学区対抗戦
(何を――話しているのか)
双葉はいろは中学校の近くの公園で、木の陰に隠れながらそう心の中で呟いた。双葉の視線の先には、新一と――そして、和馬、二戸が居る。決して平和的な雰囲気ではない、特に二戸は敵対心を露わにし、腕こそ組んではいたが、今にも新一に飛びかかりそうだった。
双葉は、たまたま新一を帰り道に見つけ話し掛けようと思っていたが、そわそわとして様子が変だったので話し掛けられず、そのまま黙って新一の後を尾行してしまった形になったのだ。
その時の新一は何か覚悟を決めたような――今までにない新一の表情であり、そして、向かっている方向も新一の自宅とはまったくの別方向だった。
「――な――話を――」
「――けど、おれは――…――じゃないか」
会話を聞き取ることはできない。断片的にすら聞き取ることは難しい。これ以上近づけば三人に気付かれてしまうだろう。それに、結果として新一を尾行してしまった。新一がそれを知れば、良くは思わないだろう――双葉は、新一に嫌われるのが怖かった。三人の会話が気になりながらも、双葉はこれ以上近づくことはできない。
(あ――)
二戸が新一の肩を押した。
「調子のいいこといってんじゃねぇ、そんなことあるわけねぇだろッ」
二戸が発した怒号の言葉は大きく、双葉の耳にも届いた。激昂した二戸を止めたのは、和馬だった。和馬は終始冷静であり、学区対抗戦前の揉めごとは重犯罪に属するとよく理解していた。
どくん――と、双葉の心臓が強く内側から叩いた。
(まさか――裏切り――)
学区対抗戦において裏切りは常套手段であり、強豪の学校にこうして裏話を持ち込むのは珍しいことではない。
双葉にとって神にも等しい存在である新一が、裏切りなどするはずもない、信じたいという思いと、今目の前にある光景は矛盾していた。そう、新一がこれから戦う相手学校と話をするなんていうことは、裏切り以外にあり得ない。双葉はそう思ってしまった。
だが相手学校に裏切ると見せかけて二重で裏切るという可能性もないわけではない――でも――それならばそうと最初に話してくれたっていい。それに――相手は常勝無敗のいろは中学校が誇る最強の生徒、皆殺しの和馬――。そんな策が通用するとも思えない――。そもそも彼らには、裏切りなどというくだらない策など必要がないのだから。
双葉の心臓がどんどんと血液を身体中に送り出す。
「――…――が――で、その時に――てくれていい」
新一がそう何かを言った瞬間、二戸と和馬の動きが一瞬ぴたりと止まり、それから驚いた表情で新一を見た。終始冷静だった和馬でさえ、新一が発した言葉に衝撃を受けたのか、大きく目を見開いている。
「――か?」
「ああ――」
和馬が発した言葉に、新一は頷く。和馬はそんな新一を見ると今度は目を閉じて俯き、考え込んだ。二戸も、困惑した表情で和馬と新一を交互に見つめている。
三人はしばらくそのまま沈黙した。和馬が目を開き、新一をじっと見つめると手を差し出す。それは、握手を求めるものだった。新一は、すぐにその手を握る。
「――で、あれば――よう」
「――とう」
新一の何かの提案を、和馬は了承したようだった。二戸も、和馬の決定に従ったのか、小さく頷く。
(どうしよう――)
双葉は率直にそう思った。内容がわかならいにしても、仲間の誰にも言わず――少なくとも自分には言わず、相手学校であるいろは中学校の生徒と何かの密約を交わしたことは、間違いない。
自分だけ生き残る――?いや、そんなことはない。あれは、あれは新一なのだ。双葉は唇を噛みしめると、そっとその場を離れた。新一にここで問い詰めれば、皆殺しの和馬にいいイメージは与えられないだろう。あの新一が、何かを練っているのだ、それを邪魔することを双葉はしなかった。
問い詰めるのは明日でもできる――。双葉は公園を出ると走り出す。どこへ向かえばいいのか、向かおうとしているのか、自分にもわからなかったが、走り出した。
〈新一が――裏切るはずなんて、ない〉
双葉の目には涙が溢れ、やがてそれは零れ落ちた。
(そんなバカなこと、あるはずない)
新一を信じたい自分と、先程見た光景が頭の中で交差し、その感情が溢れ出して涙という形になった。公園から三百メートルほど離れた場所で双葉はゆっくりと速度を落として止まると、膝に手をついてはぁはぁと小刻みに何度も息を吸う。
(そんなわけ――ない)
双葉が顔を上げる。丁度、夕日が街を映し出していた。夕暮れに染まっていく景色は美しかった。建物の影が伸びて、人の影も伸びた。
双葉は景色を見つめたまま固まる。こんなにも美しい景色が、学区対抗戦で負ければもう二度と見ることができない。
いつ、死んでもいい。どうせこんな人生なのだから。双葉は何度もそう思ったことがあるし、実際にそう思っている。
だが――まだ、希望はあるのだ。針の先程の希望かも知れないが――希望があるのだ。だからこそ、もう死んでもいいなんていうことを、本気で思えない。どこかで、まだ死にたくないと願っている。そして、その僅かな希望にすがることでしか、自分の生を見いだせない。
(次郎――ッ)
こんな美しい景色を、双葉は次郎と見たかった。一緒に眺めながら、手を繋いで歩いて帰りたかった。両親に恵まれた普通の学生にとっては、ささやかであるそんな幸せが、双葉にとっては最大の幸せであり、希望であり、すべてだった。
大袈裟ではない。彼女を形成する、生きる意味――すべてだった。
(新一――ッお願いだよッ)
双葉の希望は新一が握っている。双葉だけではない、ABC中学校の学区対抗戦に参加するメンバーはみんなそうである。新一がなんとかしてくれる――新一が――ッ。
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