第3話
彼は、「買うなり出前頼むなりしていい」って言っていた。お金も使っていいと。普段ならありがたく彼の言う通りにするのだけれど、今日はそういう気分ではなかった。それは、今日が自分の誕生日だから、というわけではない。
彼は何時に帰ってくるだろうか。いつもより遅くなるとは言っていたが、具体的に何時とは言っていなかった。
前に、夕方から雨が降り出した日、駅まで傘を持って彼を迎えに行ったことがあった。あの日と同じ時間に、駅へ向かった。
駅前は、たくさんの人とタクシーが行き交っていて賑やかだった。スーツを着た人、学生服を着た人、おしゃれをした自分と同世代に見える女の子たち。彼の姿は見えない。
メール画面は、昨日の『もうすぐ着くよ』という彼からのメッセージで止まっていた。駅前の花壇に腰をかけて待つことにした。ここにいれば、彼を見つけることができる。
花壇に座ってから、人の波は三回ほど流れた。時計を見れば、駅についてから二十分経っていた。帰ろう、とは思わなかった。
それから二回、人並みを見送ると、彼の姿が見えた。多くの人の中でも、簡単に見つけることができた。名前を呼ぶと、彼はあの日以上に驚いているように見えた。
「ナナ!どうしたの!?」
彼を見つけた安心感に、答えるより先に彼に抱きついた。「どうしたどうした」と、若干困っていて、でも優しさの含んだ声が降ってくる。
「なんとなく、そんな気分だったから。」
ようやく顔を上げて彼の問いに答えた。彼の上着を羽織らせてくれて、二人でマンションへ向かって歩き始めた。
「上着も羽織らないで飛び出してきちゃうの、前にもあったよね。」
きっと、あの雨の日のことだ。その日は朝から雲ひとつない晴天だったのに、夕方になり雨が急に降り始めた。家の傘立てに置いてあった彼の傘を持って、慌てて外を飛び出した。慌てていたせいか、傘を持ったままささずに駅へ走っていた。ずぶ濡れになり駅前で立っている私を見て、彼はすごく驚いた顔をしていたのを今でも覚えている。
「家を出るときは、俺にちゃんと連絡してね。」
彼は、私があの日と同じように、慌てて家を出て来たのだと思っているのだろう。
「今日は、あえてだよ。」
部屋の玄関を閉めると同時に、私は言った。彼から借りた上着を脱ぎ、着ていたトレーナーの首元を開けた。彼の顔が、一層優しくなった気がした。
「見つけてくれたんだ。すごく似合ってるよ。」
彼の首元へ腕を回した。
「誕生日、おめでとう。」
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