第12話月見酒(1)
夕食時になり、食堂が混雑し始めた頃。芳明は食堂にてひとりで食事をする炎輝を見つけた。
いつもは六角堂の主人のように、滅多に出ることがない。珍しい人物に食事にやってきた他の門弟たちは、遠巻きに炎輝の様子を伺っている。炎輝の座っている場所だけ誰も座っていないので、空間が空いていた。
「あれ?珍しいね。炎輝がここにいるの」
芳明が声をかけると、炎輝は、食事の手を止めて顔を上げた。相変わらず同じ年頃の男性よりも食事の摂取量が少ない。
「うん」
短く答えただけで芳明は、何があったのかわからなかった。ただ、異常事態であることだけは分かったので、さらに言葉を重ねる。
「どうしたの?」
炎輝は返答せずに黙々と食事を続けた。
「黙っていると解らないよ」
芳明が少しだけ苛立ち始めた頃、月娥が芳明の背後から声をかけた。手には
牛肉の塊と野菜を煮込んだ免料理だ。野菜と牛肉の味が絡み合うスープが絶品なので食堂では1番人気の商品だ。
「まるわかりだわ。マリエッタと喧嘩したのよ」
「喧嘩ではない」
炎輝が即答した。炎輝は相変わらず鹹粥だけを食べている。
「あら?ハズレ」
「怒らせた」
炎輝は相変わらず無表情だったが、心なしか肩を落としているように見える。滅多に見せない炎輝の心の揺れに、芳明と月娥は顔を見合わせた。
「明らかに訳ありの奴にそういうことを聞くか?」
食事に来た高長も加わり、炎輝から経緯を聞いた。高長の正論に炎輝の眉根が寄る。
「普通、怒るわよ」
月娥も呆れて的確な助言ができていない。年頃の女性の髪の長さが肩より短い時点で察するべきことは有り余る。
「でも珍しいね。炎輝はあまり他人に興味がないでしょう」
「そんなことは」
「そんなことはない、とは言わせないわよ」
炎輝の反論を遮って月娥がぴしゃりと言った。炎輝は押し黙った。
「炎輝は、どうしたいの?」
月娥はまるで小さい子供に尋ねるように言った。炎輝は気を悪くした風でもなく真面目に答えた。
「マリエッタに許しを乞う。だが、彼女のことがもっと知りたいと思う」
「マリエッタが話しても良い相手だと思うほど信頼を得るといいと思うよ」
芳明の助言にさらに追加するように高長は言った。
「陳腐な言い回しだが、まずは『友達になろう』ってところからだな」
月娥がマリエッタの夕食を盆に乗せて持ってきた。月娥が食べたものと同じ
高長が、盆を炎輝に渡すように月娥に言った。
「許しを乞うなら早い方がいい。マリエッタは夕食を食べに来ていないから、ついでに持って行け」
「ありがとう」
炎輝は、マリエッタの夕食を大事そうに持って食堂から出ていった。
陽が落ちて辺りが暗くなり始める。六角堂の釣り燈籠に火が灯されていた。
もう部屋に帰ってしまったのか、と炎輝は思ったが六角堂の窓から燭台の灯とマリエッタが書庫を整理している様子が見えた。
炎輝は一縷の望みをかけて、六角堂の扉を横に引いたが開かない。鍵がかけられている。
「マリエッタ、ここを開けてくれないか」
炎輝は、懇願するように六角堂の中にいるマリエッタに呼びかける。応答はない。
「無神経なことを言ったのは謝る」
炎輝は素直に自分の非を認めた。六角堂の中にある燭台が揺れる。
「君のことが心配なのも本当だ」
燭台の灯が徐々に炎輝のいる所に近づいてくる。
炎輝は、もう一押しするように懇願した。
「マリエッタ、お願いだ」
ついに六角堂の扉は開かれた。そこには燭台を手にしたマリエッタが無表情で立っていた。
「炎輝、もう怒っていないわ」
マリエッタにいつもの笑顔はない。それほど深く傷つけたのだと炎輝は悔やむ。
「マリエッタ、すまない」
「私は、言えないことがあるの」
「知っている」
炎輝の返答に、マリエッタは、俯きがちに視線を左右に揺らして言った。
「それでもいいの?」
「いつの日か話しをしてくれればいい」
——友達になってくれないか。
なぜかその言葉を炎輝は、口にすることを躊躇われた。口にしたら、自分に嘘をついたような気がして。
武術大会はこれまでの成果を発表する場でもあるが、厳しい修行の息抜きのお祭りでもある。伝統的に夕方から夜にかけて天灯を飛ばす。
「何を作っているの?」
マリエッタは、鬼道の練習が終わって学舎に戻って来て、部屋にいた月がに声をかけた。月娥は別の授業だったので先に学舎に戻っていた。彼女は、竹籤で人の頭ぐらいの大きさの直方体を作っている。
「天灯よ」
月娥は手を止めて答えた。珍しく月娥の近くに高長と芳明がいない。
「天灯?」
