第82話

「伊藤さん! おはよう」


「お、おはようございます」


給湯室で一人になった花音は、ぼうっとしてコーヒーを淹れていた。


「あ、おはよう。伊藤さん、いい香りだね。僕にも一杯入れてもらえるかな」


吉原だ。花音は嫌悪感で思わず固くなった。


「あ、はい。あ、机に置いて置きますね」


「ここでもらうよ。ねえ、伊藤さんの最寄駅って中津?」


「えっ?」


花音は、その言葉にゾッとした。


「あの、課長をお待たせしてるので、先に持っていきますね」


花音は答えず、吉原にコーヒーを渡し、その場を離れようとした。


「ねえ。今晩、食事どう? 中津で食事してもいいけど……」


「あ、あの……今日はちょっと、

病院に行かないといけませんので……」


「いつも、その理由だよね」


「すみません」


「まあ、お母さんが理由じゃ、仕方ないか……」


「すみません」


「でも、ずっと断り続けて心が痛まない?」


花音は言葉に詰まった。


「すみません」


「今晩の食事は諦めるから、もっと気安く話してよ。ね、それぐらいはいいでしょ?」


「すみません」


「この間の三友の人、お兄さん何かじゃないんだろ」


「……兄です」


「本当?」


「……はい」


「そっか……」


花音は息苦しくなった。


(吉原さんに関係ないじゃない! もう、放っておいてください!)


言いたくても言えない花音は、同じ言葉を繰り返すだけだ。


「また会ってるの? 俺にはいつも断るのに……」


花音のウソを見透かしたかのような吉原に、花音は怖くて顔を上げられない。


「三友の人は、止めといたほうがいいよ。女遊びがすごいって聞くから、お兄さんだったら違うだろうけど、俺は親切心から言ってるんだよ」


そう言うと、吉原は先に給湯室を出て行った。

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