仙洞門の妖魔退治師-ループ3回目公爵令嬢は隣国の貴公子に執着される-
橘川芙蓉
第1話断罪
「マリエッタ・ドロリナ。エレーナ・モロゾワ嬢を殺害未遂で拘束する! 当然、婚約も破棄だ!」
茶色に近い金髪に黒い瞳のハンサムといえる部類の青年が、向かいで戸惑ったような表情している女性に指を突きつける。赤毛の女性を後ろに庇っている。
今日は、アレクセイ・メンショフ公爵子息とマリエッタ・ドロリナ公爵令嬢の婚約発表パーティである。メンショフ公爵家とドロリナ公爵家にゆかりのある貴族達が大勢広間に集まっていた。
めでたい婚約お披露目パーティだというのに、アレクセイは、婚約者であるマリエッタを伴っていなかった。代わりにエレーナ・モロゾワ男爵令嬢と腕を組み仲睦まじげに入場してきたのだ。
それに動揺したのは、先に会場入りをしていたマリエッタである。会場中の招待客の視線がマリエッタに集まる。
マリエッタとアレクセイに呼ばれた少女は、淡い金髪を結い上げた空色の瞳の持ち主だ。瞳の奥が不安げに揺れる。
「私、エレーナ・モロゾワという人を知りません」
野次馬達の注目を集める中、マリエッタは息を呑んで反論した。身に覚えの無いことを大勢の前で詰られ、恐ろしさのあまり声が弱々しくなる。
しかし、会場の雰囲気はアレクセイに優勢である。何しろ小動物のように震えている令嬢がアレクセイの腕にしがみついているのだ。
アレクセイは、マリエッタの態度に激昂した。
「嘘をつけ! エレーナは散々お前に虐められ、暴力を受けたと言っている。これが証拠だ」
アレクセイは、エレーナの証言や目撃者の証言を集めた書類を天高らかに掲げた。その書類は、エレーナ側の報告だ。関係者であるマリエッタや、周囲の人々の聞き取りを誰もしていない。
「……私はエレーナ・モロゾワに、会いに行ったりしていません」
イライラした様子でアレクセイは、一歩前に踏み出す。
「黙れ」
アレクセイは、胸を突き出し、両手を腰に手を当てマリエッタを怒鳴りつけた。アレクセイの背後から、顔を覗かせ青ざめた顔色のエレーナは、胸元で両手を組み肩を丸めた。震える声でマリエッタと聴衆に訴える。
「マ、マリエッタ様、どうか嘘はつかないでくださいませ」
エレーナは瞳から涙を零した。
「私ずっと貴女に虐められていたこと怖くて誰にも打ち明けられなかった。それをアレク様が手をさしのべてくださったのです」
アレクセイのニックネームである「アレク」と親しげに呼びかける。かつて婚約者であった頃のマリエッタすら許されていない呼び方だった。
エレーナの訴えに、会場中がざわつく。エレーナに一気に同情が集まったのだ。
「アレクセイ様、どうして信じてくださらないのですか?」
マリエッタは手を震わせながら言った。
アレクセイはマリエッタを嘘つきと断じた。
「エレーナを信じるのも当然だろう。俺はお前の所業に呆れていたところをエレーナに救われたのだ。真実の愛はここにあったのだ」
「そんな……私……」
「真実の愛を知らないお前は哀れで、ゴミクズも同様だな」
マリエッタは追い縋った。激情に任せたアレクセイに殴られ床に昏倒する。
――アレクセイ様!お待ちになって
「はぁ……一回目の夢か」
マリエッタは、一人用のソファで深くため息をついた。休憩するつもりが、うたた寝していた。
マリエッタには、誰にも言えない秘密がある。前世の記憶があるのだ。
(最近、また一回目の時の夢を見るようになった。一回目はエレーナ・モロゾワを殺人未遂の罪で処刑。二回目は修道女になったのに、なぜかエレーナ・モロゾワ殺人未遂で処刑……そして、今が三回目)
マリエッタ付きのメイドが扉をノックの後に部屋に入ってきた。
「お嬢様、そろそろお支度の時間ですわ」
「ええ、わかりました。ありがとう。イヴ」
今日は、アレクセイ・メンショフ公爵子息が婚約発表をする日だ。同じ公爵家という身分なので親同士のつきあいもあり、マリエッタは、お祝いに参加する義務があった。
マリエッタには、前世の記憶がある。一度だけでは無い少なくとも二度同じ時間を過ごしている。一回目も、二回目もこの婚約発表会を機に転落人生に早変わりし、処刑される。
