学区対抗戦
「落ち着いた?」
「う、うん」
自分は情けない男だと、三平は自覚する。三平には新一のような頭脳も体力も、次郎のような覚悟もない。更に、両親にも恵まれていないわけでもなかった。三平の両親は意気地なしで鈍くさい三平に興味こそなかったが、それでも、学区対抗戦に出場させようと考えるような両親ではなかった。
そんな三平が学区対抗戦に出る理由――それは、美枝子に他ならない。病気の両親の為に、学区対抗戦への出場を決めた美枝子。三平は新一や次郎に何も――むしろ誰にも何も勝てるものなどないが――たったひとつだけ、美枝子に対する愛だけは、誰にも負けていないと思っていた。
自分が出ることで、たった一撃でも――この身を使って美枝子を守ることができるなら――そして、美枝子がいなくなってしまった世界には、なんの興味も、生きる意味さえも見いだせない。
身勝手だとは思っている。逆に、自分が出ることで美枝子に大きく迷惑を掛けてしまうかもしれない。だが――三平は気が付いた時には学区対抗戦の申し込み手続きを完了していた。
それからというもの、こうして毎日美枝子の胸で泣かせてもらい、恐怖と戦っている。本当に情けない男だと自覚する。だが――恐怖で潰されてしまいそうになってしまう自分を、どうにもできなかった。
「情けない…情けない奴で、本当にごめん」
三平がそう言うと、美枝子はそれに頷いた。
「ううん、本当に情けない人は、誰かの為に学区対抗戦に出場なんてできないよ」
美枝子はそう優しく返すと、三平の後ろ頭を抱いて再び自らの胸に抱き寄せた。三平はそれに逆らわず、その心地よい感触に頭部を預けて、美枝子の香りを胸一杯に吸い込んだ。
新一や次郎――仁美や双葉からすれば、この二人は恵まれていると教師達は言う。だが、学区対抗戦に出場する彼らからすればそうではない。それはあくまで学区対抗戦に出ない奴の意見だと言う。
三平も双葉も――本来であれば学区対抗戦になど出場しなくてよい人生なのだ――。
新一達とは違う――三平と双葉の人生に――そこに学区対抗戦というレールはない。
『出なくてもいいのに、学区対抗戦に出るってことがどれくらいすごいことか、あいつらわかってないんだよ――』
少し前に、美枝子と三平に新一がそう言った。三平が、新一に迷惑を掛けるかもしれないと謝りに行った時のことだった。学区対抗戦は六人一組であるから、メンバーに優秀ではない者がいると大きく戦力が下がるのは誰にでもわかることである。
『でもおれ――ほんと鈍くさくて――』
『美枝子から離れないように。それだけでいい』
新一がそう言って三平の肩を叩く。その瞬間――三平は、新一が何故次郎や双葉――美枝子からも絶対の信用を得ているのか理解した。三平は新一とは同学年ではあるが、あまり話したことはなかった。むしろ、上級生を病院送りにするくらいなのだから、怖い人間だと思って敬遠してきた。
だが――そうではなかった。新一の言葉には、何故か絶対の安心感があった。こいつならどうにかしてしまうんじゃないかと期待してしまう、安心してしまう何かがあった。
表情?声の質――容姿――そういうものではない、何か――それは三平にも、きっと本人にもわかっていないが、ある種の才能であるに違いない。
だがそんな新一から得た安心感も、新一から離れてしまえばその恩恵を受けることはできなくなる。学区対抗戦の試合日が近づくに連れて、どんどんと三平の恐怖はその身を包んでしまう程大きくなっていく。
「いいんだよ、怖くていいの。私だって――怖いんだよ」
美枝子は、震える三平を再び抱く。自らの震えを隠したまま、強く抱く。そして、少し汗の臭いがする三平の頭を抱きながら、美枝子は願った。神にでは――ない。自分が最も信頼を抱く男に――。
新一――ッ。お願い、新一――ッ。どうか――…。
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