【第20話】絶え間ない喪失感が次の物語を作り上げるエネルギー。心と感情の欠落はそのための礎(作家ヤスナリ氏の過去)

――――暗がりでただ一つの灯りを頼りに文章を書いていると、不思議な気分になる。暗ーい海の底で呼吸をするような、自分の意思が想いが言葉が出しざまにすぐ溶けていくような暗い、暗い闇。


 その中で何度か自分が書き連ねた文章が言葉が跳ねている、動いているという感覚を感じたことがあった。わずかな感覚だが、確かに在ったのだ。


 そう、文章が生きていると思ったのは後にも先にもそのだけだった。


 昔は『文章ぶんしょうすなわひと』と言われていた。文章それ自身が、一つの生命を持って生きていた。


 生命は海から生まれた。なら文も生きて『コノ海の中』を漂っているのだろうか?


 この海に出会ったのは幼い頃に一度・・きり……あの暗いの底で。




――小5の頃、帰省した田舎で僕は久しぶりに中3になったイトコのお姉さんに会った。

「ひっさしぶりー、元気してた?」

 っていきなり僕をヘッドロックしながらの乱暴な挨拶。このお転婆さは全然変わってない。

「元気してたよ」

 でもこの横暴にぶっきらぼうに返すのが僕はせいいっぱい。

 だってお姉ちゃんはTシャツに短パンという無防備な姿、艶のある長い黒髪をポニーテールにしている。しかもさっきヘッドロックを決められたときに感じてしまったのだけれど、はつらつな仕草とはうらはらに、運動後なのだろうか? うなじにびっしりとこびりついた汗からは、いかなる花にも例えようのない甘酸っぱい芳香ほうこうき立ち、僕の鼻孔びこうを埋め尽くしていた。これがそうなのだろうか? 少女から大人になる女がかもし出す、独特のにおいというのは。……僕は、久しぶりにただ会っただけのイトコお姉ちゃんにどきどきしていた。

「家まで競争や!」

「まってよう」

 その一言でお姉ちゃんと僕は、フィットネスよろしく汗をだくだくにかきながら、バス停から帰省先の父さんの実家まで走り続けた。お姉ちゃんがわざと遠回りしたせいで、ついてく僕もろともけっこうな距離を走った。バスを降りたときには夕方だったので、家に着く頃は日がとっぷりと暮れていた。ちなみに父さんの実家は古き良き田舎の大地主で父さん達はバス停から実家まで送迎して貰っていた。だから、もうとっくに家に着いて実家の面々とすでにメシを囲もうとしていた。

 そんな中、僕たちが来たもんだから

「もう、急に走っていっちゃって……もう、ほんとあんたはどうしようも無いお転婆やね」

 迎えたおばさん(イトコのお姉ちゃんのお母さん)がやれやれと頭を抱える。そして。

「二人とも汗びっしょりやん。はようフロに入ってきんさい」

うながされるまま、フロに入りに行く僕とお姉ちゃん。そこで僕等・・は『間違まちがい』を犯した。



「じゃあ、はいろかあー」

 あっけらかんと言うお姉ちゃん。

「お姉ちゃんが洗ったる。昔みたいにゴシゴシしてやるでえー」

 いつも通り、やんちゃなノリで僕をオモチャにしようとする。でも、その姿を一目見て僕は目を見開く。お姉ちゃんは髪をほどいていた。

 髪をほどくと急に大人びて見える。普段のお姉ちゃんとの落差が激し過ぎて僕は何故かどきどきしてしまった。

 さらにうすくふくらみ始めた胸や、毛のうすく生え始めた下腹部とかも僕の情欲・・をシゲキした。

 小5だったけど、エロ本も結構読みあさっていたから、写真では女の裸を見たことはあったし、たいがいのエロ知識はあった。けど、本物が目の前に在る。その事実は、今更になって興奮を伴って僕の身に襲いかかってきた。激しく反応する僕の下腹部。


