第2章

第13話

「お疲れさま」


会社帰りに佐藤真紀が声をかけてきた。


「……お疲れ様です」


この間、吉原のことで濡れ衣を着せられたので、花音はあまり話したくなかった。


「伊藤さん、………この間は、ごめんね」


「あ、あの……」


「吉原君に、仕事できないって思われたくなくて……、つい……怒ってる…よね?」


真紀はすまなそうに眉を下げて、花音の顔を覗き込んだ。


「あ、……いえ」


「ほんと? 良かった~。伊藤さん、優しい! ずっと気になったんだ……。今度飲みに行こう。おごるわ」


「いえ、大丈夫です」


「そう? しょうがないね」


真紀は断ることが分かっていたようで軽い返事だ。


「伊藤さん、また、傘の人、探しに行くの?」


「……あ、はい」


「もう2週間じゃない?」


「……はい」


「まあ、そのうち会えるわよ。頑張って、じゃあね」


「はい。……有難うございます。お疲れ様です」


花音は、事務室から出て行った真紀の背中を、割り切れない気持ちで見送りながら、黒い傘を大切そうに持った。




(今日もダメかなぁ……)


今日も花音は御堂筋を行ったり来たりして、あの雨の日の人を探している。


「あ!」


(あの人だ!)


花音は夢中で追いかけた。


「すみません。すみませ~ん。待ってください!」


花音の声に前を行く人が何人か振り返った。あの人も振り返ってくれた。


「ああ、あの時の……、大丈夫でしたか?」


花音のことを覚えてくれていた!


「はい。有難うございます。本当に助かりました」


「あの時は、急いでいたので、すみませんでした。無事に帰れたか気になっていたんですよ」


優しい言葉が、キラキラ輝く光のように花音に降り注ぐ。


(私のこと、気にかけてくれていたんだ!)


花音は感動して泣いてしまった。御堂筋の真ん中で……人目もあるのに。泣き止まなければと思うのに、後から後から涙が流れてくる。


「大丈夫ですか?」


爽やかな、心地の良い低い声。でも、少し困っているような声。


「……す、すみません。泣いたりして……」


(早く泣き止まないと、迷惑かけちゃう……)


「少し歩きませんか?」


花音が泣いているものだから、物珍しそうにジロジロ見ながら通り過ぎて行く。彼は、花音を人目から隠すようにビル側に誘導してくれた。



「はい。あの、傘、本当に有難うございました」


花音は涙を拭うと傘を差し出した。


(この傘を返したら終わり……。もう、探す口実がなくなってしまう)


「かえって迷惑をかけてしまいましたね。このためにずっと僕を探していたんですか?」


彼がすまなそうに言うので、花音は慌てて、


「あの時は本当に助かりました。わたしのせいで、濡れたのでは……」


「大丈夫ですよ。自分は男だし、濡れるのは平気です。あの時の怪我は大丈夫でしたか?」


「はい。擦りむいただけです。もう治りました」


話かけられる度に、花音の口から自然に言葉が出てくる。しばらく歩いていると、おしゃれなコーヒーショップが見えた。


「傘の事で迷惑を掛けたお詫びに、コーヒーでもいかがですか?」


「!!」


花音は思わぬ申し出を受けて固まってしまった。それを彼は誤解したらしく、


「……忙しいなら、またの機会に……」


「あ! いいえ、あの、コーヒー大好きです!」


花音は天にも昇る心地になった。

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