【第10話】飽話(ほうわ)の時代(作家は読者に貪り食われて欠片も残らないという恐怖)


 そしてとつとつと語り始める先輩。


「私は作品が具現化ぐげんかして見えていた。

 ……ああ、読者どくしゃが怖い。アイツ喰者しょくしゃだ。

 自分のみにくい所、どうしようも無い所、嫌悪けんおすべき残酷ざんこくな所、綺麗キレイだけどずかしい所……、ソイツラをツギハギして、己の『そと』に概念的がいねんてきな『自分じぶん』を再現する作業。

 それが小説を書く作業だと私は考える。

 そしてその出来できた作品は再現さいげんされた自分じぶん分身ぶんしんというか、それはもう『半身ハンシン』と言うべき存在、自分のかたまり全裸ゼンラでむきしのココロ……それがさらされると言うだけでがよだつ。

 読者どくしゃもとさらされたかたまりはジロジロられ、ずかしいとをそらせば、ベタベタとさわられ、しまいにはテロテロマワされ、悲鳴ヒメイさえ上げられなくなる」



 先輩はいままで数作書き上げ、いくつかの小説賞に投稿している。

 結果は惨敗。

 一次予選も通らなかったみたいだ。

 そして反応はんのうの無い事は耐えがたい恐怖きょうふだったんだろう。

 先輩に幻覚げんかくを覚えさせてしまったらしい。


「そうだ。タマシイに例えよう。奈落ならくへと落とされたタマシイ。そこにはハイエナのようにむらがるむヤツラ。シタなめずりが聞こえたと思えばもう、タマシイに飛びかかっていく。

 ブチブチとちぎれるオトがする。悲鳴ひめいを上げるタマシイわたしはそれをただ『ている』だけなのに幻痛げんつう全身ぜんしんめぐる。

 そしてタマシイ断末魔だんまつまさけびがこえた。それに合わせて雄叫おたけびをげる読者ドクシャ共」


「これが喰者しょくしゃ……すなわち読者ドクシャの底知れぬ恐ろしさ。そして試喰ししょくといいつつ評価ひょうかしてくる美食者びしょくしゃ……すなわち編集者へんしゅうしゃのイヤらしさ。想像ソウゾウしただけで、ふるえがとまらない。まともでいられなくなる。」


「これが最近、わたし話作はなしづくりのまわりに展開テンカイしてえる『世界セ・カ・イ』だ。……これはまぼろしなのかもしれない。生産者せいさんしゃ、つまり作家さっか無視ムシした、消費者しょうひしゃつまり読者ドクシャを優先した世界……これじゃあ、まるで『飽食ほうしょくの時代』ならぬ、【飽話ほうわの時代】よね……」


 自嘲気味じちょうぎみに乾いた笑いを漏らす先輩。

 スゴイ哲学てつがくじみた比喩ひゆだが全く笑えない。


飽話ほうわ……あさる者達、むさぼう者達、そういう感覚カンカクを一度でも読者ドクシャいだいてしまえば、もうソイツ達に自分が創り上げた話をゆだねる気にはならない。

 だって、そうだろう! 自分をりしてつくった主人公しゅじんこう、やらしさもやましさも気持ち悪さも弱さも全てつぎ込んだ小説しょうせつ……もうそれは分身ぶんしんという概念がいねんを超え、もはや『半身はんしん』となる。

 ……そしてその『半身はんしん』をぐちゃぐちゃにされる感覚カンカク。生きたままピラニアの入った水槽すいそうへ放り込まれる感覚カンカクと言えば分かりやすいかな? 

 ……このおぞましさ、耐えられない。だろう?」


 全てを超えて、もはや先輩は幻想げんそうさえ見えているのだろう。


「一般の生産者は耐えられるのだろうか? 自分が手塩にかけて育てた家畜かちくアジも分からんただうだけのヤツラにむさぼわれて、あまつさえあじの分からない批評者ひひょうしゃにさんざんにてられて気を保っていられるのだろうか?」


 先輩の懸念事項けねんじこうはもはや次元じげんを超え、俺のあずかり知らぬところで展開てんかいする神話しんわだ。


「なあ、わたしは、わたし達は、こんな、くたびれた、ヤツラニクイモノニサレル為だけに生きているのか? なあ、違うだろ? わたし達は……もっと……ちゃんと……くそう」


 そして先輩は何もかもあきらめたように表情を穏やかにさせて一言。




「なあ、ピョンちゃん、一緒に死んじゃおっか?」


 その一言が、先輩が全てに疲れ果てたことの証明だった。




「しっかりして下さいよ!」

 俺の一喝いっかつにも彼女は反応しない。それどころか「最近よくうなされるんだあ」とうつろに話す。


「最近さあ、夢の中で会う着物を着た女が言うのよ。『だったらわっちが喰ってさしあげるでありんす』と。でも私はそういった美食家びしょくかのほうが大嫌いだと吐き捨てたのよ。

 だってそうでしょう、だってんでアジわう前にじろじろじろじろ、人の創った物をめ回すように視姦しかんして、じわじわじわじわとわたし半身はんしんもてあそんでいく……その物語モノガタリアジわい方こそ、制作者せいさくしゃたるわたしが最もして欲しくないことなのさ。

