学区対抗戦

「おはよう」

 会議室のドアが開くと、そこに立っていたのは新一だった。美枝子と双葉は、新一を見て驚いたように声を上げる。

「新一、どうしたの!?まだ時間前だよ、遅刻魔のあんたが珍しい…」

「たまには時間通りに来てみようと思ってね。まぁ…今日は大切な日だし」

 新一はそう言うと美枝子と双葉から少し離れた椅子に座った。背もたれに深く背中を預け、天井を見上げると目を閉じて、深くため息をついた。その様子は、明らかに『疲れ』だった。美枝子は、遅刻魔の新一が時間通りに来た理由が寝てないからではないかと推測した。よく見れば、新一の目元にはクマができている、顔色もよくない。

「新一…寝て…ないの?」

 美枝子がそう聞くと、新一はぴくりと反応した。

「ああ、ちょっと色々あってね。寝不足なんだ」

「完璧人間と言われた新一が?珍しいこともあるのね」

「――…この世界に、完璧な人間などいないよ。いや、探せばいるのかな?まぁでも、少なくともおれは違う。そもそも、朝弱い時点でもう完璧じゃないだろ?」

 美枝子の言葉に新一が笑ってそう返すと、美枝子と双葉はゆっくりと首を振る。

 新一は――ここABC中学校創設以来の完璧人間と言われていた。容姿も良く、スポーツ万能であり、成績は優秀。先月行われた県内一斉学力テストでは、総合得点で県内三位をキープしている。そして陸上の短距離でも県内八位の記録を持ち、気まぐれで出たサッカー部の県大会予選では、県内個人成績トップとなる総合二十七得点をたたき出し、弱小だったABC中学校を県大会へと送り出した。

 教師達は、将来有望な新一を学区対抗戦に出すことを残念に思い、新一の母親に例外ではあるが「出さない方がいい」と提案した。だが、新一の母親は、そんな提案を鼻で笑い、「そんなに優秀なら、学区対抗戦でも勝つんだよね?そこまで言うなら、負けたら保証してくれるの?」と教師達をはね除けた。 新一の能力は高い。頭脳も、身体も。今回の学区対抗戦も、普通の相手であれば、いい勝負になっていたかもしれない。

 だが――相手は、いろは中学校屈指の精鋭、皆殺しの和馬と呼ばれる全国区で有名な猛者が率いる、最強集団なのである――。

「おはよう」

「おっはよう」

 次に入ってきたのは、次郎と三平だった。次郎の髪はぼさぼさであり、三平は寝起きの顔をしていた。

「あれ?新一よりおれが遅いなんて珍しいな、なんだ、今日は雨じゃなくて、槍でも振るのかなぁ」

 しししと笑いながら次郎がそう言って、新一の肩を叩く。次郎もまた、あまり眠っていないようだった。新一と同じように次郎の目の下にはクマがあり、顔色もよくない。双葉は、そんな次郎の事を心配したが、口には出さなかった。ただ、ぎゅっと唇を結んで、新一と笑いあう次郎の顔を眺めていた。

 次郎と新一が似ているのはクマや顔色だけではない、その境遇もほぼ同じだった。母親が自分を育てたのは、すべて金の為であり、学区対抗戦に出させるためだけに人口保育器で『自分』を作った。双葉のように後天的に学区対抗戦に出るのではなく、そもそもして、生まれる意味が学区対抗戦だったのだ。学区対抗戦は、最も早い時期で子供が金を稼ぐことができる競技であり、そういう親も珍しくなかったが、大体は育てていく段階で祖父や祖母――知り合い、兄弟などに諭されて学区対抗戦に出すことはない。愛情や人としての道徳観点は勿論であるが、多くは、『一族を晒し者にしたくはない』という概念があり、特に、二十年前――老人達を皆殺しにした総理大臣に大きな恨みを持っている世代は、その意向が強い。

 学区対抗戦は合法ではあるが、今でも多くの議論を生む競技――いや、公営ギャンブルだった。

「おは――あれっ、私が最後?」

 最後に入ってきたのは、仁美だった。仁美は驚いて周りを見渡すと、空いている美枝子の隣へと座る。学区で一番と言われた仁美の美貌は、座る所作さえも美しく見える。その所作に一瞬新一は見とれてしまったが、すぐに目を反らした。

 新一は仁美に好意を抱いていたが、もうその気持ちを心の奥底にしまいこんでいた。最後まで隠し通す決意をしていた。彼だけは、結果をわかっているからだ。

 そう、絶対に自分は、仁美を幸せにすることができないと――わかっているからだ。

 仁美は、その美貌から競売に掛けられた娘で、十三歳から十五歳までの女にしか興味がないロリータコンプレックスの男に買われた。義父となったその男は、ほぼ毎日仁美を犯し、すでに四度の堕胎手術をしており、仁美はすでに子供を望むことのできない身体になっている。

 そして義父は、十五歳となった仁美を学区対抗戦に出場させ、それで得た金でまた新しく十三歳の娘を競売で買うつもりだった。

 この話を多くの者が知っているが、本当に仁美を絶望させたのは、この話を知った男の多くが同情ではなく、「自分もいいだろう」と身体を求めてくることだった。

 義父だけの頭がおかしいと思っていた仁美は、義父に犯されている時、心を無にし、化け物が満足するのをじっと待つことで精神を保っていた。世の中は、こんな化け物ばかりではないと夢を見ながら。

 だが、蓋を開けてみれば――この世界は化け物ばかりだった。何度も何度も自殺を考えたが、自殺を思いとどまる最後の綱は――新一だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る