学区対抗戦

「新一を信じようよ」

 飛び出すように新一が教室を出て行った後に、入れ替わりで入ってきた美枝子が一連の事情を聞いてからそう平然と言った。話を聞いてまったく取り乱すことのなかった美枝子の姿は、全員の気持ちをも落ち着かせた。

「でも美枝子――おかしいじゃない、新一が、どうして新一がいろは中学と話すの?」

 双葉がそう美枝子に聞くと、美枝子は無言で軽く何度か頷いてから、諭すような表情で双葉目をじっと見つめる。その姿はまるで母親のようであり、慈愛に満ちていた。

「それは、わからない。もしかすれば――私達を裏切って、自分だけ生き残るつもりなのかもね」

「――…ッ」

 誰もがそう思いながらも口にしなかった言葉を、美枝子は平気で口にする。全員の視線が美枝子に注がれる中、美枝子はゆっくりと口を開き、言葉を続けた。

「でも、いろは中学に頼み込んで、新一だけ生かす。いろは中学からしたら、そんなメリットある?五人殺すより、全滅の方が断然賞金がいいんだもの。開始と同時に私達を新一が皆殺しにしたって、その後で新一は六対一で殺されてしまう可能性が高い。新一はそこまで考えない程に馬鹿かな?それに――双葉、思い出してよ、新一が――どういう男なのかを――双葉だけじゃない。みんなも、思い出して。あの男が――どういう男なのかを」

「だけど美枝子、おれにも黙って――」

 次郎がそこまで言って唇を噛む。悔しさと怒りで、俯く。

「次郎、もしも――新一に言えない事情があるとすれば?私達に知られると、問題がある作戦だったとしたら?」

「そ、そんな作戦、あり得るかよ」

 今度は三平が美枝子に向かってそう強く言った。心配性の三平は、新一の不穏な行動によって精神がかき乱されている。

「みんな、わかってるでしょ?どのみち――新一無しでは、いろは中学と戦っても相手にすらならない。新一以外でまともに戦えるのは次郎だけ。相手は、男子も女子も精鋭な上に、あの皆殺しの和馬がいるんだから」

「だけどさ――」

 尚も食い下がる三平を、美枝子はぎっと睨み付ける。美枝子の鋭い眼差しに、三平は口をもごもごさせたまま少し下がった。

「例え新一が裏切っていたのだとしても、私達は新一に何を言う権利もない。おんぶに抱っこしてもらって、何か言う権利なんかあるの?みんなさ、新一を信用できないのであれば、貴方達だけで戦う術を考えればいい。でも、できないでしょ?だったら何を言う権利もないし、私達は新一が言うその今は説明できないって言うのを、待とうよ。今は――でしょ?ずっと、黙っているわけじゃないんだから」

 美枝子の言葉は力強く、同時に、その眼差しも力強かった。

 決して気が弱いわけではない次郎も、美枝子の言葉と眼差しに、ぐっと喉を鳴らしただけで反論などできない。

「わかった、待つよ」

 ぼそりと双葉がそう言うと、三平もそれに頷いた。次郎は何も双葉の言葉に反応をすることはなかったが、それは肯定したことと同意義だった。仁美は、悲しそうに俯いている。

「大丈夫、新一を――信じよう。みんな、あの男がどういう男だって、知らないわけじゃないないでしょ?ねぇ仁美」

「――うん」

 急に名前を呼ばれた仁美は、思わず頷いてしまったが、その拍子に新一がどんな男であるかを、ゆっくりと思い出す。それは――決して意識してやったことではない。無意識のうちに、新一のことを思い出した。

 初めて新一と話したのは、自分が男子トイレで複数の上級生にレイプをされている時だった。

 あの時の――気まずそうな新一の顔を、今でも鮮明に覚えているのと同時に、自分が混乱して口走った台詞を、仁美は恥ずかしく思った。

 色々な場面で見てきた新一を、仁美はさらに思い出す。

 思い出せば思い出すほどに、仁美の胸が暖かくなり、同時に、悲しさが溢れた。

 自分は所詮汚れた女であり、新一を――自分の胸を焦がす新一を愛する権利などないのだと、強く思う。

 美枝子が言う――新一が何をしていても、何かを言う権利なんか私達にはないという言葉は、仁美からすればぐさりと胸に突き刺さる言葉だった。

 そう、仁美は――自分には新一を疑うどころか、愛する権利すらないのだと――傍らにいる権利すらないのだと、仁美は本気で思っている。

 不意に、仁美が零した涙がぽたりと床に垂れた。

 涙する仁美を見て、彼女がどうしてここまで悲しんでいるのか、自分を卑下しているのか理解しているものはいない。

 ただ一人――新一以外は。

 新一だけが、自分を卑下している仁美の心を、見抜いている。

 新一は、仁美がいるからこそ、自分が行おうとしている策の説明をしない。

 そう、絶対に新一は仁美を幸せにすることはできないと決まっているから。

 すべてを知れば、仁美が耐えうるとも――思えないから。

 そして何よりも、そんな仁美を新一は狂おしいほどに愛しているから。


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