたり。

 そう。時間とは残酷だ。

 限りある時間で、必死に生きなければいけない。

 俺は、今時間に追われている。このまま走っても壁があるだけで、これ以上行くことは出来ない。後ろから猛スピードで追いかけてくる時間を、黙々と待つしかないのだ。

 時間とは残酷だ。


「はい。試験時間終了。喋らず後ろから前に回答用紙を回してくれ〜」


 最終日の五時間目。最後のテスト。黙々とペンを走らせ最後の最後まで考え、悩み解いた回答用紙を前に回す。

 一気に緊張の糸がほどける。しかし、全てのテストが終了した安堵はなかった。

 絶望という二文字しか頭には存在しなかった。確かに、必死にやったし、紬にも協力してもらった。しかし、完全にテストの存在を忘れていた事に加え、秋元の変化や親父が帰ってくるということなど、中々集中出来る環境ではなかったのだ。

 俺は、頭を抱え、机に頭を打ちつけ唸り声をあげる。完全に油断していた。あー死にたい。


「結人、どうしたのよ? テストがダメダメだったんなら、ジュースくらいは奢ってあげるわよ」


 ずいぶんご機嫌な紬が、俺の頭をポンポンと撫でてくる。


「うるせえ。コーラをよこせ」


「だと思ってたわよ。ほら、朝買ってたの。ちょっと緩くなってるけどね」


 流石紬。俺の行動を予測してたのか。流石幼馴染だ。

 俺は、すぐさまコーラを開けて、グッと一気飲みする。はぁ!生き返る!


「にしても、紬はご機嫌だな」


「ええ。あたしは勉強出来るから」


「ふざけるなぁ……」


 勉強出来るなんてずるい。いや、これも紬の努力の結果だ。俺が努力してないだけだ。うん。悲しいな。


「さて。今日は帰ったら溜まってるドラマとか消化しちゃいましょ!」


テストが終わった。ふたたび、日常は動き出す。

 

    ◆


「紬ちゃん。凄いね」


 数日後。放課後の、薄暗い空き教室。時間も時間で、すでに太陽はほとんど落ちている。ここに来たのも、二週間ぶりくらいだ。目の前にいる奈緒ちゃんは、少し寂しげな表情で、あたしを見つめてくる。

 何故かここでは魔法が掛かったみたいに、中々声が出なくて、一言一言が重い。重量が何倍にもなっているみたい。あたしは、精一杯声を絞り出し、普段通りを装う。


「うん。ありがと。頑張ったからね。でも、奈緒ちゃんもすごいよ。数点の差だもん」


「えへへ。私、どうしても勝ちたかったから」


 奈緒ちゃんは優しく和やかに笑う。でも、その節々から悔しさが滲み出ている気がした。


 奈緒ちゃんとあたしのテスト勝負。結果的にあたしが勝った。それでもとても僅差で最後の教科が返ってくるまでは、あたしが負けていたのだ。

 時計の音と、放課後の部活動の声が響き渡る。

 あたしと奈緒ちゃんはただ見つめ合う。奈緒ちゃんの綺麗な黒髪が揺れる。


「紬ちゃん。ごめんね、結人君の幼馴染をやめてなんて言って」


「ううん! 気にしてないから! 好きな人と仲良い子が居ると嫉妬しちゃうよね」


「幼馴染はやめなくて良い。でも、私は諦めないから」


 奈緒ちゃんの強い眼差しが、とても胸に突き刺さる。何故か分からないけど、見ていられなくなってしまって目を逸らす。外は、そろそろ雨が降りそうで暗雲が立ち込めていた。


「ねえ。紬ちゃんは、応援してくれるよね」


 奈緒ちゃんの一言に、何故か殴られたような感覚になる。別におかしなことは言っていない。応援して欲しいと言われただけ。あたしは、前から応援してたし、勝手にくっつけようとしたこともあった。だから。もちろん応援……。

 胸がキュッと締まるのを感じる。


「もちろんだよ。奈緒ちゃんのためだもん」


 奈緒ちゃんは、それを聞き安心したような顔をする。


「ありがとう。紬ちゃん。言質取ったからね」


 あたしは、何かから外に出されてしまった。そんな感じがした。

 一人、雨が降り始める音を聞きながら空き教室に残る。

 とてつもない疎外感と、孤独感で心が縛り付けられてしまって、動くことが出来なかった。

 昔から、何となく分かってしまう。察することの出来る。そんなあたしが大好きで大嫌いだ。

 雲の隙間から、月が少しだけ顔を見せる。綺麗な満月だった。


    ◆


「やば、雨降ってきたじゃん」


 俺は、放課後テストの点数に絶望し、疲れて仮眠をしていたらいつの間にか暗くなっていた。帰宅しようと玄関まで行った時、雨が降り始めた。最悪だ。テストは上手くいかないし、雨は降るしでついてない。あいにく傘は持っていなかった。だって、この時期に雨降るなんて思わないじゃん。雪だと思うじゃん。温暖化の影響かなふざけるなよ。


