第4話六角堂

 マリエッタの入門が決まった。彼女は、積極的に授業に参加した。しかし、文化の違いというのは大きかった。姉弟たちが当たり前のように知っていることでもマリエッタは知らないということは多々あった。

 たちまち、マリエッタは落ちこぼれたのだった。


 剣術の授業はまだついていける。騎士としての訓練のおかげで形にはなった。鬼道の座学では、まったく歯が立たなかった。

 李書維ショウウェイが教科書を片手に教室内を歩く。鬼道で使ってはいけない禁術について説明する。


「マリエッタ、なぜ人を生き返らせせてはいけないのか答えよ」


 指名されたマリエッタは、立ち上がってしどろもどろになりながら答えを導く。


「はい! えっと……反魂の術は、成功した事がないからです」


 マリエッタの答えに李書維ショウウェイは何も言わず、教室の一番後ろの席で姿勢正しく授業を受けている辰炎輝イェンフイを指名した。


 炎輝イェンフイは、優雅に立ち上がった。教科書を読み上げているかのように、淀みなく回答を述べる。


「人を生き返らせるのは、人道に反します。また、反魂の術で蘇るのは、僵尸チアンシーであり生前とは違い凶暴な妖魔となります」


「よろしい」


 書維ショウウェイは満足な回答が引き出せたのでマリエッタと炎輝イェンフイを座らせる。マリエッタは、後ろに座る炎輝イェンフイに振り返って質問した。


「私の回答、割とあっていると思うんだけど」


「筆記試験なら原点だ。僵尸チアンシーになることは覚えておけ」


 マリエッタの質問にも容易く炎輝イェンフイは、答えた。


「マリエッタ、炎輝イェンフイの元で基礎をみっちり教わるように」


 このままだとますますマリエッタが授業についてこられなくなると、判断した書維ショウウェイは生活の面倒を見ている優等生の辰炎輝イェンフイに学習面の面倒も見るように言つけた。


 今日の授業がすべて終わり、早々に帰ろうとしたマリエッタを炎輝イェンフイは捕まえた。引きずるようにある建物まで連れてくる。

 「六角堂」と呼ばれている六角形の建物である。

 

「何、ここ」


「書庫だ。お前にはまずこの国の常識から叩き込む」


 炎輝イェンフイは、六角堂の入り口の引き戸を引いた。一歩中へ踏み込むと紙と墨の香りがした。

 板張りの部屋に木製の棚が所狭し、と並んでいる。棚には紙製の本や、木簡が積み上がっていた。ローテーブルが置いてあるところには畳が敷いてある。

 丸窓からは、大きな藤棚が見える。ちょうど花の盛りだ。遠くの景色まで見渡せる長めの良い部屋だ。


「わあ、こんなに本が沢山ある」


 マリエッタは、部屋に入るなり中央へ歩み出て辺りを見回す。


「珍しいか?」


「私の国で紙は、貴重でしかもこんなに薄くて綺麗じゃなかったわ」


 マリエッタは、手近にあった本を手に取りぱらぱらとページをめくった。本の手触りはマリエッタの祖国で手にした本よりも滑らかだった。使われている紙は薄くて丈夫だ。


「緋国の言葉は読めるか?」

 

 マリエッタは本に目を通す。どの文字も初めて見る。


「ほとんど読めません」


 炎輝イェンフイは、マリエッタに座るように促す。炎輝イェンフイの隣にマリエッタは、足を伸ばして座った。炎輝イェンフイのように正座はできない。炎輝イェンフイは、水差しで硯に水を注いだ。墨をすり始める。マリエッタは、目を輝かせて炎輝イェンフイの手元を見つめる。ちょうどよい濃度になった墨を筆に含ませる。炎輝イェンフイは筆で紙に文字を書いた。

 美しい筆運びにマリエッタは、感嘆の声を上げた。


「筆で小さく文字なんて良く書けるわね。綺麗な筆跡……これは何て書いてあるの?」


「お前は、ちょっとは黙っていられないのか」


 炎輝イェンフイは書いていた手を止めてマリエッタへ目を向けた。マリエッタは、下からのぞき込むように炎輝イェンフイを見ていた。

 炎輝イェンフイのあきれた表情にマリエッタは、頬を膨らませる。

 

