第5話開花した才能

 マリエッタは、とぼとぼと歩きながら女子棟に向かった。途中で月娥ユエェ高長ザンガオ、同じ授業を受けている李芳明ファンミンがいた。

 李芳明ファンミンは、李書維ショウウェイの甥っ子だ。青色を基調とした服を着ている。藍天李らんてんリー氏の一門だ。

 学舎近くで三人は、遅くなるまで集まって話をしていた。彼らも宿舎に帰る途中だった。マリエッタと合流する。慌てて六角堂から出てきたマリエッタから事情を聞いて月娥ユエェは、呆れたように言った。


「それで出てきたの?」


「だって、剣幕がすごくて」


 マリエッタは、六角堂へ振り返った。なぜか入り口で炎輝イェンフイが不機嫌さを隠しもしないで仁王立ちし、マリエッタを睨んでいる。

 マリエッタは、何も見なかったことにした。六角堂に背を向ける。

 歩きながら芳明ファンミンが信じられないものを見たかのように言った。


「あの辰炎輝イェンフイが? 怒鳴る? いつも冷静で顔の表情を変えない辰炎輝イェンフイが?」


「課題どうしよう。全く終わらない」


 芳明ファンミンの言うことはマリエッタの耳にまったく耳に入っていない。マリエッタは、課題提出の締め切りが迫っているので焦っている。

 炎輝イェンフイの怒り心頭により、マリエッタは、課題を手伝ってくれる人材を失っていた。

 落ち込んでいるマリエッタに月娥ユエェは、軽く言い放った。


「適当に書けば終わるし」


「その適当が、できていないの。文字を正しく書くのも大変なのに」


「あ、そっか。マリエッタ文字もろくに書けないんだっけ。誰かのを写したらすぐにバレちゃうね」


炎輝イェンフイに教えてもらって、どうにか提出しようとしたんだけど」


「明日、謝りなよ。何を言って怒らせたのか知らないけど」


 さすがにマリエッタは、炎輝イェンフイの名誉のために彼が初心であることを三人には伏せた。

 ちょうど宿舎の前まで来たので四人は立ち止まった。


「やっぱり私が悪いの?」


 聞き返すマリエッタに、高長ザンガオが返答した。


辰炎輝イェンフイは意味もなく怒る人物ではない」


炎輝イェンフイへの信頼度が高い」


 マリエッタと月娥ユエェに挨拶して高長ザンガオ芳明ファンミンは男子棟へと向かった。


「ほらほら、部屋に帰ろう」


 うじうじするマリエッタを月娥ユエェは、促して女子棟の方へと連れて行った。




 日の出とともに宿舎の前で炎輝イェンフイが、マリエッタを待ち構えているのがいつもの習慣である。翌朝、マリエッタは、さすがに炎輝イェンフイが待っていないだろうと高をくくっていた。宿舎から出ると、意外にも炎輝イェンフイが涼しい表情をして待っていた。


「あ、おはよう。炎輝イェンフイ


「おはよう。マリエッタ」


 炎輝イェンフイは、いつもの通りの無表情でマリエッタに挨拶を返した。そんな彼を穴が開きそうなほどマリエッタは見つめた。


「どうした?」


「昨日は、ごめん」


「……! 思い出させるな」


 炎輝イェンフイはほんのりと耳を赤くした。


「あ、はい」


「課題は?」


「終わっていません」


 潔いマリエッタの回答に、炎輝イェンフイの眉根の溝は深まる。

 

「授業後、六角堂へ」


 溜息交じりに紡がれた言葉に、マリエッタは神妙に頷いた。




 授業が終わり、二人で連れ立って六角堂へ向かう。李書維ショウウェイやほかの老師せんせい達はマリエッタと炎輝イェンフイを二人一組と考えているようだった。

 いつものように六角堂の定位置に座り、炎輝イェンフイがマリエッタに今日の授業の復習と課題を教える。


「話を聞いていたのか?」


 本を片手に炎輝イェンフイは、溜息をついて言った。マリエッタは、慌てて言い訳する。


「いや、その……禁術の考え方は難しいわ。人を生き返らせてはいけないのは分かる。失敗するから。でも、時間を遡るのは、何故禁止なのかしら? 成功したか失敗したかは誰もわからないでしょう」


