学区対抗戦
「ただいま」
気まずそうに新一が自宅へと戻ると、すぐに瑞樹がどたどたと出迎えに出てきた。激しい出迎えというのはもう何年もない。瑞樹がまだ幼少の頃くらいにたまにあった程度だ。
こうして瑞樹が自分が帰ってきたと同時に玄関へ走って来るということは、何らかのトラブルが発生しているということであり、出てきた瑞樹の苦い表情を見て、それは完全なる確信へと変わる。
「お兄ちゃん――またあいつが――」
焦る瑞樹の表情を見て、新一の表情は冷めていく。
先程のような双葉から攻められ、どうすればいいか感情を隠すために冷めた表情をしたわけではない。純粋な――怒りからだ。
「お――新一ぃ、やぁぁっと帰ってきたのかよ」
リビングから、髪の毛を茶色く染めて緩いパーマをかけ、浅黒い肌を見せつけるように大きくシャツを開けた着た男が顔を出す。胸にはクロスのネックレスが光り、タイトなジーンズを履いているその様は、まさしく夜の世界で働く男――そのものだった。
「真木さん、母は帰ってきてませんよ」
「わーってるっての、だからよ――新一にさ、相談しにきたんだよ――」
真木と呼ばれた男は悪意のある笑顔を見せ、壁に肘をかけて首をかしげた。芝居がかったその仕草に、新一はいますぐにでも殴りつけてやりたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えて奥歯を噛む。
「相談?」
「そぉぉぉなんだよぉぉ新一ぃ」
唾を飛ばしながら興奮気味にそう言った真木は、頭をぐしゃぐしゃと掻きむしる。ぎゅうと新一が握り拳を握ると同時に、真木はそのにやりと笑ってから新一を舐めるように見つめ、それから再び口を開いた。
「お前、学区地区対抗戦出るんだろ?その金が入るあいつの口座、おれに預けといてくれよぉ、あいつ、うちの店でさんざん飲んだツケが随分と貯まっててよ、このままじゃおれが負担しなきゃなんなくなんだよな――」
そこまで言った真木は、急にぎらりとした鋭い目で新一を睨み付けた。真木は威嚇のつもりだったが、新一はまったく動じないまま、軽くため息をつく。
「母の口座なんか、どこにあるかわかりませんよ。見たこともないんで、持ち歩いてるんだと思いますよ」
「新一ぃ、じゃああいつのツケはどうするんだ?あいつのガキであるお前らが払ってくれんのか?あぁ?」
真木は威嚇のスタイルを崩さないまま新一にそう言うが、新一は今度は鼻で笑い、真木を押しのけてリビングへと向かう。咄嗟に真木が新一の肩を掴み、振り向かせようとしたが、新一の体幹は強く、真木が引いてもびくともしない。新一は振り返らないまま口を開いた。
「真木さん、帰ってください。母のツケまでを支払わなければいけない法律もないですし、アンタ、不法侵入だよ?それに――親を思い、学区地区対抗戦に出る大切な身体のおれに怪我でもあれば――とんでもないことになること、わかってんだよな、真木さん」
「ぐっ――」
新一の物言いと迫力に、真木は新一の肩からその手を離す。それと同時に、新一はそのままリビングへと向かう。
「このガキぃ――」
恨み口調でそう言った真木は、舌打ちをしてから新一の家から出て行く。玄関のドアを力一杯乱暴に閉めた真木を瑞樹はため息まじりに見送ってから、新一の後を追ってリビングへと入った。新一は、リビングに置かれたソファーに座っていたので、その隣に瑞樹もぼすんと勢いよく座る。安物のソファーがぎしりと大きく軋んだ。
「さすが、お兄ちゃんだね」
「あんな雑魚、どうでもいいだろ。でもまぁ瑞樹――もうすぐ――こんな生活も終わりだから。瑞樹、学校に友達がいるなら、ちゃんとお別れをしておけよ」
「お兄ちゃん、本当に海外に行くつもりなの?」
「ああ――こんなクソみてーな国とは、おさらばするんだよ――」
そう言った新一の表情が、決して希望的なものではないことに瑞樹は気付いていたが、その理由を聞くことはできなかった。瑞樹は、これまで様々なことを有言実行してきた兄ではあったが、今回ばかりは皆殺しの和馬相手に勝利するという確証が持てないのだろうと思ったからだ。
(大丈夫、お兄ちゃんなら――絶対に勝てるから)
瑞樹はそう心の中でエールを送る。
だが――新一が悲しい表情を無意識に出してしまっているのは、勝てる勝てないの確証などではない。
新一だけは知っているのだ。自分が絶対に――瑞樹と一緒に海外になど行けないということを――。
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