「ごしごしーゴシゴシー」

 お姉ちゃんが楽しそうに僕の身体を洗っていく。僕は黙ってされるがまま。でもそうはいかなかった。

「じゃあここもなあ、キレイキレイしたろー」

 お姉ちゃんは僕の下腹部に狙いをさだめた。僕はとっさに手ぬぐいで下腹部を隠した。

「どうしたん? それじゃあ洗えへんやん」

 激しく抵抗する僕を見て訝かしげにおもったお姉ちゃんの手が伸びる。

「ちょいと見せてみい」

 お姉ちゃんの手が僕の下腹部に伸びる。僕は息を呑むしか無かった。

「うわああーー」

 お姉ちゃんはただため息をついて僕の下腹部を見つめていた。激しく反応した僕の下腹部は天へとそそり立つように屹立していた。

「いっちょまえやね」

 妖しく微笑んだお姉ちゃんは、それから僕の下腹部をシゲキしながら洗っていた。なんかいつもヤンチャなお姉ちゃんと違うせいかな。ぞくりとしてしまった。

「じゃあ、次はお姉ちゃんの番やね。洗ってえな」

 一通り僕を『洗った』お姉ちゃんは未熟だが程よく熟れた自らの身体を僕の前に差し出した。


 それからの記憶は曖昧あいまいだ。僕はひたすらお姉ちゃんを愛して愛して愛しまくって、実家にいる間はひたすらお姉ちゃんと交わって、交わり倒していた。


 そして当然の結果が訪れる。

 お姉ちゃんが妊娠したのだ。


 僕は罵詈雑言を浴びせてくるお姉ちゃんの両親にひたすら頭を下げていた。


 罵詈雑言に混じってお姉ちゃんのすすり泣くような声が聞こえてきた。顔も会わせない僕のふがいなさに悲しんでいるのかもしれない。それでも僕はずっと頭を下げ続けるしか無かった。その時はただただ怖かった。お姉ちゃんの顔をまともに見れなかった。


 僕の隣で一生懸命に頭を下げていた父さんはやがて頭を上げ言った。

「この子はこの年ながら人生において大きな間違いを起こしました。だがそれはこの子次第で間違いではなくすことも出来ます。きちんと『考え』させ、『選択』させます。あの場所でね」

 小説家をしている父さんは澱みの無い声で、でもはっきりと状況を説明していく。合理的な意見に罵詈雑言を浴びせていたおじさんとおばさんも黙った。いや、別の理由で戦慄していた。

「おい、まさか、あそこに入れるのか? やめろ、そこまでしなくていい」

 震える声を発するおじさんを尻目に

「さあ、いこうか。早すぎるが人生の中でかなり大きな『選択』を強いられる局面だ。だが頑張って何とか乗り切るんだ。きちんと『考えて』くるんだぞ」

 僕を抱き起こすと、その足で暗い暗い地下牢へと僕をほうりこんだ。

「ここで答えを出せ。出さずともいいから、よく考え、決意しろ。これから自分が何をすべきか? 何になるべきか? さいわい時間はたっぷり在る。時間が許す限りそこの紙束に書き殴れ。感情を全てソコにぶつけろ。そして書いてるウチに分かってくるさ。自分が何をすべきで、何がしたいのか」

 地下牢には父さんに言われたとおり原稿用紙と灯りだけ。僕は泣きながらとにかく何かを書こうと筆を走らせた。それはラブレターだった。お姉ちゃんに対する申し訳なさや、自分に対するふがいなさ、これからどうするのか? これからどうしたいのか? 泣きながら書いた。




――いったい、いつまで書いていただろう?


