学区対抗戦

 かちゃりと静かに自宅へと戻った新一は、家の気配で瑞樹が眠っていることを確認した。どこにも明かりはついていない。時間は深夜一時五十分。約束の時間までは、残り十分しかない。

 足音を忍ばせながら、それでも急いで瑞樹の部屋へと向かった。最も、この家に瑞樹の部屋などなく、新一の部屋と同じなのだが。

 四畳半の狭い部屋をそっと開けると、瑞樹が眠っていた。新一は丁寧に用意したガムテープを伸ばすと、それを一気に瑞樹の顔面へと巻いた。

「もごっ――」

 瑞樹が激しく抵抗する。新一の心が痛んだが、こうするしかなかった。

「瑞樹、抵抗するな。おれだ、新一だ。手荒な真似ですまないが、お前とはここでさよならなんだ――」

「ももッも――」

 瑞樹の抵抗は収まらない。新一は瑞樹の脚をがっちりと自らの脚で挟み込むと、まずは両腕の自由を奪った。ちらりと瑞樹の顔面を見る。大丈夫――鼻は出ている。窒息はすることはない――。新一は瑞樹の手首から肘までをがっちりとガムテープで固定すると、そのまま脚も足首から膝までをがっちりと固定した。

 瑞樹は、芋虫のようになりもぞもぞと身体を動かしたが、もう抵抗することはできない。

「瑞樹、すまん。お前にすべてを話しても絶対に納得しないから――お前を、今から強制的に海国へ連れて行く」

 新一はそう言うと瑞樹の身体を持ち上げて、玄関に置いてあるダンボール箱に詰めて、外へと持ち出した。

 自宅の外には、黒塗りのワンボックスカーが停車しており、外ではシラキが悲しそうな瞳で新一を見つめていた。

「ご迷惑かけますが、お願いします」

 言葉少なく、新一がそう言うと車から降りてきたシラキの部下がすぐに後部座席のドアを開けて、新一が持っているダンボール箱を受け取る。

「いいの?何も話していないんでしょう?あと十分は大丈夫。最後に、妹と話した方がいいんじゃない?」

「――…」

 新一は軽く沈黙してから、シラキの言葉に頷いた。後部座席から乗り込むと、瑞樹が入っているダンボール箱を開けて、瑞樹の顔面のガムテープを少しだけ剥がした。瑞樹の瞳が、新一を捕らえると、涙が溢れる。

「瑞樹、大きな声を出さないって誓えるか?」

 その言葉に、大きく頷く瑞樹。新一も深く頷くと、瑞樹の口付近のガムテープをゆっくりと、丁寧に剥がす。

「お兄ちゃん、どうして。なんなの?この人たちは?」

「この人たちはおれの味方なんだ。瑞樹、落ち着いて聞いて欲しい。対抗戦前夜の明日では出国のリスクがあると考えて、今日、お前はこのまま海外へと旅立つ。だけどな、すぐに仁美や双葉――きっと、次郎も来るから、安心していい」

「待ってよ、言ってる意味、わからないよ。お兄ちゃんは?お兄ちゃんもすべてを捨てて、今行こうよ、怖いよ」

 瑞樹のその言葉に、新一は首を振った。

「おれは駄目だ、この人たちへの約束と、仲間達を置いてはいけない――」

 ぐぐっと、新一の瞳に涙が貯まっていく。胸に込む上げてくる感情は悲しみ――そして、罪悪感――。瑞樹には、本当のことは言えない――今は――言えない。

「大丈夫だ、おれも――お兄ちゃんもすぐにお前を追っていくからッごめんな瑞樹、今はこの人たちの言うことを素直に大人しく聞いて、いい子にしててくれ」

「お兄ちゃん――」

 新一はそう言うと、瑞樹の頭を撫でてから強く頷き、車から出る。外では、シラキがやはり悲しそうな顔で新一を見つめていた。

「――お願いします。コウナギ会長にこんな最善策をとってくれたお礼と、明後日は信じて賭けてくださいとお伝え願えますか」

「――わかったわ。新一くん、瑞樹ちゃんには、本当のこと――私から言わなくていいのね」

「――はい。すべてが無事に終われば、仲間の誰かに託します」

「――そう。わかったわ、では、こちらは心配しないで。明日の朝には、もう飛行機に乗っていると思う。明日また、報告に私がここに来るから」

「お手数おかけします」

 新一がそう言って頭を下げると、シラキは新一の頭を抱いた。新一の鼻に、大人の香りが漂ってくると同時に、今まで感じたことのない、初めての『母性』を感じた。

「こういうのはおかしいけれど、頑張ってね。あなたの覚悟、私たちは目を背けずに見ているから――。そして――大人の一人として、貴方に謝っておきたい。こんな――こんな腐った国で、本当にごめんなさい――」

 シラキはそれだけを言うと颯爽と車に乗って、走り去っていた。新一はしばらく頭を下げたまま、そのままで硬直していた。

(瑞樹――すまん。おれは――行くことはできない――おれは――おれは――)

 新一は、瑞樹に嘘をついていた。そう、新一は決して、瑞樹の後を追うことはない。あとはただ、瑞樹のこれからの人生を願うだけだ。もしかすれば――コウナギならば、自分も海外へ逃がしてくれる可能性もあったかもしれない――。

 だが――駄目だ。それでは駄目だ。すべては自分が決め、自分が犯した過ちだ。うまくいくはずがない。瑞樹はともかく、自分は海外へうまく逃げても三件の殺人という罪からは逃してはくれないだろう。だが、瑞樹は海外ならば――親殺しの罪を兄弟で被る必要などない。瑞樹は、誰も殺してなどいないのだから。それに、一応は自首をする。自白ととられるだけかもしれないが、自白をした先に、自分を逮捕できないのは自分達――大人達が作ったルールのせいである。そう――新一は――。

(瑞樹、おれは――母さんは殺したんだ――)

 親殺しなのである――。

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