「素敵です。お嬢様。凜々しいお顔立ちに、騎士服がとても良くお似合いです」
メイドは、慣れた手つきでマリエッタの身支度を手伝った。
マリエッタの淡い金髪を一つに結び、瞳と同じ色のリボンで飾る。紺色の騎士服は袖口に金糸で縁取りがされている。マリエッタは凜々しさと可愛らしさが同居している不思議な魅力があった。
「ありがとう。お父様とお母様はもう、先に?」
メイドは頷くと、マリエッタが馬車に乗るまで見送った。
マリエッタは一回目の反省を生かし、二回目は修道女になることを選んだ。アレクセイの婚約者にならないためだ。しかし、エレーナ・モロゾワの殺人未遂で処刑。
三回目の今は、修道女ではなく女騎士の道を選んだ。アレクセイの婚約者には選ばれなかった。
これが、良い結果になれば良いのだが。
マリエッタは運命の日を迎えて馬車の中で深くため息をついた。
「マリエッタ・ドロリナ。エレーナ・モロゾワ嬢の殺害未遂で拘束する!」
アレクセイが一回目、二回目と同じようにマリエッタを犯してもいない罪について責め立てる。
あの日、あの時と同じように野次馬達は、面白そうにマリエッタ達を取り囲んだ。
あの時と同じように、アレクセイの背後には小動物のようなエレーナがしがみついる。あの時と同じように、吊し上げられているマリエッタを見て、楽しそうにほくそ笑んでいた。
「エレーナ嬢を殺害などしていません」
一度目も二度目も衆人の目に晒されたことと、アレクセイに怒鳴られることで腰が引けていた。三度目の今回は、女騎士になったことで胆力が付いたのだろう。マリエッタは怯まずに堂々と反論した。
「黙れ! その騎士としての剣技で、深窓の令嬢たるエレーナに斬りかかっただろう」
「騎士として身を立てている私が、本気で切りかかればエレーナ嬢が避けることは適いませんが?」
マリエッタは、お飾りの女騎士では無い。自分の命がかかっているので騎士としての修行に全力を尽くしていた。
男性の腕の良い騎士には適わないが、まともに剣術を習っていない男性を、剣術で転がすぐらいにマリエッタは、強かった。
女騎士として名を鳴らすマリエッタがエレーナを斬り殺すのであれば、仕留め損なうはずはない。
「わ、私は日頃から……日頃から神に祈りを欠かしたことはありません。きっと、神様が助けてくださったのですわ。ですから、潔く罪を認めてください」
エレーナの小動物を装った話し方は、マリエッタの勘に触った。二回もエレーナの訴えで殺され生まれ変わっているのだ。
「俺と婚約できなかったからと言って、エレーナ嬢に嫉妬し殺そうとするとは呆れたやつだ」
アレクセイの言葉に、マリエッタの空色の瞳が怒りで炎のように煌めく。
(誰だ! アレクセイ様に私が惚れているとか言う法螺を吹いたのは)
一回目の時、マリエッタは確かにアレクセイが好きであった。初恋である。箱入りだったので、異性といえば親兄弟以外、アレクセイしか知らなかった。「この人と結婚するのか」という憧れがあった。
二回目の時はアレクセイのことを疫病神だと思った。彼とはほとんど関わりがない生活をしていたにもかかわらずいつも「俺のことが好きなのに婚約できなかった愚かな女」扱いである。エレーナの言うことを鵜呑みにし、こうしてマリエッタを犯罪者扱いする。
「私は、メンショフ様を慕っていませんが」
しまった、ついぽろっと本音が。
マリエッタは内心で舌を出す。
なぜかここでエレーナがアレクセイを庇うように前に進み出て大げさに涙を零し始めた。
「私が、私がいけないのですわ……! 身分不相応にも、アレク様を慕ってしまったから! どうか、アレク様、私にも罰を」
涙を零しながら膝をつき、エレーナは神に祈るように両手を合わせた。レースがたっぷり縫い付けられた薄いピンク色のスカートが、床に円を描いて広がる。さながら一枚の宗教画のようだ。野次馬達が、その高潔な態度に感嘆の声を上げた。
「エレーナ。可憐なお前に罪など無かろう。早くマリエッタを拘束しろ!」
(結局、拘束されるの!)
