第2話国外追放

 最期に両親に会うことも叶わずマリエッタは、囚人護送用の馬車に乗せられた。メンショフ公爵領の国境沿いまで馬車で向かう。目隠しをし、ロープで手首を縛られている。彼女は身動きできない状態で馬車の座席に座っていた。やがて南部の国境沿いに到着した。御者は、マリエッタの座っている馬車の扉を開けた。目隠しをし、何も見えない状態のマリエッタを馬車から蹴り出した。転がり落ちるようにしてマリエッタは、馬車から飛び出した。咄嗟に受け身をとる。

 地面に転がるマリエッタを御者が嘲笑した。

 目隠しをしたままマリエッタは、御者を睨み付けた。馬車は砂埃をあげて王都へと戻っていった。

 馬車の轍の音が遠ざかるまで待って、マリエッタは呟いた。

 

「三回目にして、ようやく処刑を免れたのね」


 地面に転がったまま、大声を出して喜びたいところである。


 ――騎士を選んで良かった!


 マリエッタは縛られたままの状態の手で目隠しをずらした。深い木々に囲まれた山の中だ。足下には小さな麻の袋とナイフが落ちていた。

 御者は、罪人であるマリエッタを嘲笑したものの、そこまで悪人では無かったようだ。国外追放になった者に許される多少の路銀とナイフは置いていった。


 ナイフを拾い上げ、縛っている縄を切る。小さな麻の袋を開けると小さな銅のコインが一枚だけ入っていた。


(路銀はわずかばかり。ちゃんと国境沿いで放り出してくれたおかげで隣国へ簡単にいける。……ここは、蓮鴛鴦れんえんおうかしら?)


 故郷ではどこまで行っても針葉樹林の林だ。このような広葉樹林の森林は遠征で訪れた南方の隣国、緋国で見たぐらいだ。

 故郷とはすっかり植生も変わっている景色を見てマリエッタは、自分のいる位置を確認した。

 緋国の北部の州、蓮鴛鴦れんえんおうあたりではないかとマリエッタは推察した。

 ここからは、三回も生まれ変わっているマリエッタでも初めての人生の始まりだ。


(運良く身ぐるみ剥いでも罪にならない山賊はでてこないかしら? 死骸を売ると高額になる妖魔でもいいけど)


 武器や防具の類いは、持ち出せなかった。幸いなことにナイフがある。

 少数の山賊を倒すには十分だ。


 丁度、マリエッタの居る方に向かって轍の地響きが聞こえてきた。馬車が猛スピードで駆けている。その後に続く多数の馬の蹄。

 山賊に追われ国境沿いまで逃げてきてしまったようだ。

 マリエッタは手近な茂みに身を隠し様子をみる。

 土煙を上げて山道を走る馬車は、上等である。馬車に高価な装飾が施されている。

 貴人が乗っている可能性が高い。

 その背後から身なりの悪い、いかにもといった集団が騎乗して馬車を追いかけている。

 御者は、必死の形相で山賊を振り払おうとしているがあと少しで山賊に追いつかれる。


(あれは、金持ちの馬車ね。これは助けるしかないでしょ。助けたら、私に謝礼ぐらい払うわよね)


 下心しかないマリエッタは、善人のふりして馬車を追いかける山賊達の馬の鼻先めがけて石を投擲した。

 見事命中!

 馬は突然の攻撃に驚き、いななきながら前足を上げた。一頭が混乱状態になれば他の馬たちにも伝染し、乗り手達が地面に放り出された。


 マリエッタは、潜んでいた茂みの近くに転がってきた山賊を殴り飛ばした。気絶した山賊から得物を取り上げると慣れた手つきで剣を構えた。彼女が手近な山賊を吊し上げようとしたところで、前方で止まっていた馬車の扉が開き中から人が躍り出てきた。


 白皙の美貌の青年だ。緋国の服を纏い、上等な剣を構えている。

 マリエッタは青年を見て口をぽかんと開けた。


 ――まるで、泰然とした雪山のように静かで清らかな


 彼は、闇色の長い髪を靡かせまるで舞を舞っているかのように山賊達に剣を振るった。

 山賊を退治し手柄を立て、謝礼を貰おうと考えていたマリエッタは慌てた。


(手柄を立てるどころじゃないんだけど! この人充分に強い)


