ウイルスとスパイ

龍玄

第1話 偽証・偽善・欺瞞

 プアン、プアン、プアン、プアン、プアン。

 鳴り響く警告音。

 白塗りの壁面を赤色灯が血の色に染めていた。


 ここは、極秘生物兵器を研究する中酷科学学院武漢病毒研究所。

 表向きは中酷で起きる自然科学とハイテク総合研究の総本山。裏では、重症急性呼吸症候群(SARS)やコロナウイルス、H5N1インフルエンザ、日本脳炎、デング熱のウイルス、炭疽菌の研究のほか、そのデータを元に様々な病原菌を使ってコントロール可能な生物兵器を研究していた。勿論、極秘である。


 中酷人民共和国の思惑は経済・権威で世界を牛耳ること。表向きは経済支援、裏では経済力を背景に強引な略奪と支配、それが中酷人民共和国の本質だった。


 軍事による世界征服は、机上の空論。


 発明や独自性と縁がなく、地道な努力を好まず、実りある人材、研究を金の力で我がものにし、または、不正に入手したデータを元に商品を製造し、安価な人件費を武器に安価な商品を世界に流通させ、経済的に急成長を遂げた盗人国家だ。

 盗人猛々ししいとはよく言ったように潤沢な資金は、本来、国民のために使われる税金を、国内のインフラや生きる術に用いことなく、海外の優秀な人材や研究獲得、他国の政治家への賄賂、企業へ買収、自国企業への不明瞭な支援、中共党員の厚遇と高官の私腹を満たすのに用いられていた。


 自国民の才能では、新たな物を作り出せない。いままでも、海外に派遣し技術や技能を習得させる政策は採られてきたが、国民の気質が他人の物は自分の物、という略奪が当たり前の国民性に腐敗や横領、自己過信、いい加減さの要素が入り交じり、それらを見事に打ち砕いていた。主席はそれを充分に把握し、略奪ほど効率的で効果的な方法はないと信じ、猿蟹合戦の猿を見事に演じて見せていた。

 偉大な研究に与えられるノーベル賞の受賞を目指し、多大な国費を投入するも結果は出る所か「発見・発明・工夫」と言う概念がないことを思い知る結果となったのも彼の思考を強力に後押しすることになった。


 楽して儲けよう、奪って儲けよう、それの何が悪い。


 それが国民感情であり気質であると開き直ると前途が開けて見えた。賞を取れないのであればその賞そのものを乗っ取ればいい、その方が確実だ。


 具体的にはどうすれば、願いが叶うのか?


 それは、思ったより簡単だった。世の中は金でる。特に資本主義の世界では金を持ったものが持たないものを支配する。金で動かない愚か者は、弱みを握って脅し、支配下に置く。優秀な研究者、技術者のナンバー2を狙う。トップになれない、才能を評価されない者にターゲットを絞り、潤沢な資金を鼻っつらに垂らす。これは思いのほか上手くいった。

 欲しいものは金と二枚舌を駆使して、相手を陥れ、手に入れれば、低姿勢で交わされた契約を高慢な態度で破棄し、都合のいいものに差し替える。自分たちで作れないものは高額な金額でも買うか奪い取る。そうして、フランスから手に入れたのが、病原菌の拡散を防止するための最も厳しい安全基準「P4」を満たす研究施設だった。


 派手な動きをすれば世界の注目を浴びる。


 この行為は、アメリカのCIA、イスラエルのモサド、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(UK)のMi6などの諜報機関の関心を集める結果となった。

 彼らは、無秩序で方法を選ばない民族性を熟知しており、フランスの行為を「未熟な者に高度なおもちゃを与えるものだ」と警戒を最高度に強めていた。その施設内で、警報器が鳴り響いたのである。騒然となったのは研究所の警備室だった。


 「どうした?」

 「ウイルスのコントロール研究室からです」

 「カメラを切り替えろ」

 「何だ?何があった?」


 映し出されたのは、防護服を着た研究員の上半身を切断するように、開閉を繰り返す自動ドアの様子だった。


 「大変だぁ、直ぐに救出に迎え。ああ、ウイルスが流出しているかも知れない。規定に従い防護服着用の二人で迎え」

 「良し」

 「研究室ブロックを封鎖する。マニュアルに従って研究員を隔離・検査させるように。念の為、マニュアルを確認してから向かえ、初めての事だ、慎重に行え」

 「良し」


 警備隊長の郭は、部下が救護活動を行う間に研究員の身元を調べた。もし、ウイルス感染ならその研究員の行動把握は必須だったからだ。

 研究員は、陳孫明、三十三歳、研究所近くに住んでいた。隊長は所長に連絡したが不安が過ぎった。所長は武漢市の周先旺市長に連絡はするだろう。

 どいつもこいつも中央本部の顔色を見るだけの腰巾着だ、真実は語らない、いや、事は起きたが迅速に対応した、収束に向かっているから安心してください、と嘘を報告するだろう。奴らにとって大事なのは自己保身。叱責を受けるような報告はすることはない。それがこの国の役人だ。

 隊長は、密かに処罰覚悟で信頼の置ける陽文精探偵に陳孫明の行動パターンを依頼することにした。隊長を突き動かしたのは親友の死。SARSに注意を払っていた親友をだ。感染症を軽視するのは愚かなことだ、安全な場所でふんぞり返っている奴らに現場の恐怖感などわかるはずがない、その思いだった。

 隊長は、陳孫明の上司と他の研究員と監視カメラに残された彼の行動をチェックした。陳は突然倒れ、しばらくして立ち上がり、ドアの開閉ボタンを押して再び倒れた。そこに救護班から連絡が入った。陳の死亡が確認された。

 同席していた研究員たちは、戦々恐々。

 直様、陳が担当していた新型コロナウイルスのチェックを全職員に実施した。出入り業者にも口実を設け、検体を集め検査した。検査には時間を要したが朗報はあった。新型コロナウイルスの潜伏期間が過ぎて新たな感染者が出なかったことだ。集めた検体からもその時点では陽性反応は検出されなかった。

 武漢市の周先旺市長はその報告を安堵の思いで聞いていた。この安堵感が後に悲劇を拡大させる。


 予断を許さない郭隊長のもとに陽文精探偵から報告書が届いた。その報告には陳の行動パターンが記されていた。忙しさが功を奏したのか行動範囲は極端に狭かった。唯一、麻雀屋に出入りし、機密性の高い職業柄、卓を囲む相手に注意を払っていた。そんな陳が心を許す存在に趙軍事がいた。趙は陳が亡くなって一ヶ月以上経っての発病だった。麻雀を打つ面子はほぼ決まっていた。卓を囲みながら、陳の話題は尽きなかった。二次、三次感染が濃厚になっていた。

 趙は武漢一と呼ばれる共和医院の脳神経外科で1月7日に外科手術を受けていた。共和医院は、多くの武漢周辺の医師から中央本部に原因不明の肺炎が万延しているとの報告を受け、調査に入った病院だった。

 趙軍事は新型のウイルスに感染していたらしいとの疑いが持たれていた。この時点で新型コロナウイルス肺炎の事実は公になっていなかった。それは、研究所も武漢市の周先旺市長も地方当局も「不都合」の隠蔽に走っていたからだ


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