「相手にしてくれたって良いじゃない。何が常識なのかわからないんだし」


 炎輝イェンフイは、深く溜息をついた。マリエッタのことを無視して書き進める。


「え? そこ、怒るところ? そんなに私のこと嫌い?」


 マリエッタの妄言を炎輝イェンフイは、きっぱりと無視することにした。筆おきに筆を置く。先ほどから書いていた紙を手に取り、マリエッタに渡した。


「まずは、これを読めるようになれ」


「なにこれ」


「本のタイトルだ。子供向けの神話が書かれている。鬼道は神話時代から脈々と続く術だ。神話が分かっていないと全く理解できない」


 炎輝イェンフイとマリエッタが緋国の神話の話をしていると、六角堂の扉が前触れなく開いた。思月娥ユエェが扉を開けたのだ。お椀を二つ乗せた盆を持っている。


「お二人さーん、ご飯持ってきたよ」


 マリエッタの前の背の低い机の上に、書維ショウウェイが椀を並べる。できたてほやほやでまだ湯気が出ていた。椀の中身は椎茸と白菜を具にしたお粥だ。香菜が飾りとして一番上に添えられている。椎茸の香ばしい、いい香りがした。


月娥ユエェ、ありがとう」


 マリエッタのお礼に月娥ユエェは笑顔で答える。マリエッタの横で渋い顔している炎輝イェンフイ月娥ユエェは言った。


「その顔は、ここで食べたら本が汚れるとか思っているでしょ。机を片付ければ良いじゃん!」


 月娥ユエェの言葉にますますムッとしたような表情を炎輝イェンフイは、した。その様子を見てマリエッタは言った。


月娥ユエェ炎輝イェンフイって仲が良いのね」


「は? そんなことないし。そうだ、マリエッタにも教えておくけど、私は辰亮緯チェン・リャンウェイを狙っているの。好敵手になるなら受けて立つよ」


「誰よ、それ」


「兄だ」


「ああ……だから、あの時『お兄様によろしく』って」


「分かった? 炎輝イェンフイ亮哥リャングァーに会ったときには『思月娥シ・ユエェちゃんは最高に可愛い』と吹き込んでおきなさいよ」


「それだと、炎輝イェンフイ月娥ユエェの事を気に入っているみたいだわ」


「なしなーし!思月娥シ・ユエェちゃん優秀と言っておくこと!」


 月娥ユエェは、言いたい事だけ言って炎輝イェンフイの返事を聞かずに六角堂を出て行った。まるで嵐のような騒がしさと落ち着きのなさだ。


 マリエッタと炎輝イェンフイは、机の上を片付けた。手元に粥の入った椀を引き寄せる。マリエッタは蓮華を手に粥を掬った。炎輝イェンフイに蓮華を見せながら問う。


「これ、よく出るけど何という食べ物なの?」


鹹粥シェンゾウだ。米と野菜を煮込んだものだ」


「この緑色の葉っぱは判るわ。コリアンダーね」


「そうか、おまえの国の言葉ではコリアンダーというのか」


「緋国ではなんというの?」


香菜シャンツァイという」


「同じものを食べているのね。米と野菜を区別しているのには驚いたけど。米は野菜よ」


「この国では主食だ。米がとれない地域では小麦を育てる」


 マリエッタはひとくち口に含む。椎茸のだしの効いた味が口に広がる。野菜はくったりトロっとするまで煮てあってマリエッタの好みだ。


「具だくさんの塩味のスープって感じね。美味しい」


 マリエッタの無邪気な笑顔を炎輝イェンフイは、食べる手を止めてじっと見つめる。


「ん? 何どうしたの?」


「黙って食え」


 自分の視線に気がついていたマリエッタから顔をそらし炎輝イェンフイは、再び食べ始める。


「ずっと私のことを見つめてくるから、用があるのかなと、思って聞き返したのに」


「いいから黙って食え」


「横暴だわ!」




 夕食も食べ終わりそろそろ自室に戻ろうかという頃、炎輝イェンフイはマリエッタに尋ねた。


「課題は終わったのか?」


 李書維ショウウェイから禁術についての論文の提出が課題として課せられている。炎輝イェンフイは、すでに提出済みだ。


「全然、ほとんど文字が書けないから進まないわ」


「威張っていうことか。手伝うからどこまでできた?」