(山賊から逃げるように馬車で移動していたのは、なんだったの)

 

 マリエッタは、青年と背中合わせになり山賊を切り結んだ。

 彼は同じように剣を振るう髪の短い女を信じることにした。

 立っている山賊を半数ほどに減らすと、山賊達は慌てて逃げ出していった。


 青年は、山賊が去るのを見届けて剣を鞘に仕舞った。漆黒の髪に、切れ長の目に黒曜石のような瞳。目元は涼やかで鼻梁が良く通っている。黒色を基調とした服装だ。全体的に黒いので、鴉のよう。腰には剣の他に横笛を下げている。


 青年は、マリエッタに視線を向けた。


「随分と腕が立つな異国人」


 涼やかで聞きやすい声音だ。マリエッタは美貌を引き立てる声に驚いた。


「私の助けなど不要でしたね。失礼しました」


 恩を売って謝礼をせしめようとしていたが、あまり活躍できなかった。

 謝礼金ではなく情報を貰った方がよさそうだ。

 マリエッタが教養のある話し方をしたので青年は、驚いた。そう、マリエッタは山賊とあまり変わらない服装をしている。

 ざんばらに切られた髪に、泥で汚れた顔、薄汚いドレス。マリエッタは自分の姿を鏡で見れなかったのが幸いした。


「いや、助かった。礼を言う」


「お礼代わりに、聞きたいことがあるのだけど」


「なんだ?」


仙洞門せんとうもんに所属すればどうしたらいいの? 出身は問わない妖魔退治集団なんでしょ」


 緋国は妖魔退治を専門に行う組織があり、仙洞門せんとうもんという。出身国や身分を問わず門戸を開き才能のあるものを上位に取り立てる。

 マリエッタは、騎士の腕前を生かし仙洞門せんとうもんに所属したいと考えていた。


「仙洞門の五氏どれかの門を叩け」


 仙洞門は、五つの氏族が支配をしている。五氏のうちのどれかの門下生になるか、養子になるかで、仙洞門に所属することになる。


「お兄さん、ツテあったりする?」


 馴れ馴れしく「お兄さん」と呼ばれて青年は不快そうに眉を寄せた。


「俺は羽黒辰はぐろチェン氏の辰炎輝チェン・イェンフイだ」


 羽黒辰はぐろチェン氏は、仙洞門の五氏のうちの一つだ。「辰」姓を名乗っているので羽黒辰はぐろチェン氏の直系の若君である。


「私はマリエッタ・ドロニナよ。マリエッタが名前。羽黒辰氏ってことは、仙洞門の五氏の一つじゃない! 私も入れて」


 マリエッタの気軽な提案に、炎輝は不愉快そうに顔を逸らした。


「俺に聞くな」


「……下っ端なの?」


 マリエッタは、眉を下げ申し訳なさそうな表情をしている。炎輝は、そのマリエッタの哀れみの籠もった視線に苛立ちを覚える。


「哀れみの視線を向けるな。俺は修行中の身だ。師父に聞け」


 マリエッタに突き放すようなことを言っておきながら炎輝は、馬車に乗るように言った。炎輝は上から下までマリエッタの服装を何度も見た後、ワケありだと判断したようだった。