マリエッタが不思議そうに首を傾げたので月娥が説明する。
「武術大会の日の夜に、空に飛ばす灯籠を作っているの」
「どのぐらい作るの?」
「沢山。多い方が超綺麗だよ。一人一個は作るかな」
「なんで?」
「願掛けするの」
夜、灯籠、天灯、願掛け。
マリエッタは二番目に修道女として生活をしていた時に見つけた本の挿絵を思い出した。
広い草原で夜空にいっぱいに天灯が飛んでいる。人々がそれを見上げて。
「天に届いて願いが叶うって言われているの」
——あれは天に願いを届けるためだったのか。
幻想的な挿絵を絞首刑になるまで覚えていた。あまりに美しくて、いつか行ってみたいとずっと思っていた。
心のどこかで行けないと、修道女の時は諦めていたけれど。
「これって有名なお祭りだったりする? 草原で天灯を飛ばすの?」
もし、あの夢が叶うなら。
「マリエッタが言っているのは、楽紅夏氏の天灯祭じゃないかな」
月娥が竹籤の形を整えながら言った。仙洞門のお祭りではないようだ。
「天灯祭?」
「楽紅で夏に行われるお祭りだよ。草原に集まって夜に天灯を飛ばすの」
修道女の時は、何もかもを諦めて生きていた。ただ、ひっそりと日々、生きることだけを望んでいた。
その時に心を灯したあの光景を見ることができるなら。
マリエッタは、小さな声で希望を零した。修道女の時には口にすることすら憚られたこと。
「行ってみたいな」
月娥は聞き逃さずに答える。
「マリエッタは、楽紅夏氏の特徴がよく出ているから、楽紅に行く機会は多くなると思うよ」
「みんなで、行ってみたいな」
たった一人で行きたいわけではない。マリエッタは身分にとらわれず初めてできた友人たちと、共に旅がしてみたかった。
「みんなぁ?」
月娥は別の意味に取ったようだ。にやにやと笑いながらマリエッタを見返す。
「何よ、その顔」
「誰かと二人っきりの方がいいんじゃないの?」
「え? 私、別に炎輝といつも一緒にいるわけじゃ」
咄嗟にマリエッタは、炎輝との仲を否定した。
「私は炎輝とは一言も言ってないわ」
月娥としては気になるのだ。あの日、夕食を届けに行った炎輝は、戻ってくることはなかった。当然マリエッタと仲直りしたことは、分かっている。翌朝、何事もなかったのように二人で一緒に授業を受けていたから。
問題は、その先で。
炎輝は、自覚したのだろうか?
「月娥!」
まんまと本音を引き出されてしまったマリエッタは月娥に文句を言うが相手にされない。
マリエッタは話題を変えることにした。
「そういえば、なんで高長と芳明はいないの?」
月娥、高長、芳明の三人は一緒にいることが多い。天灯作りをあの二人がやっていないのは不自然だ。
「あの二人なら
「冠礼?」
またマリエッタの知らない言葉が出てきた。
「大人になった証として、親や兄姉から冠を授かる儀式。今まで適当だった髪型だけど、ちゃんと冠をつけるようになるよ」
高長も芳明も長い髪を一つに結い上げるか、長いままで風に靡かせていた。紐で結ぶばかりで飾りをつけているのはみたことがない。対して、書維や文俊は髪を下ろしているときでも冠を必ずつけていた。
あれは、大人の証だったのだ。
「月娥はやらないの?」
成人の儀式であれば、月娥も行うはずだ。マリエッタは問いかけた。
「女子は
笄礼は、おろしていた髪を親、兄姉に結い上げてもらい
月娥は髪型を色々変えたり、飾り立てているが笄だけはつけていない。
「服装も変わるんだっけ?」
以前、月娥が、仙洞門五氏の不思議な習慣について教えてくれたことがあった。その時、子供か大人かで服装が変わることを知った。
「大人として扱われるから変えてもいいんだけど、大体は仙洞門を卒業してからかな」
「炎輝は、冠礼をしていないわね」
マリエッタが炎輝の話を出すと月娥は再びにやにやした。
炎輝は美しい黒髪を下ろしていることが多い。横の髪だけを後頭部で結び紐で飾るか、小さな金属の飾りをつけていることが多い。
「炎輝は仙洞門卒業と同時じゃないかな。ああ見えて炎輝は、仙洞門五氏の中で上位を争うほどの婿候補だよ」
炎輝は、眉目秀麗で仙洞門での成績も優秀。名門羽黒辰氏の二男である。嫡男が家を継ぐのが慣例なので炎輝は婿に出る可能性が高い。そのため、各家で娘を持っている親たちは炎輝を婿にと望む者が多い。
「意外と人気があるのね」
マリエッタは炎輝の人気にモヤモヤした気持ちを抱いた。
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