僵尸チアンシーについての考察で……」


 マリエッタは、鞄から書きかけの論文を取り出す。論文を手に取った炎輝イェンフイは、ぱらぱらと捲りながら、ミミズが這いずったような文字にイライラし始めた。


「読めない。字が汚い。お前、字を書いたことはないのか!」


「筆なんて初めて使ったの! 私の国では羽根ペンよ。もっと堅い物で書いていたの」


「木の棒で書いたとしてもこんな字にはならない」


「それに代筆する人がいたから、字がうまくなる必要などなかったわ!」


「祐筆を雇えるとは、随分と高貴な出身なんだな」


 思わず口を滑らせてしまった自分の個人情報にマリエッタは、慌てて口をつぐんだ。右手で口を押さえ炎輝イェンフイから顔をそらした。


炎輝イェンフイ、文字の書き方を教えて」


「話をそらすな」


「教えて」


 マリエッタは、炎輝イェンフイに懇願した。マリエッタの空色の瞳が強い意志を持って炎輝イェンフイを見返している。

 マリエッタは頑なに自分のことを話そうとはしない。炎輝イェンフイは、根負けして筆を手に取った。


「……まあ、いい。筆は、こうやって持って」


 文字通りマリエッタの手を取り筆の持ち方から炎輝イェンフイは、教えた。マリエッタは、だいぶ四苦八苦しているようだがなんとか筆の持ち方はできるようになった。何かを見本に文字を書こうと、マリエッタは、手近にあった本を手に取った。


 本からはらりと、一枚の紙がマリエッタの机の上に舞い落ちた。


「何か本から出てきたわ」


 何気なしにマリエッタは、紙を手に取り、大きく書かれた文字を読み出す。


「高級楼閣番付……? うわっ」


 読み上げてからマリエッタは声を上げた。高級楼閣は、高級娼婦を置いている店だ。その番付表が挟まれていたのだ。


「いいから、貸せ。見るな」


 炎輝イェンフイは、顔を真っ赤にしてマリエッタから番付を取り上げようとする。


「これ、炎輝イェンフイのものなの? へぇ……真面目そうに見えてしっかり遊んで……なさそうね。耳まで真っ赤よ」


 マリエッタが炎輝イェンフイを茶化してやろうとした。しかし耳どころか首まで真っ赤になった炎輝イェンフイに同情した。経験がないと言っているようなものだ。


「うるさい!」


「楼閣の番付を持っているぐらいで偏見を持ったりしないわ」


「俺の物ではない」


「見ればわかるわよ。そんなに赤くなっちゃって。初心ウブなのはわかるわ」


「そもそもお前だって、なんで楼閣という文字が読めて意味がわかる!」


「騎士団の遠征で緋国に来たことがあるわ。男性の騎士たちはみんな楼閣に通っていたから」


 遠征に出る時、お互いの居場所を把握しておく必要があった。もちろん騎士団のメンバーは、そこが何している店なのかサービスの質はどうであったのかという話をマリエッタ達、女騎士の前ではしなかった。紳士である。


「ほう、騎士」


 急に冷静になった炎輝イェンフイに、余計なことを追求されないうちにマリエッタは、番付を折りたたんだ。


「あ……っと。ほら、もうこれ畳んでこうして挟んで置くから」


 ついに炎輝イェンフイは、立ち上がってマリエッタが番付をしまい込んだ本に手を伸ばした。


「挟むな!捨てろ」


 潔癖症な乙女のような反応する炎輝イェンフイにマリエッタは、心配になった。


「そんなに初心の上に生真面目で大丈夫? 変な女に引っかからない?」


 炎輝イェンフイは、空中から剣を出現させ抜き放ち、マリエッタに剣先向ける。マリエッタは、立ち上がって距離をとった。


「黙れ! 失せろ!」


「え? ちょっと、課題を見てよ」


 剣を突きつけられているのにマリエッタは、困った様に言った。その表情が余計に炎輝イェンフイの怒りに油を注ぐ。


「いいから、失せろ!」


 炎輝イェンフイの剣幕に負けてマリエッタは、鞄を手に取った。追い立てられるように六角堂から走り出て行った。

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