第19話

「やんできましたね」


「……そうですね………」


なんとか彼を引き留めたかったけれど、方法が見つからない。


彼は雨に濡れて、シャツもヨレヨレだ。明日、会社に行くのにこのままの恰好じゃ酷すぎる。無理に引き留めて非常識な人間だと思われるのも嫌だった。


(どうしよう、どうしよう、どうしよう……)


彼を引きとめる良い言葉が思いつかず花音は焦った。


「御馳走様でした。じゃあこれで失礼します」


彼が立ち上がると、帰るのを察したチャッピーが彼の足元の周りをクルクル回る。


「また来るよ。じゃあね」


彼はチャッピーの頭を優しく撫でると、エレベーターのボタンを押した。


もっと一緒にいたいのに、気の利いたことの一つも言えないまま、エレベーターは一階についてしまった。受付の前を通る時、大友が慌てたように駆け寄ってきた。


「あの、電車でお帰りになるんですか?」


「はい」


「今、電車は中津駅の浸水で上下線とも止まっていて、駅周辺はかなり混雑しているそうです」


(やった!)


花音は思わず声に出すところだった。


「そうなんですか……」


「ええ、こんな事は初めてですので、駅員さんは利用者の応対に追われておられるそうですよ」


「大友さん、駅に行ったんですか?」


「いえ、さっき娘がニュースを見たようで電話がありまして、お嬢さまの心配をしておりました。ですから、もう少し待たれた方が良いかと……」


「有り難う。大友さん」


花音がお礼を言うと、彼も大友さんに頭を下げて、「有難うございます」と礼を言った。少し困惑している様子だ。


「運転が再開されましたら、すぐにご連絡差し上げますので」


「有り難うございます。よろしくお願いいたします」


彼は申し訳なさそうに会釈すると、「私はこういう者です」と大友に名刺を差し出した。


名刺には、三友商事 会長秘書室付き 古城賢 とあった。


「古城様と仰るのですか、私はこのマンションの管理をしている大友です」


大友も自分の名刺を渡した。

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