第13話月見酒(2)
マリエッタは、一人分の天灯作りのセットを持って六角堂に向かった。思った通り六角堂には炎輝がいた。
本棚と本棚の間を行き来して、本を手に取っては中身を確認し戻している。
マリエッタは彼に近づき声をかけた。
「何を探しているの?」
すると、炎輝は慌てて開いていた本を閉じ後ろ手に隠した。いつも冷静な炎輝らしくない態度に、マリエッタが含み笑いをした。
「何を隠したのかなぁ?」
炎輝は顔を逸らして答えない。わずかに頬が赤い。
マリエッタが一歩炎輝に近づくと、炎輝は二歩下がった。ますます笑みを深めたマリエッタは、炎輝に迫る。
「また、人に見られたら恥ずかしい物?」
炎輝に抱きつくように彼の背中に手を伸ばす。炎輝が後ろ手に持っていた本を手に掴んだ。炎輝はため息をついて、隠していた本を手放した。
マリエッタは炎輝から奪い取った本の題名を見て目を見張った。悪夢に悩まされる人の解決法が書かれた本だったのだ。
「これってもしかして……私のため?」
マリエッタが本をパラパラと捲りながら尋ねた。民間療法的なものから、仙術や鬼道を使った札まで色々と幅広く書かれている。
炎輝は、気まずそうにマリエッタから視線を逸らしながら言った。
「以前、眠れないと言っていただろう。何か方法はないかと探していた。いい勉強になった」
炎輝らしい真面目な回答だった。炎輝は懐に手を入れた。懐から何かを取り出す。手には漆黒の紐で編まれた組紐が握られていた。
マリエッタに組紐を手渡す。
「効果は薄いかもしれないがこれを」
マリエッタは宝石でも授けられるのか、というほど大事に炎輝の組紐を両手で受け取った。繊細で細やかな編み方で、よくみると羽黒辰氏の家紋である椿紋の模様が組み込まれている。マリエッタは、家紋に気が付いていない。
「ありがとう。すっごく嬉しい」
マリエッタは、丁寧に組紐を左手首に結びつけた。丁度いい長さだ。
マリエッタは、自分に贈られた物の中で一番嬉しいと思った。自分のことを考え、誰かから贈り物を貰ったのは家族以外で初めての事だった。
一回目に生まれた時には、アレクセイから何かにつけて贈り物はもらった。どれもマリエッタの好みではなかった。マリエッタは自分が大切にされていないことに目を瞑っていた。
二回目に生まれ変わり、アレクセイと婚約者ではなくなって気がついた。
——アレクセイは、私を見ていなかった、と。
感激のあまりに満面の笑みを浮かべるマリエッタに炎輝はさらに頬を赤らめる。高くなる鼓動を鎮めるためにマリエッタから目を逸らし、話題を変えた。
「手に持っているのはなんだ?」
「あ、そうだった。炎輝、天灯を作ろうよ」
「うん」
炎輝は素直に頷いた。拍子抜けするほどあっさり了承したのでマリエッタは口をぽかんと開けた。
手を差し出す炎輝にマリエッタは、天灯作成の一式を渡した。
いつもの机を囲んで向き合って座る。マリエッタはマジマジと炎輝の手元を覗き込んだ。
「炎輝って器用なのね。この飾り紐といい」
炎輝は天灯を作ったことがある。マリエッタがせっかく説明しようとしてもそれより先に天灯を形作っていった。
「マリエッタはもう作ったのか?」
「さっき食堂で月娥と一緒に。月娥すごいのよお祭りを盛り上げようとたくさん天灯を作っているの」
「そうか」
黙々と天灯を作成する炎輝の横で、おしゃべりをしていたら邪魔だろうとマリエッタは、立ち上がった。
「私も手伝ってこようかな」
「マリエッタ」
炎輝は、マリエッタを引き止めた。
「うん?」
彼は、天灯を作っていた手を止めて、マリエッタを見上げた。
「武術大会で剣舞の募集がある。共に参加しないか?」
「私と?」
マリエッタはもう一度座り直す。
「そうだ。俺はマリエッタと剣舞がしたい」
真剣に曇りのない瞳で、炎輝はマリエッタを見つめた。炎輝の瞳は穏やかな湖のように凪いでいて透き通っている。
「剣舞は初心者だけれど良い?」
「うん」
マリエッタは、炎輝が自分に対して気安く返事をしてくることに気がついた。心を許してくれているようで、マリエッタの心に燈が灯る。
「そうなったら、練習場を借りないとね」
「剣舞は、舞の技術も当然競うが演出の美しさも大きな加点要因だ。衣装を揃えたり、術を使って派手な効果を狙ったりする」
「お揃いの衣装! 良いかも」
「どんな衣装がいい?」
「全く同じでもいいけど、私と炎輝は相剋の属性同士だから、意匠は同じだけれど、色は正反対で装飾だけがお揃いとか。工夫のしがいがありそう」
マリエッタは、見目麗しい炎輝をじっと見つめた。彼はなんでも似合いそうだが、彼の美しさを引き立たせる衣装を着せたい。マリエッタはそう考えていた。
(炎輝は水術を使うし、冷静沈着でまさに水のような人だけれど。本当は炎のように燃え上がるような所だってある)
マリエッタは、炎輝の強情さや感情の起伏だって知っていた。そんなところを衣装に出せたら、素敵な剣舞になるに違いない。
剣舞の練習は、翌日から行われた。二人で揃えての動きや線対象になるように動いたりと炎輝とマリエッタで振り付けを考えていく。最大の特徴は二人の身長差である。剣舞を二人で行う場合は対になる美しさが求められるので、同じ身長の者同士で行うことが多い。
