第6話夜間の外出

 翌朝マリエッタ達、仙洞門で学ぶ者達は一堂に集められた。円陣の中央で李書維が話し始めた。


「天石の儀を終えた者達が鬼道を使えるようになったか確認する」


 灰色を基調とした服を着た者達を中央に集め順に力の発露をみせる。それぞれが思い思いに各属性の力を披露する。半数あまりが鬼道に開花したようだ。

 書維がマリエッタを呼んだ。


「マリエッタ、前へ」


 マリエッタは一歩前にでて目をつぶった。想像するのは二番目の修道女をしていたときに挿絵で見た緋国の祭りの様子だ。祭りの名前はもう、覚えていない。

 広い草原でランタンが灯され、夜空にランタンが舞い上がる幻想的な風景。

 清貧を心がける修道院でいつか行ってみたいと心のより所にしていた場所。


 マリエッタの周りに炎でできた小さな球体が次々と生じる。それがふわりと空に舞い上がっていく。炎の球体は風に吹かれ炎を揺らしながらゆらり、ゆらりと天に昇っていく。

 幻想的な光景に誰もが息をのんだ。


 書維が満足そうに頷いて宣言した。


「炎術、開花とする」



 それからのマリエッタは快進撃を続けていた。続けて行われた剣術の授業でマリエッタは再び桃高長と対戦をしたのだ。


 高長はマリエッタとの対戦が不満そうであった。マリエッタを見下しているのかちゃんと剣を構えもしない。高長がマリエッタを挑発する。


「何度やっても同じ事だ」


 開始の合図とともにマリエッタは炎が勢いよく燃え広がるように素早く高長へ踏み込んだ。剣を構えていなかった高長は対応に遅れた。

 高長は剣をはじき飛ばされ、初めて対戦したときとは逆にマリエッタによって首元に剣を突きつけられていた。

 あっという間の出来事で、マリエッタの圧勝であった。


「勝者。マリエッタ!」


 審判役がマリエッタの勝利を告げた。マリエッタが月娥と楽しそうに笑い合っているのを炎輝は眩しい思いで遠くにみつめていた。



 授業が終わり、いつものようにマリエッタと炎輝は六角堂に集まっていた。

 マリエッタは座学でも授業についていけるようになり、生活にも慣れたということで炎輝との二人一組での生活は今日が最後でよい、と書維から告げられていた。


 定位置に座り、炎輝は書に目を向けたまま言った。


「今日は随分と調子が良さそうだったな」


 マリエッタの活躍は炎輝も目を見張るものだった。あと一歩理解が及ばないというところもあったが、今日はそういった心配がまったくなかった。

 剣術における体の使い方も無駄が減った。


「炎術が使えるようになってから、体が軽いの。なんでもうまくいきそうだし」


 マリエッタは、立ち上がるとその場でバク転をしてみせる。六角堂の中で不作法なことをするので炎輝の眉が寄った。


「五行に目覚めたからだろう。無意識に世界の力を使えるようになる」


 緋国では世界は五行に分けられると考えられている。五行の考えを元に仙洞五氏が生まれた。五行の力に最も支配されている一族であるといえる。

 マリエッタも五行のひとつである炎に目覚めたので世界に流れる力を感じ取れるようになり、身体が軽く感じられるようになったのだ。


「高長から一本取れたのは最高だったわ」


「それで、課題は終わったのか?」


「まだ。今度は木属性の妖魔を倒すときの定石なんだけれど」


 マリエッタが新たに課せられた論文を炎輝に見せた。最初の頃に比べて文字もだいぶ上手になった。炎輝に言わせればまだ「下手」な部類ではあるが、読めないわけではない。

 こうして二人で六角堂で勉強している以外にも他に時間をとって学んでいるのかマリエッタはいろいろな知識を吸収していって、今では座学では中程度の理解度だ。


 炎輝はマリエッタに教えるのが楽になった、と思いながら今日でこうして教えるのも終わりになるのかと寂しさを感じた。


「相克の術を使うのはどの場合も同じだ、その上で――」


 マリエッタと炎輝は夕食を食べた後も二人で課題をこなしていた。そして、炎輝は寂しさをマリエッタに告げることなく宿舎に帰って行った。



 その日の夜、部屋に戻ったマリエッタは後は寝るだけという支度までして寝台に座った。寝台からすっかり暗くなった窓の外を眺める。

 仙洞門は夜間、主要な道には灯籠を灯している。炎術の得意な者が日替わりで術をかけているのだ。ぽつぽつと灯された灯籠が暗闇に浮かび里の入り口である門まで続いている。


「眠れない」


 マリエッタは頭を抱えて溜息をついた。体は軽く感じできないことができるようになって絶好調ではあるが同時に悩みが増えていた。

 毎晩、悪夢を見るのだ。以前から前世の夢を見ることは頻繁にあったが、うなされるほどの悪夢の回数は希であった。


(あの顔が忘れられない。どうしても夢に見る)