マリエッタは、ろくな抵抗などできない状態で公爵邸の騎士達によって取り押さえられた。後ろ手に縄で縛られ、地下牢へと連行された。
燭台の小さな明かりが地下牢の入り口で揺れる。夜中だというの、にマリエッタしかいないはずの地下牢に人がやってきたのだ。
手燭台を手にやってきたのは、エレーナである。護衛も付けず暗がりの地下牢を恐れずにマリエッタのいる牢屋の前まで足を運ぶ。人目を忍ぶために、黒い外套を着ていた。
「地下牢で気落ちをしているかと思えば、元気そうで残念だわ」
先ほどは、マリエッタの鋭い眼光でさえ怯えていた少女の影もなくエレーナはマリエッタを鼻で笑った。
「エレーナ、なぜ斬りかかったなどという嘘を」
「あーら、怖い」
まったく怖がっていない口調でエレーナは応じると、懐から小さな包み紙を取り出した。檻の隙間から包み紙を差し入れる。
「何?これ」
「毒薬よ。こんなところで拷問されるぐらいなら、さっさと死んでおいた方がマシッてもんよ。ちゃんと飲んでおきなさいよね」
エレーナはさすがに長居はしたくなかったのか、マリエッタが毒薬を飲むのを見届けずに去って行った。後に、エレーナは、マリエッタが毒薬を飲み込むまで見ておけば良かったと歯がみをすることになる。
(一回目も二回目も、拷問を受ける前に有無を言わさず処刑された……はずだわ。そこら辺の記憶が無いもの)
マリエッタは一回目や二回目だったら恐怖のあまり毒薬を煽ってしまっただろう。とマリエッタは思った。エレーナから貰った毒薬は懐に仕舞った。
幾日経ったか、マリエッタには分からなかった。地下牢には窓がないので日数の経過がわからない。しかし、二回目まではすぐに絞首刑になったのだが、今回はだいぶ長生きしている。
恐れていた拷問だったが、尋問は受けたものの拷問を受けることは無かった。問い詰められてもエレーナを斬り殺そうとはしていないので否認し続けるしかなかった。
再び燭台の明かりが地下牢の入り口で揺れる。人が入ってきたのだ。またエレーナが来たのかと思ったら、アレクセイの腰巾着の青年だった。
マリエッタは、彼の名前を知らない。
マリエッタの入っている牢屋の鍵を開けて、彼女に出てくるように促した。
「釈放だ。金持ちの家に生まれて良かったな。死刑にならずに済んだ。国外追放に変わっただけだが」
青年は、マリエッタの家が多額の金を積んで処刑を免除されたとを告げた。一回目にも二回目にも無かったことだ。
わずかな違いに、マリエッタの気がはやる。
「せめて、両親にぐらい会わせて」
マリエッタは青年に縋る。
「さっさと行け! 薄汚い雌狐め!」
青年は汚物でも見るかのような目でマリエッタを扱い、自分に近づかないように彼女を蹴り飛ばした。さすがに騎士として訓練していたので直撃は免れた。しかしろくな食事をしていなかったのでマリエッタはふらついた。
牢屋に入れられたときに、着ていた騎士服は身ぐるみはぎ取られた。囚人用の薄く不衛生な服を着せられた。貴族令嬢であれば「下着か?」と思うほどの装いだ。
牢に入るとき、牢番が悪戯にマリエッタの美しい金髪を掴まれナイフで切り取った。腰辺りまであった金髪は、肩の辺りまでの長さになった。
どうみてもマリエッタの姿は、深窓の貴族令嬢ではなく浮浪者の姿であった。
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