「走って帰るしかないのか……」


憂鬱だ。空を見ると、雲の隙間から満月が顔を出している。全く。もう少し雲がなければ風情があったのに。


「あ! 結人君!」


「あ、秋元……」


 廊下から秋元が歩いてくる。最近、何というか微妙な距離感になっていた。話すといえば話すが、積極的に話すわけでもない。

 俺が、秋元との距離感を決めかねていたからだ。

 青春ラブコメを見せてよ。あの言葉の意味と、真意をずっと探している。あの時の秋元の冷たく、寂しい目は、しっかりと焼きついて頭から離れないのだ。


「結人君ー? 聞こえてますか?」


「あ、悪い考え事してた」


「そうなんだ。あの、もしかして結人君傘を忘れたとか?」


「ギクッ」


「擬音を口で言うとなんかコメディー感が強くなりますね」


 秋元はふふふっと笑う。そして、鞄の中から折りたたみ傘を取り出し、ぶっきらぼうに言う。


「仕方ないので、傘の半分をあなたに押し付けますね」


「なんだその回りくどい言い方!?」


 二人でクスッと笑う。この絶妙な空気感が久々な感じがして、とてつもなく心地良かった。

 そして、俺たちは誰も歩いていない歩道で、二人で傘を分け合いながら歩き始めた。


    ◆


「これが相合傘というやつですか」


「意外に普通なんだな」


「私はドキドキしてますけど」


 秋元と俺は肩を密着させ傘に入っている。身長差もあるので、俺が傘を持ち、なるべく秋元の方は傘を寄せている。俺の左肩は傘から出ていて、濡れまくっているが傘を借りてる身分でそれを気にするのは野暮だろう。

 秋元は俺と反対の方を向き、顔を合わせないようにしていた。


 ザーザーザー


 雨は一層強くなり、他の環境音は遮断される。


 コンッコンッコンッ


 二人の足音が雨の中響く。傘の中は、雨のどんよりした空気とは裏腹に、少し浮かれているような、甘い空気が漂っている。

 雨の、じめじめした匂いの中に、秋元の甘い香りが鼻をくすぐる。密着していて二人きり。この状態で、秋元の存在を意識しない方がおかしい。


「結人君。こんな事出来るのも、あと数日間だけですよ?」


 秋元は寂しそうな声で呟く。


「そうだな。もう転校するのか」


「はい。寂しくなりますね」


「そうだな、寂しくなる」


「会いに、来てくれますか?」


 秋元は上目遣いで、じっと見つめてくる。何かに縋るような、そんな瞳。目の中を期待で輝かせ、とても眩しく見えた。


「うん。紬と一緒に会いにいくよ」


「……それじゃ、ダメなんですよ」


 秋元はしっかりと俺の目を捉え、強く言う。吸い込まれるような、不思議な魅力を持つ目だ。迷いない、完璧な瞳。とても綺麗で、釘付けになる。


「ねえ、結人君。気付いてるんだよね」


 秋元の声はさらに強くなり、顔を近づけてくる。雨の音が気にならないほどの気迫で、何も言うことができない。とてつもない執念と、希望に満ちた瞳。

 その瞬間、強い風が吹きつけ、俺の持っていた傘は風にあおられ、飛んでいってしまう。

 二人で雨に打たれながら、見つめ合う静かな時間が数秒続き、


「結人君。私を、選んでくれませんか? 紬ちゃんじゃなくて、私を選んでくれませんか?」


 ザーザーザー


 雨はひたすら降り続ける。しかし、その言葉と状況は雨ですらかき消すことはできない。

 俺は、しっかり秋元の方へ向き、感情を押し殺して言う。


「秋元奈緒の求める青春ラブコメは、そこがゴールなんだな」


「え?」


 秋元は驚いた様子で口をパクパクさせている。


「残念だが、俺は何も選ばない。秋元奈緒。お前は、ヒロインになりたかっただけだよな」


 俺の言葉を聞いて、秋元は何かを諦めたように、目の中の光を失う。雨の音が全てをかき消し、涙すらも洗い流す。

 雲の隙間から漏れる満月の光は、希望を演出するかのように強く、俺たちを輝かせるのだった。



 

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