学区対抗戦 最終日

「母さん、待って。待ってくれよ」

 新一は自宅を出てつかつかと歩く母親にそう声を掛けた。新一の母親は、うざったそうに新一を見ると、大きくため息をついた。明るい栗色の、丁寧なウェーブがかけられた髪が揺れると、その奥にあった冷たい眼差しが新一を貫く。

「何?」

「瑞樹は、瑞樹は出さないっていってたじゃないか。その分、おれが出るから――」

「うるさいわねぇ、瑞樹は中学二年になったら出す。私の気が変わったの。あんな子いても、しょうがないでしょ?」

 新一の母親は、そう言うと近くに寄ってきた新一を突き飛ばす。それから、携帯電話を取り出そうとバッグに手を入れたところで、その手が止まった。新一に、腕をぎゅうと捕まれたからだ。

「――あんた、何してるかわかってるの?私は親だよ?」

 新一の母親は凄むようにそう言ったが、新一は俯いたままだった。雨がしとしとと降り出す。

「は、放しなさいよッこんなことしてあんたわかって――」

 新一の母親がそこまでを言うと、今度はもの凄い勢いで突き飛ばされた。地面に転がった新一の母親のスカートが泥で汚れる。

「しんい――」

 何か声を出す前に、新一は母親に馬乗りになって首を絞めた。喉仏に両手の親指を押し当てて、ぎゅうと絞り込むように押さえつける。

「瑞樹は出さないって、言ったじゃないか」

 新一の言葉に、母親はこくこくと頷く。だが、新一の手が緩まることはなかった。新一の額に緊張から脂汗が滲む。もう、引き下がることはできない。気がつけば母親の首に手を掛けていた。親に暴力を振るえば、極刑はなくとも、重い罰が科せられる。自分が居なくなれば――妹である瑞樹が学区対抗戦に代わりに出させられるだろう。

「ぐもッ――ぐふッ」

 母親の鼻から荒い息が漏れる。そして新一の息も荒くなっていく。更にぎゅうと指を押し込むと、何かが巨大なしこりのようなものが潰れた感触がした。その瞬間、母親の身体は激しく痙攣し、両足がぴんとなって伸びた。だが、新一はまだ首から手を放すつもりはない。左手で首を掴みながら、母親の髪の毛を掴んで思い切り左に、右に振るった。そして、舌を出し始めた母親の顔を、激しく殴打した。左手と右手、交互に思い切り殴打する。

「はぁ――はぁ――…」

 それを――どれだけ続けたのだろうか。新一は馬乗りになっていた母親の腹から尻を上げ、ようやく立ち上がると、眼前には母親だったものが倒れていた。新一の激しい殴打によって母親の顔面は陥没し、左目は飛び出てしまっている。

「はぁ――はっ…」

 新一は呼吸を整えた。もう、後には戻れない。新一の脳は激しく動き、これからどうするのかを決める。不思議と罪悪感や後悔はなかった。むしろ、心の中は晴れやかだった。

(とりあえず死体だ、死体を隠さなければ――)

 母親の死体を、母親が乗ろうとしていた車の後部座席へと乗せると、それから素早く運転席へ滑り込んだ。

(海は遠い――かといって車にも捨てられない、埋めるしかない――)

 新一は運転席から降りて、後ろ手にドアを閉めると、後部座席のドアを開き、母親の死体を後部座席のシート下に押し込み、蹴り込んだ。蹴り込んだ瞬間、濁音が混ざった音を母親の身体が放った。蹴り込んだ衝撃で母親は糞尿を漏らしたのだ。車内には酷い臭いが充満する。

「ちっ――」

 新一は舌打ちをしながら、車を降りて自宅へと向かう。しとしとと降っていた雨は、いつの間にか強くなっていた。新一はふと思う、天は自分に味方をしているかもしれない――。強い雨は、母親を殴った時に飛び散った血を綺麗でなくとも、目立たなく程度には洗い流すだろう。

 自宅のドアを空けると、そこには心配そうに玄関で待つ瑞樹の姿があった。瑞樹は、新一を見て何かを言おうとする前に、新一が喋る。

「瑞樹、ベランダからスコップを持ってきてくれないか?ほら、去年母さんが園芸やるとか言って結局やらずに、放置してある結構立派やつ」

 極めて冷静に、そして何事もなかったように新一がそう言うと、瑞樹は頷いたが、その場所から動くことはなかった。

「お兄ちゃん、大丈夫なの?お母さんと何かあった?びしょ濡れじゃん」

「大丈夫だいじょうぶ、ちょっと学区対抗戦のことで相違があってね、突き飛ばされちゃってさ」

「そう――でも、スコップなんてどうするの?」

 瑞樹がそう聞くと、新一は軽く息を吐いてから答えた。

「学区対抗戦の為に、スコップを使って身体を鍛えるんだ、これからしょっちゅう使うことになるから、今後は玄関に置くから」

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