『まあ、なんて美味しそうなフミ、生命を感じるでありんす』

 ふいに聞こえた声には、やっと欲しかったモノを見つけた子供のような無邪気さと目を付けた獲物をじっとりと舐め回す妖狐のような妖艶ようえんさが混じっていた。

 だが、そこには何も存在しない。天井にぽっかりと空いた隙間から生命イノチのスープをひっくり返したような淡くあおい光が漏れ出ているだけだ。

『ここはわっちの【餌場・・】、ここでは落ち着いてしょくせるゆえ、姿を現わしてもいいでありんすな』

 そしてあおい光の中から黒い影が飛び出したかと思うと、人の形を成していく。そして僕の目の前には昔、父さんの書斎で見た遊女・・の絵そのままの豪奢ごうしゃな和服に身を包み、姿を見せても尚衰なおおとろえないほどの計り知れない妖艶ようえんさをまとった女が目の前に立っていた。

「ああ、なんて綺麗キレイ……宝石・・の様でありんす」

 ヨダレをだらだらと垂らし、至極しごくうっとりとした表情で僕からだした言葉をでる様に見つめる。それだけで僕はゾクリと全身を震わせた。



やめて、やめて、やめて。

 ……お姉ちゃんに対する想いを全て失う気がした。

いやだ、いやだ、いやだ。

 ……全力で心が抵抗している。絶え間ない恐怖を覚えるほどに。



 だが、女はむしろそれをおどいする魚が見せる生きの良さを楽しむ人間の様に嬉々ききとした視線を向け。

「では、いただくでありんす」


 一瞬、何かが大きな口を広げたように見えた。


 そのあとすぐ

「ぎゃあああーーーーーー!」


 絶え間ない痛みが全身を打つ。『半身・・』を持っていかれた様な激痛。これは心の痛みか?

 そして同時にさっきまで鮮明に頭にあったお姉ちゃんへの想いがひとかけらも思い出せないという事実。僕は怒り狂って女につかみかかろうとする。

「返せ、返せ、返せ、言葉を! 僕の言葉を、生涯・・ただ一度・・言葉・・をかえせえええーーー!」

 だが女に触れるまでも無く身体が言うことを聞かなくなる。女の力なのか? 僕の心が弱いのか? それさえももどかしく、ただただ悲しい。女はそんな僕を一切無視。ただ喰後しょくご感想・・だけをらす。

ぬしさんの言葉・・は本当においしいでありんすなあ、あれだけでみたされたでありんすよ」

 極上の美食・・を口にすると人間は思わず笑い出すと昔、父さんが言っていた。女はそれを体現たいげんしたかのような振る舞いを始める。女の笑いは止まらない。

「また喰させてもらうでありんす。それまでは生かしておくなんし」

 取り残されたように固まる僕を見初めたように慈しみ、あおい海に戻っていった。



 そして最後には喪失感・・・だけが残った。だけど悲しくは無かった。

 いや、まて、なんで、悲しくない。さっきまでの怒りも、なぜ怒っていたのかさえ思い出せない。なぜだ! なぜだ? そして理解した。

 僕の心は欠落・・してしまった。


「やったな。作家の極意・・を習得したな。そう、感情・・欠落・・は大きなアドバンテージを作家に与える。そして絶え間ない喪失感・・・が次の作品・・を作り上げるエネルギーになる」

「やったあー、やったぞおー、欠落・・して父さんみたいにアッチの世界へ行ったな、これでお前も安泰・・だぞおおーひゃああはっはっはあーー!」

 視界の隅で狂ったように笑う父さんの姿が目に入った。



 僕はこのまま生きることに決めた。無くした言葉を、失った言葉を探す旅を始めた。



 そんな光景を映画のワンシーンのようにどこか俯瞰ふかんしていた。おそらく僕はもうあの中へは戻れないのだろう。あの女にわれた僕も同様・・に。

 そう、僕の心は分離・・した。

 そして僕だけが、残りかすだ。あおい海が閉じる。そこに強力な吸引力・・・が生じている。

 吸い込まれる僕の

 そしてそのままに飲み込まれる。

 ああ、残りをあの僕に任せるとはいえ、お姉ちゃんのことだけは気がかりで仕方が無いなあ。

 よし、決めた。

 はこのままあの海でらい続け、生きることにしよう。



 いつかお姉ちゃんの心の欠片カケラに出会えると信じて。

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