「仙洞門へはここから数時間で到着する」


「え? 仙洞門ってそんなに近いの? ここ蓮鴛鴦れんえんおうでしょ?」


 仙洞門は緋国の中心部に位置する。北の端に位置する蓮鴛鴦れんえんおうから数時間で到着する距離にはない。


「さっきは山賊に追いかけられて使えなかったんだが、移動距離を縮める術を使っている」


「なにそれ」


 マリエッタには初耳だった。故郷にはそのような便利な術は存在していなかった。


「仙術の一種だ」


「仙洞門に所属したら私でも使える?」


「どうだかな」


「えー?」


 炎輝のいい加減な答えに、マリエッタは口を尖らせた。


「仙術は鬼道と違って、本人の努力でどうにかなるものではない。生まれもった特性による」


「じゃあ私は、使えないかもしれないのね。残念」


 仙術も鬼道もマリエッタには違いが分からない。鬼道は練習次第で使えるかもしれない。


 移動距離を短縮できる術が誰でも使えるわけじゃないのは残念だけど。「鬼道」という名前は、格好いいし使えるようにならなきゃ。


 マリエッタのやる気は十分だった。



 途中で休憩を挟みながら、馬車に揺られること数時間、仙洞門せんとうもんに到着した。

 マリエッタは馬車から降り、辺りを見回した。


 そこは、深い山の中だった。辛うじて存在する平地に幾つかのお堂が軒を連ねている小さな集落であった。建物はどれも黒瓦で石積みだ。山藤が咲いているようで、山々が所々紫色に染まっている。木々は深く、時折鳥の鳴く声が聞こえる。集落の脇を流れる小さな川には、木橋が掛けられていた。川の近くではカエルが鳴き、水中では小魚が泳いでいる。集落を囲うように畑が作られ菜っ葉や穀物が植えられていた。自給自足の生活をしているの窺える。

 緋国では一般的な里山集落の光景だ。


「ここが、仙洞門」


 目の前に広がる光景にマリエッタは、目を丸くしている。美しい光景に自然に笑みが浮かぶ。


「暫く待っていろ。その格好で師父の前には出せない」


 炎輝は、仙洞門の入り口に馬車を止めたまま素早く集落の奥へと向かった。

 一方、集落では「あの辰炎輝が女を連れてきた」と、大騒ぎになっていた。連れてきたのは汚らしい異国の女である。

 誰もが恋人を連れてきたという考えよりも「この女どんな罪を働いて炎輝に捕縛されたんだ?」と戦々恐々としながらマリエッタを遠目で観察していた。


 やがて、炎輝が一人の少女を伴ってマリエッタの所に戻ってきた。

 赤毛を二つに分けて結び、片方には睡蓮の花を挿して前髪を黒く染めている。少女らしい色白でまろやかな肌に、可憐な唇には真っ赤な口紅。金色の瞳はまるで猫のようだ。目尻には朱を落とし婀娜っぽい。

 服装は、橙色を基調とした服装をしている。そんな彼女はマリエッタに拱手した。


「私、思月娥シー・ユエエよろしくね」


 声も良く通る高い声だ。愛嬌のある笑顔は太陽のような夏の花を想像させる。マリエッタも月娥ユエェに名を名乗る。


「頼んだぞ」


 炎輝は月娥に全てを頼んで、集落の奥へと去った。その背に向けて月娥は、声を掛けた。


「お兄様によろしくお伝えしてね」


 月娥はマリエッタを上から下まで見た。顎に指をあて、うんうんと一人で考えこむ。そしてマリエッタを引っ張るようにして集落の中を歩く。


「じゃあ、まずお風呂から! こっち」


 月娥は、とりあえずマリエッタの汚れを落とすことにした。

 マリエッタが月娥に案内されたのは、仙洞門せんとうもんの門弟達が氏族関係なく生活をしている宿舎だ。男子用、女子用と別棟になっていて女子用の棟に入った。


「あー! 履き物は脱いで」


 いつも履き物を脱がずに建物内に入っていたマリエッタは、入り口で月娥に指摘されて靴を脱いだ。

 足元がスースーする。

 入り口の奥にある共同浴場に案内された。

 月娥はマリエッタにお風呂の使い方を説明する。


「一人で入れるって事で大丈夫?」


「大丈夫だと思う」


 マリエッタは、入浴するときは必ず誰か世話する人が居た。それでも騎士として遠征するときには世話するメイドを連れて行けなかったので、なんとか一人で身支度ぐらいはできるようになっていた。


「んー。じゃあ、私、着替えを持ってくるから」


 月娥は、マリエッタがお風呂場に入るのを確かめてから、脱衣所を出て行った。

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