「本当に成功したのか、失敗したのかは当事者でなければ分からない。しかし、禁書に残る術を行使するのは禁止された」


「なんで?」

 

「大量の人の命が必要だったからだ」

 

「師父は、そこまで話さなかったわ」

 

「神話で有名な話だからしなかったのだろう」


 緋国の神話では、時を戻そうとした皇帝が儀式のために臣民を虐殺する話が残されている。

 マリエッタは腑に落ちないながらも黙ることにした。

 ぺらぺらと本を捲りマリエッタは、『五行相関図』を指して炎輝イェンフイに問う。

 五行相関図は、仙洞五氏を代表とする木、火、土、金、水の五つの属性で世の中を表している図だ。


「ねぇ、私ってどのタイプかな」


 炎輝イェンフイは、マリエッタの指したところをちらりとも見ずに流れるように回答した。


「さあな。仙洞五氏に生まれた者は、自分の氏素性の特性を引き継ぐ場合が多い。俺の場合、羽黒辰はぐろチェン氏は水術が得意と言った具合に。育った環境も影響しているのだろう。だいたいの者はその特性が開花する。仙洞五氏以外の出身者はその性格、行動、物事の好き嫌いなどで仙洞五氏に一番近い特性が開花する。それを助けるのが明日に行われる『天石の儀』だ」


「石を触るだけで才能が開花するの?」


「石を触った時点で、その人物の特徴がわかる。ある程度成長すると、人間はそうそう考えや行動、好みを変えることはできない。石が示す特徴で修行すれば、鬼道が使える者もいる」


「使えなかったら」


「仙洞五氏以外で鬼道を使えない者は、多い。剣術を極めるか、後方支援に回るか。何も前線に出て妖魔を退治するだけが仙洞門せんとうもんの役目ではない。妖魔を退治した後被害に遭った民達を励まし、村を復興する手伝いをする後方支援も大変だろう」


「え? 単に妖魔退治をしているだけじゃないの?」


 マリエッタは、国にいたころ仙洞門せんとうもんは妖魔退治をする組織だと、聞いていた。まさか退治した後のことまで援助しているとは思っていなかった。


「仙洞門五氏は、そのまま緋国の領土を治める領主でもある。領民を健やかに過ごせるように整えるのは領主の役目だ」


 仙洞五氏は領地を表す名字でもある。羽黒辰はぐろチェン氏の場合は羽黒はぐろ地方を治めるチェン氏の意味である。


「そうか。仙洞門せんとうもんって単なる妖魔退治の集団だと思っていた。仙洞門五氏一門に名を連ねるための教育の場だったんだ」


「基本的に仙洞門せんとうもんを卒業すると、仙洞門五氏出身者は、それぞれの領地に帰る。それ以外の者は、才能が開花した一門に引き取られるか、仙洞門せんとうもんに残り人手の足りないところに赴いて任務を行う」