 天石の儀の時に見た、かつての二人の自分の死に顔を夢に見る。二人とも目を開き棺から起き上がり、虚ろな瞳で言うのだ。


 ――このままで良いと思うのか。我らの無念を知れ


 二人とも絶望して死んでいったのだ。自分を陥れた者を決して許しはしないという思いを恨みに変えながら。


 マリエッタは窓から飛び出して、軽やかに宿舎の屋根に上がった。以前はできなかったことだが、今では造作もないことだ。

 屋根の上から仙洞門を見る。理想郷のような山河に美味しい食事。故郷にいた頃に比べたら遙かに善人である隣人達。

 ここが、理想郷であればあるほどマリエッタの悪夢は深くなった。

 屋根から屋根へと飛び移り、マリエッタはとうとう仙洞門の入り口の門までやってきた。


「ここから帰って、息の根を止めれば夢が終わるの?」


 目覚めた鬼道を使えば、貶めたエレーナも、見る目のないアレクセイも証拠を残すことなく殺すことができる。

 なにしろ、鬼道はマリエッタの故郷では知られていない術なのだから。

 暗い誘惑にマリエッタの心が揺れる。あと一歩踏み出せば仙洞門から出られる。


 ふと、マリエッタの耳に横笛の悲しい旋律が聞こえてきた。緋国では竹で作られた横笛を演奏する者がそれなりにいて、マリエッタも美しい音色が好きだった。誰かに呼びかけるようなもの悲しい横笛の旋律に、マリエッタは暗い誘惑から我に返った。

 来た道をまた戻り始めた。


 心の底の誰にも知られない奥深くに、暗い誘惑をしまい込んで。



 炎輝の朝のお迎えもなくなり、授業後も自分の自由に使えるとなってマリエッタは里のあちこちをうろうろし始めた。

 マリエッタと炎輝は毎日のように六角堂に籠もって課題や勉強をしていたが他の者達は空いている部屋を借りたり、食堂に集まって課題をしているようだった。

 マリエッタが食堂へ行くと思月娥と桃高長、李芳明の三名が頭を寄せ合って何かをしていた。


「月娥たちは課題をやっているの?」


「そうだよ。一人じゃ飽きちゃうし、集まってやると便利だしね」


「炎輝は?」


 炎輝、月娥、高長、芳明の四人は歳も近く同じ五氏直系の子供として小さい頃からの幼なじみである。仲は悪くなさそうなのに四人が一緒にいるところをマリエッタは見たことがない。


「辰炎輝がみんなと課題をやるわけないだろう。六角堂か自分の部屋で一人で課題をこなしている。羽黒辰氏の貴公子は優秀だと有名だ」


 マリエッタの疑問に高長が答えた。


「確かに優秀だけど」


 マリエッタはどうも腑に落ちない。炎輝は問いかければちゃんと答えてくれる人物である。意地悪で答えないと言うことはない。誠実な人柄である。ちょっと発火点が他人より低くてすぐに怒る欠点がある、とマリエッタは思っていた。

 その発火点に積極的にマリエッタが火をつけに言っていることを自身は気がついていない。


「別に仲間はずれにしているわけじゃないよ。僕たちも何度か誘ったけど応じてもらえなかっただけ」


「マリエッタはよく炎輝と一緒に勉強できるな、ってそこは私、尊敬する」


「え?そんな?」


 芳明も月娥も炎輝と一緒に勉強をするということを考えられないみたいで、マリエッタは余計に驚いた。


「無口、無愛想。だけど顔は逸品だから女の子からの人気は高いよ」


 芳明の言葉はマリエッタにも思い当たる節があった。集落を散歩していると年頃の女の子達が「貴公子」と噂をしているのは辰炎輝か、その兄の辰亮緯である。

 特に辰炎輝の魅力は、誰にも愛想を振りまかないのが良いと評判であった。


「辰氏はみんな顔が良いと評判だ」


 高長が芳明の言葉に追加する。


「マリエッタも一緒に課題やっていく?」


 炎輝とふたり一組での生活が終わったマリエッタに、月娥が気を回してくれたがマリエッタは断ることにした。


「いや、えっと……炎輝に聞きたいことがあるから、また今度」


 本当は、聞きたいことなどなかったけれどいつも一人でいる炎輝がマリエッタには気になった。



 まだこの時間だと六角堂にいるだろうと、マリエッタは向かった。六角堂の引き戸を開けると定位置に炎輝が座っていた。

 墨の良い香りがした。どうやら炎輝が墨を摺ったようだ。

 炎輝は見本のように美しい姿勢で筆を運び書を嗜んでいる。


「炎輝、課題を教えて」


 いつもと同じようにマリエッタは炎輝に声をかけた。


「もうだいたい自分でできるんじゃないのか?」


 炎輝は文字を書きながらマリエッタを見ずに答える。


「一緒にやった方がはかどるよ」


「俺は一人でもかまわない」


「またまた。楽しくやろうよ」


 マリエッタの言葉にようやく炎輝は顔を書面から上げた。マリエッタは炎輝の口の端がほんの少しだけ嬉しそうに上がったことに気がついた。


「あのね、ここなんだけど」


 マリエッタは、無意識のうちに気がついていたのかも知れない。体の奥に燃え上がる激情を抑えてくれるのは正反対の性質を持つ炎輝なのだと。

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