そのため、身長差のあるマリエッタと炎輝では不利である。それをお互いの演技と術で補っていくのだ。
自然と術を使い派手な動きになっていく。
マリエッタにとって、剣舞は初めてだったが、炎輝と合わせるのはやりやすかった。相性が良いのだ。
炎と水の対照的な二人だがお互いの悪い点を補っている組み合わせだった。
遅くまで練習をするので、部屋に戻る頃にはへとへとになっていた。マリエッタは、夜に沈むように眠る。
以前なら、疲れている時でも悪夢を見ていた。しかし、今は悪夢を見ることはない。
(この腕輪、本当に何でできているのだろう? 悪夢を見なくなった)
六角堂で炎輝に手渡されてから、ずっと黒い組紐の腕輪を外したことはない。悪夢を遠ざける呪いの組紐だが、マリエッタに取ってはそれ以上の意味を持っていた。
この組紐をつけていると、炎輝がそばにいるような気がするのだ。いつも冷静に、時折感情的に自分を叱咤してくれる炎輝の存在は、マリエッタの中で確実に大きくなっていった。
ある日の夜、マリエッタは食堂からの帰り道で珍しいものを見つけた。学舎の黒い瓦屋根の上に炎輝が座っているのである。
いつもより大きな満月の夜で、成人した者たちは集まって月見酒の宴会をしていた。
規律に厳しい炎輝が、学舎の屋根の上に座っているだけで珍しい。マリエッタは、面白いことになりそうだ、と目を輝かせた。学舎の近くに生えていた松の大木の枝に足をかけ、自らも屋根の上に上がった。
「炎輝、こんなところで何をしているの?」
空を見上げている炎輝の隣に、マリエッタは座った。マリエッタの方を見ずに、炎輝は答える。
「見て分からないか。月見だ」
「酒も持たずに?」
「酒を飲まずとも、月の良さはわかる」
「師父や高長たちは、月見には酒だと言っていたわ」
高長と芳明は昨日、それぞれの出身地から帰ってきていた。成人の儀式を終えた二人は冠をつけていた。何かが変わったわけではないが、二人は成人になったのだ。
高長と、芳明は大人たちに囲まれて成人の祝いの酒宴を開いていた。
マリエッタは、年頃になっても
「はぁ……お前は何を習っているのだ。仮にも貴族の令嬢だったのだろう? 慎みをもて」
マリエッタは、自分の出身地を炎輝には打ち明けていた。炎輝は全く驚かなかった。マリエッタの仕草や話し方である程度の予想をしていたからだ。
「そんな嫌味ばかりを言っているから、友達が居ないんだわ」
「なんだと?」
炎輝は、眉を釣り上げてマリエッタを睨む。
「ほら、その顔! 怖い顔……わわわ……ちょっと!」
マリエッタに向き直り、彼女の頭に炎輝は、手を伸ばした。マリエッタの髪がくしゃくしゃになるように撫でる。彼は顔こそ怖い表情を崩さないようにしているが、目の奥が優しい。
マリエッタは、炎輝の魔の手から逃れようと、炎輝の腕を掴んだ。
「お前こそ、ちょっとは愛らしくしろ……!」
炎輝の手を掴んだマリエッタに、炎輝は呆れた。
「そんなことをしても」
マリエッタの声が震える。
いつものマリエッタであれば、炎輝との軽い応酬は聞きした。しかし今日は。
——今は、琴線に引っかかり聞き流すことができない。
マリエッタの瞳から、涙が一筋頬を伝って落ちた。
「泣くな」
これに慌てたのは炎輝である。
元々、生真面目な性質の炎輝は、罪悪感に苛まれた。
泣くほどのことを言ったのだろうか、と動揺する。
炎輝に泣いていることを指摘され、ようやく自分が涙を零したことに気がついたマリエッタは、手の甲で涙を拭う。それでも両目から涙が溢れてくるので、両手で顔を覆った。
「可愛らしいふりをしても誰も助けてくれなかったわ」
両手で顔を隠し、膝を抱えて座る。感情を抑えるために、つま先が丸まっている。
一回目の時は、「理想の公爵令嬢」という生活を送っていたつもりだったが、誰にも認めてもらえなかった。
二回目の時は、「敬虔な修道女」という生活を送っていたが冤罪を晴らすことはできなかった。
三回目の今は、「可愛い服装がしたい」と思う自分を殺して騎士の道を選んだ。騎士の姿も悪くない。自分に似合っているのは、新しい発見だった。
だけれど。
可愛らしいドレスを着て、許嫁と幸せに生活する事を願わずにはいられない。
マリエッタにとって、三回も人生をやり直してもできなかったことだ。
「俺が聞いてどうにかなることか?」
「この想いは私だけのもの。私が抱えて生きていく」
「ならば、背を貸そう。今日だけは寄りかかっても良い」
炎輝はマリエッタに背を向けた。炎輝はマリエッタの泣き顔を見ないように配慮したのだ。
マリエッタは一回目の時も、二回目の時も成長してからアレクセイには泣き顔を決して見せなかったことに気がついた。
「何、それ」
マリエッタの声は震えている。
「友は、背中を貸す者だろう?」
「バカ」
マリエッタは炎輝と背中合わせに座った。自分の体重を炎輝の背中に預ける。炎輝の体温を背中越しに感じた。
「うん」
炎輝はマリエッタの頭頂部に自分の後頭部を触れさせた。空を見上げて、大きな満月を眺める。
「バカ、馬鹿!」
マリエッタは気が付いてしまった。
——どうやら自分は、アレクセイよりも炎輝に心を許していると。
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