学区対抗戦
鈍く銀色に光る人口保育器を眺めながら、新一は大きくため息をついた。中には緑色の液体――人口羊水がたっぷりと入っているが、新一の家にある人口保育器は今は空である。
(狂っている)
それは新一が、幼少時代からずっと思ってきたこと。この世界も、大人も、なにもかも狂っている――。
二十年前、若き政治家が圧倒的な支持数で選挙に勝利し、この国の総理大臣になってから、この国は狂い始めた。少なくとも新一はそう思っているし、多くの若者がそう思っているだろう。
若き総理大臣が提案した法――それは、少子化問題として働く女性への圧倒的、具体的な支援と、老人の排除。そして、希望制の安楽死制度導入。
「どんなに私は恨まれようとも、すべてはこの国の為――後に、悪魔と罵られようが、私は実行致しますッこの国の為――実行致しますッ」
若き総理大臣は、国民の前でそう大演説を行い、まずこの国の八十歳以上のすべて老人を安楽死させて、死にたいと願う者も安楽死させた。反発する勢力は、これまで圧迫され、その本当の力――武力を出せることのなかった自衛隊が嬉々として容赦なく黙らせ、問答無用で制裁した。そして、この国の十五%を越えると言われている八十歳以上の老人が居なくなったことによって余った国の金を、少子化問題へと当てた――。
それが、人口保育器である。
人口保育器は、妊娠の必要が無く子供を作ることができる装置。当初は人権団体などが反発したが、実装から二十年経った今は、最早当たり前の装置としてこの国に存在している。
セックスによって受精したものも移すことができるし、人工授精したものも可能なこの装置は、腹が大きくなることなく子供を作り、育てることが出来る。
受精した卵子を専門の機関で取り出し、人口保育器に入れて栄養剤を差し込めば、自動的に中に居る子供は育ち、適切な時期になったら排出されるシステムだ。
だが、自らの腹を痛めることなく、出産という大きな壁がなくなり、『子供』という存在が手軽になってしまった分、いつしか、決して少なくない家庭で『子供』はペットと同じ扱いになってしまった。子供が増えすぎた先に、破綻する家庭も多く、多くの孤児が生まれ、あれだけ少子化と騒がれて、望まれていた『子供』という価値は希薄になっていった。
そして増えすぎた子供の為に、国は次々と新しい法を作る。
孤児の競売――孤児の臓器の販売――子供を使った公営ギャンブル――。大人達は次々と法を作り、最早子供は親の奴隷という位置づけに成り下がっていた。
そんな法の中でも異質なのが、親殺しは拷問処刑される、というものだ。子供が耐えきれなくなって親を殺してしまう――というケースが増えてきてしまった為に急遽可決された法案であるが、親を殺すと、地獄の苦しみを味わいながらじっくりと処刑されるというものである。
しかも、その処刑の様子は二十四時間休み無く専用チャンネルで国営テレビ、または国営のインターネットサイトにて配信されており、地獄の苦しみをいつでも、誰でも見ることが出来るシステムとなっている。学校でも『道徳』の授業で見ることが義務づけられていて、家庭によっては子供に積極的に見せつける親も多い。
――親を殺すとこうなるぞ、と教育するのだ。
孤児の競売に関しても、実際は性奴隷としての買い付けが多く、一時期は問題とはなったが、今では暗黙のルールとして誰もが見て見ぬ振りをする。どうやら、人間は三大欲求にはどうしても勝てないらしい。例えそれが、非人道的なものであったとしても。
「お兄ちゃん、もう…お母さんがずっと帰ってきてない。育児放棄として、認められないかな?」
リビングのソファーに座りながら、ぼーっとする新一に、妹である瑞樹がそう声を掛けた。瑞樹の声は、怒りと、不安で多少震えていた。
「まだまだ駄目だ。米はまだあるし、多少の金もある。おれかお前のどっちかが餓死して、ようやく育児放棄なんか認められるくらいだろ。仮に育児放棄が認められても、競売にかけられて地獄を見るだけかもだしな」
新一は、瑞樹の方向へ振り返らずにそう言った。新一の心は、ここにあらずといった感じであり、ここ一週間、彼はずっとこういう調子である。
「それでも――ッ競売にかけられてもッそれでもお兄ちゃんが学区対抗戦に出なくなるなら、その方がいいよッ孤児になれば、出場権利がなくなるんだからッ」
瑞樹はそう叫ぶと、涙が吹き出るようにして溢れてきた。そこまで来て新一は初めて瑞樹の方向へ向く。まだ中学一年生という若い娘が、リビングに立ち尽くして号泣する。それは、この世界ではさして珍しいことではない。瑞樹以上に――涙さえ涸れ尽くして出なくなってしまった若い娘が、この世界にはたくさん存在するのだ。
「おれ達が負けると思ってるのか?おれ達は死なない。それに、策もあるんだ…瑞樹、安心しろ」
「どんな策があったってッ――いろは中学の精鋭に、無傷で勝てるはずないじゃないッオッズだって、お兄ちゃん達が勝った方が高いし、いろは中学には、皆殺しの和馬がいる、何度も学区対抗戦をやって、生き抜いてきた――そんな精鋭が揃ってるんだよッ」
「それでも――だよ、おれ達は負けない。たまには兄貴を信じろ。そもそも、おれが大丈夫だと言って大丈夫じゃなかったこと、あるか?」
新一の言葉に、瑞樹は「うっ」と唸る。新一には、不思議と人を納得させてしまう強い力があった。理論ではなく、本能で納得させる――不思議で、強い力。瑞樹は過去を振り返ったが、確かに、新一が「大丈夫だ」と言って大丈夫じゃなかったことなど一度たりともなかった。
「大丈夫だ。すべてがうまく行けば、自由になれるかもしれないしな」
「――自由?」
「そうだ。こんな腐った生活を捨てて、こんな腐った国を捨てて、海外で生活するんだよ。子供を道具にし、奴隷にし、迫害を続ける国なんて他にはない。事実、そうやってこの国から逃げた子供は何人もいる。要は金だ。金さえあればどうにでもなるんだ」
新一が瞳を輝かせながらそう言うと、瑞樹の瞳もわずかに輝いたが、それは一瞬だった。
「でも、お金なんかないよ。お兄ちゃんがもしも勝ったって、報奨金はどうせお母さんに全部入るんでしょ?」
「それを、なんとかするのさ。まぁ安心しろ、ずっと考えていたが、ようやく少しずつまとまってきたんだ。じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
新一はそう言いながら立ち上がると、瑞樹の肩を叩き、玄関へと向かう。
「また特訓?お兄ちゃん、泥だらけでいつも何やってるの?もう夜遅いのに」
瑞樹が呆れ顔でそう言った。だがその表情は先程よりも遙かに柔らかく、いつの間にか、兄の言う言葉に納得させられていた。
「夜遅く、誰にも内緒でやるから特訓なんだよ。二時間で戻るから、風呂だけタイマー入れといてな」
「わかった」
瑞樹の返事に新一は笑顔で返すと、そのまま汚れたスニーカーを履いて静かに家を出て行った。
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