 それだったら、まだ何も考えずむさぼんでもらった方がましでしょう?」


 なのに着物の女は我関われかんせずと言葉を続けたそうだ。


「『おかしいでありんす。なら何故、ここまでつくみ、もといおのれをさらけ出してつくったのでありんす?』

 私は言ってやったわ。「さけびたかったから」と。

 そうしたら、女は『矛盾むじゅんしているでありんす。そこまでもらってむしろ本望ほんもうでは?』そう言いつつわたし半身はんしんをいじり倒すかのようにドクしていったわ。

 わたしはもう、全てががれていく感覚カンカクだった。そして女は最後サイゴにとんでもない事を言った。

 『でも、わっちは滅多めったわんのよ。やっぱり意図的イトテキつくモノでより、偶然ぐうぜん出来る結晶けっしょうのような奇跡キ・セ・キが大好物でなあ、あの時の子供のうつくしい文章ぶんしょうのような……ぬしさんの祖父のようになあ』と。

 そして、くちけるほどにニタリと笑ったのよ。

 そして絶望したわ。だって祖父は……おじい様はその子供の時に失ったうつくしくてかけがえのない文章ぶんしょう、おばあ様に向けておくるはずだった大切たいせつおもいを取り戻したくて作家さっかを続けたのだから」


 俺は圧倒あっとうされていた。先輩のおじいさんの執着心しゅうちゃくしんに、俺だって先輩のこと好きだけど、だがたった一つの愛の言葉のためだけにそこまで、むごたらしいまでの執着しゅうちゃくをせしめることが人間にんげんできるのかと脱帽だつぼうする。

 そしてその想いごとたのしみう女、おそらくMUSTシステム潜入せんにゅう時に戦ったあの母娘ははむすめ処刑しょけいしたブンシュのうみのヌシ=魔女マジョだろう。ヤツに対する恐怖きょうふよみがえる。


「どう? 信じられる?」


「信じられるかどうかじゃねえ! 先輩は俺とはまた違った地獄ジゴクを見ていたって事!」


 驚愕きょうがく哀悼あいとう恐怖きょうふ、様々な感情かんじょうがないぜになり、先輩の問いかけに俺は号泣ごうきゅうさけんでいた。


 ふっ、気が変わった! とばかりに先輩は笑うと。

「でも、やっぱきみにはきてもらおう……これはわたしのこす『のろい』だ。このと、きみ自身に」

 あまかおりがあたりにただよう。



 そういえば。


 文子ふみこを使い始めてしばらくしたくらいから、先輩といる時に限って、あまかおりを感じるようになった。香水とか化粧品のような作り物っぽい香りではなく、さりとて花や果物のような生々しい臭いでもない。でもやけに生命力せいめいりょくのあるあまあまかおり。


 昔、化学の得意な友達に聞いた話だけど、『全ては粒子りゅうしで出来ている』食べ物しかり、臭いさえそうらしい。臭いをぐと言う行為はすでに臭いの発生源であるモノを食っていることになるって言ってたっけ? これは俺だけに分かる、先輩がかもし出すにおいなのかもしれない。

 そう感じたときだ。



『じゅるり』



 と心の奥で盛大せいだいに音がひびいた。

 ソレを合図にしたかのように荒くなる呼吸こきゅう

 ハア、ハア。


「大丈夫かい?」


 様子のおかしくなった俺を心配して手を差し伸べる先輩。こういう時は、ほんっと優しいんだよなあ、こんちくしょー! 俺はかろうじて言葉を返す。

「作家は、本当、話をエサみたいに食べる。そしてかわきはえない……」

「そうだな……わたしも『はなしつくるカラクリ』を知ってからは、そう感じるな。話を楽しめなくなってしまった……」


「俺達って似てますね」

「そうだな、なら一緒になるか」

 あやしげに微笑ほほえむ先輩。


『いけません。その女の甘言かんげんに乗っては』

 文子ふみこの注意が聞こえた気がしたが、もう、俺は止まらなかった。

 だらだらとヨダレを垂らして、あまあま果実カジツにむしゃぶりつくヘビのように成っていた。


 荒い呼吸は止まらない。いやもう呼吸というより空気越しにあまかおりをおうと口と肺が連動れんどうしているようにさえ思える。


 俺の欲望よくぼう嘲笑あざわらうかのように視界しかいはぼやけ、光さえ失っていく。そのせいか、あまかおりはますます強くなる。

 そして暗闇くらやみまった視界しかいオクえるヒカリ、それは果実カジツだった。


 色鮮いろあざやか過ぎる色彩はドクの存在を匂わせる。

 それを体現たいげんするかのような果実カジツ

 朝露あさつゆまとったかのようにしっとりと濡れた表面。

 蒸散じょうさんしたソレはあのあまかおりとなって俺の意思いしを心地良く溶かしていく。

 そしてあの果実カジツが『先輩のココロ』だと、俺は何となく分かっていた。でも、もう、『喰欲しょくよく』を押さえきれない。

 開いた。

 闇の中で口のように巨大な『ナニか』が開いた。

 この先どうなるかはイヤでも分かる。

 鮮明せんめいに。

 でも止められない。

 絶望。

 そして。




『バクン』と。




 俺は先輩のすべてをった。




 言葉通り、食欲しょくよくを百%満たした俺。

 だが、そんなことはまずないのだ。

 アジについても『甘美かんび』それ以上いいようがない純粋じゅんすいすぎる味覚ミカクを体験した。

 これが『ココロアジ』。

 もはや身体からだつながりで得る快感カイカンとは比べものにならない。





 俺はその日、本当ホントウ人間ニンゲンを『ヤメテ』しまった。

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