「じゃあ、私が水術の才能に目覚めなかったら、卒業と同時に炎輝イェンフイとはお別れってこと?」


「そうなる」


「寂しい! 明日、水術が開花するようにお願いしないと」


 マリエッタの言葉に、炎輝イェンフイは驚いたようにマリエッタを見返した。


「どうしたの?」


「冗談でもそういうことを言うな」


 マリエッタのまっすぐな視線から逃れるように炎輝イェンフイは、顔を背けた。


「え? 何が? 炎輝イェンフイと一緒に居たいっていうのはダメなの? そういう冷たいことをいうから、友達がいないんだよ」


「出て行け!」


「え? またぁ。そこ、怒るところ? 事実よ」


「失せろ!」


 マリエッタは、再び炎輝イェンフイを怒らせ六角堂から出て行く羽目になった。



 仙洞門の奥に「天石」と呼ばれる大きな石がある。

 天石の儀に参加する者の他に野次馬達も集まってきていた。


「これから『天石の儀』を行う」


 天石の前には、李書維ショウウェイが立っている。

 この石に触ることにより天恵が降り鬼道の術が使えるようになるという言い伝えがある。

 マリエッタのような仙洞五氏以外の出身者は、全部で二十名ほどだ。全員が灰色の服装をしている。

 書維ショウウェイは、順番に名前を呼んだ。呼ばれた者は、天石の前に進み出て、そっと手のひらで石に触れる。

 ほかの参加者達は、石に触れただけで何かが起こった様子は見られない。


「マリエッタ・ドロニナ前へ」


 マリエッタもほかの参加者と同じように天石に手を伸ばして触れた。

 ヒヤリとした感触。普通の石のようだ。

 何もないのか、と油断したところで触れた手のひらからしびれるような感覚が全身を駆け巡る。


 ――ぐっ


 マリエッタは、お腹に力を入れて叫びそうになるのを堪える。


(え……なんだろう。体の奥が熱い)


 マリエッタは、自分の視線がゆっくりと傾くのに気がついた。


 ――空が、青い


 体が倒れることを知覚してもマリエッタは、足に力を込めて踏ん張れなかった。どうでもいい事が脳裏をよぎった。そのまま地面に崩れ落ちていく。


「マリエッタ!」


 なぜか、今までに聞いたことがないほど慌てた炎輝イェンフイの声が、マリエッタのすぐ近くで聞こえた。地面に倒れる前に誰かに抱き留められたのだ、と理解したところで意識が途切れた。


 ――ここは夢の世界だ。


 マリエッタは、唐突に理解した。かつての自分の人生が周囲に映し出され早送りで過ぎていく。いつもアレクセイが「婚約破棄だ!」と言った時から人生が崩壊していく。エレオノーラが地べたに這いつくばるマリエッタを嘲笑した。


 もう一段深いところに来た、とマリエッタは思った。あたりは闇に包まれている。どこへ進んでいるのかわからなかったがマリエッタは、前へ歩き出した。

 明かりもないのに前方に「何かある」ことに気がついた。人がひとり入れそうな大きな箱が二つ並んでいる。


 ――棺だ。


 マリエッタは、何故かそれが棺であると知っていた。見てはいけないと恐れる心がありながらマリエッタは近づき棺をのぞき込んだ。

 棺の蓋は開いていた。中に眠っていたのはかつての自分達である。


 マリエッタは声にならない悲鳴を上げた。

 忘れられない。

 今は生き延びれたとしてもかつて二回も冤罪で殺されたことを忘れたことはない。


 ――憎い!!


 激情がマリエッタの体の中を駆け巡り燃え盛る炎となって体を焼き尽くすのを感じた。




 次にマリエッタの意識が浮上した時は、天石の前ではない。どこかの部屋の天蓋付きの寝台に寝かされていた。


「ここは」


 かすれた声でマリエッタが問えばすぐに返答があった。


「気がついたか」


炎輝イェンフイ?」


 炎輝イェンフイが書を手にしたまま天蓋を開けた。相変わらずの無表情でマリエッタに淡々と問いかける。


「『天石の儀』で気を失ったのだ。どこかに痛みは? 体調は?」


「大丈夫。でもなんだか、体の奥に熱い芯があるみたい」


 天石を触った直後、全身に痺れを感じた。そのままずっと体の芯が加熱されているような状態だった。


「儀式は成功したそうだ。修練を積めば鬼道が使えるようになる」


 天石の儀が成功したと聞いてマリエッタは、起き上がって炎輝イェンフイに強請った。


「簡単な術を見せて」


 今日ばかりはマリエッタの我が儘に炎輝イェンフイは、つきあうことにした。炎輝イェンフイは、右手のひらを上に向けた。


「よく見ていろ」


 炎輝イェンフイの手のひらから小さな水でできた球体がいくつも出てきて宙に浮かんだ。水の球体はゆらゆらと漂いながら上に飛んでいく。やがてはじけて消えてなくなった。

 周りの景色を移し込んで虹色に飛んでいく水球の幻想的な美しさにマリエッタは、見惚れる。


「私もできるかな……?」


 マリエッタも同じように右手のひらを上に向けて手のひらから水が出てくることを想像した。すると体の中心に燃えていた炎が右手のひらまで駆け抜ける感覚がした。次の瞬間、手のひらにぽっと蝋燭に点したような小さな炎が出現した。


「これは、炎術。楽紅夏らっこうシャア氏か!」


 マリエッタが炎術の才能に開花した瞬間だった。

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