学区対抗戦

 ABC中学の三階の角にある会議室で、美枝子はパイプ椅子に座り、膝の上に手を置いていた。目の前にある大きなホワイトボードの上に掛けられている時計は八時半の少し手前を指している。集合時間の十五分前――美枝子は優等生であり、約束の時間は厳守しなければならないものだと、両親に厳しく教わっていた。

 一見して少し気が弱そうではあるが、聡明であり、美人である美枝子。教師達からも評判は良く、リーダーシップもあり、クラスでは委員長を務めている。

 そんな優等生――そして両親に恵まれている美枝子であるから、学区対抗戦に出ると本人が志願した時、教師達は何度も美枝子にその意志を確認した。美枝子の両親は人口保育器で美枝子を育てたが、愛情はあった。両親の意思で美枝子を学区対抗戦に出すはずがないと思ったからである。

「父が病気になって、仕事ができなくなり…お金が…ないんです」

 絞りだすような言葉で、教師にそう言った美枝子。教師は、「そうか――」という力無き声をかけることしかできなかった。

「美枝子、早いね。やっぱ委員長は違うーって感じ?」

 そう言いながら双葉が入ってくる。口では軽口を叩いているが、その目は大きく泣きはらしており、真っ赤に充血した瞳はまるで兎の様だった。

 双葉は、美枝子と違って両親に恵まれていない。美枝子のように自らの意志ではなく、父親が博打で作った借金の為に学区対抗戦に出るのだ。父親は、いわゆる暴力団から「娘を学区対抗戦に出させる」という担保で多額の借金をしており、出なければ競売に出すと実の父親に言われている。活発でボーイッシュだが、双葉は可愛らしく、同世代の中では胸も大きい方だ。「この娘なら良い値がつくだろう」と言った暴力団員の蛇のような目を見た時の恐怖を、双葉は今でも忘れてはいない。

 ――双葉は、競売にかけられ変態野郎の性奴隷になるくらいなら、学区対抗戦の方がいいとして、迷わず学区対抗戦への出場を選んだ。この国の子供の命など、あってないようなものだ――双葉は常にそう思っている。そしてそれはまがうことなき事実である。

 因みに、母親は酒飲みで博打打ち、そして家庭内暴力の激しい絵に描いたような底辺の夫に耐えられず、あっさりと自分を捨てて家を出て行ってしまった。

「おはよう、双葉。私は気が小さいだけ。約束を守らないと、どきどきしちゃうの」

「ははは、またまたぁ。私は、美枝子が強い女だって知ってるんだから」

 双葉はそう言いながら美枝子の隣に腰掛ける。パイプ椅子がきしっと静かに音を立てた。

「三平は?」

「次郎は?」

 二人同時にそう質問をすると、二人は顔を合わせて笑ってしまった。どうやら、こんな時であっても、相手の思い人のことが気になってしまうのは、若い娘の性らしい。

「同時だったね、三平はもう少ししたら来るんじゃないかな?あいつは、朝弱いから…」

 美枝子はそう言うと何かを思い出すようにはにかんだ。美枝子と三平は、交際している。誰もが少し間抜けで、気の弱い三平と聡明な美枝子が交際していることに驚き、時には止めた方がいいと言ったが、美枝子は「そんな三平が私は好きなの」と言った。

「次郎はどうかな?間に合えばいいんだけどね」

 対する双葉と次郎は、交際までは発展していない。両思いであることをお互いに確信はしているが、最後の一線を越えられなかった。次郎は、学区対抗戦を無事に切り抜けたら必ず告白するつもりでいたが、双葉は今すぐにでも抱き合いたかった。それでも、双葉から告白する勇気もなく、二人はもやもやとした関係のまま今日までに至る。

「双葉から言っちゃえばいいのに。次郎だって、絶対オーケーするでしょう?」

「やっぱ、あたし女だし、告白されたいじゃん?」

 双葉はそう言うとけらけらと笑い、顔を赤くした。

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