【第3話】先輩からの励まし(時の価値と兄弟の話)

 

 そして長編を書き始めた俺。


 だが、おいそれと取りかかれるモノでも無かった。


 なんかノらない。


 そうとしか言いようのない気だるさが全身を包んでいた。


 そしてついつい家のゲーム機に手が届いてしまう。


 といっても本当にそのゲームがやりたいわけでは無い。……惰性だせいでやっているだけだ。


 そんなおり、先輩からメールが届く。


『詰まってるんじゃないかい? ピョン吉くん、これを見てみたまえ』


 そこには時間の大切さをうたったうたが書かれていた。




・一年の価値を理解するには、落第した大学生に話を聞くと良いでしょう。


・一ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に話を聞くと良いでしょう。


・一週間の価値を理解するには、週間新聞及び週刊誌の編集者に話を聞くと良いでしょう。


・一時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人達に話を聞くと良いでしょう。


・一分の価値を理解するには、電車にちょうど乗り過ごした人に話を聞くと良いでしょう。


・一秒の価値を理解するには、たった今事故を避けれた人に話を聞くと良いでしょう。


・十分の一の価値を理解するには、オリンピックで銀メダルに終わった選手に話を聞くと良いでしょう。


・時計の針は走り続けています。だから、あなたが持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。そして、今日という日に最大限の贈り物をしましょう。




「はあー」

 思わずため息が出た。

 そのまま自室で仰向けになって、虚空を仰ぐ。

 本当に先輩は俺が詰まった時、立ち止まった時に、的確に引き上げてくれる。

 ほんと預言者のごとく。


 他にもこんなことがあった。


 俺が部室に顔を出さなくなってからしばらくして、唐突に先輩からとどいたメール。


『私は少しずつだが進み始めたよ。ピョン吉くん』

 停滞している俺を励ましてくれているんだろうなあ。


『4作目やっと半分超えたよ! ヒャッハーー!』

 たまに挑発してるのか? ともとれる変なテンションのメールも来る。


 時々先輩が分からなくなる。

 でもなんだかんだで俺を引っ張ってってくれる優しい先輩なんだ。


 なんとかちょっと進みましたという旨のメールを送ると。

『結果は雄弁ゆうべんなりさ。結果を私に語ってみたまえ。それが一進一退いっしんいったいでも、結果が進んでいるならキミも作家だ』


『頑張れ! 一日一行でも書ければゴールは近づくからね』

 ダメ押しの一言、先輩の厳しくも暖かな優しさが胸に染みた。



『少しは進んだかい?』

 先輩からのメールだ。

 先輩は僕が詰まっているのを見越して、あえて約束をすっぽかした。しばらく俺を見守ってくれた上で「やっぱり今日はやめにしよう」と言ってくれたのだ。

 一人で書けない俺が、『先輩に見せるために書く』という意識を持ったことで書き進められるという状況を維持するためだけに、今回のような芝居を打ってくれたのだ。

 ……先輩の優しさにただただ涙があふれた。


「敵わないなあ……」


 つぶやいた一言が決心を固める。

 俺は先輩の家に行くことに決めた。

 家にいても、何も進まない。

 多少迷惑でも一緒に書いた方がいい。

 恥も外聞も照れも思慕も気にしてはいられない。


「何かあったら訪ねるといい」

 部に入って早々、そうやって先輩から住所は教えられていたし。


 そして先輩宅に行く俺。


「ええっ! なんですか? ここ」


「なにって? いつも私が執筆に利用してる蔵だが」


「私の祖父は高名な小説家でね。『美しい文章』に拘り続けた人だった。なんでもソレを子供の頃に無くして、ずっと追い求めているといっていたな」

 そうやって微笑む先輩の目は優しく、どこか遠い目、在りし日の思い出に浸っているように見えた。


「おじいさまが昔こんな話をしてくれた」



「むかしむかしあるところ、山奥の小屋に作家を目指す二人の兄弟がいました。兄は自分を見つめ、そしてその中から物語りを抽出ちゅうしゅつするために小屋に残りました。ですが、弟はよりよい物、つまりはネタを得ようと、幾多あまたの人間が暮らす下界へと降りていきました。果たして、どちらが『より良い作家』になったのでしょうか?」


 問いかけに俺は悩むが、時間は与えられなかった。


「決まってるわね! 兄のほうがより良い作家、より良い物語を紡いだと」

 即、先輩はさも当然のように言い放つ。


「小説とは、話とは、『おのれの中からひり出す』もの。そしてそれこそが最高たり得る。ただしそれは果てしなき茨の道、いえ、無間地獄むげんじごくといえるわ。だけど兄はそれを受け入れたの。それゆえに己と向き合うことから逃げた弟は作家を名乗ることすらおごがましい!」


 ちなみにおじいさんはこの兄弟の話を先輩に残して、自殺している。おじいさん曰く『作家とはこの世に『のろい』を残す作業なのだそうだ』

 

 それから俺は先輩の家に通うようになった。



 基本的には執筆を続けながらも、時たま先輩と他愛(たあい)のない話をする。……っといっても、創作論や「作家とはこうあるべきだ」的な話がほとんどだったけど、俺にとってはむしろそれこそが【物語を創作する者同士=同志どうし】だと感じれて、とても幸福な気持ちになれた。


 そうだ。俺は先輩にかれていた。ええい、もうはっきり(心の)言葉にすると、『先輩ののことが好きになっていた』んだ。


 それを知ってか知らずか、先輩は。

「作家同志がパートナー……つまりは結婚することははばかられる」

 って堂々と言うし。

「何故ですか?」

 という俺の質問にも。

「創作論までならいいのだが、最後にはお互いの創作した物語に対して意見を言い合う事になる」

「いいじゃないですか?」

 肯定しても。

「だめだ! 最初のうちはいい。……だがしばらくしたらお互いの物語のアラを探り合い、けなし合いだすんだ! なぜか分かるか? 人は、こと作家という生き物はどうしても自己顕示欲じこけんじよくが強い! 人の作った話より自分の作った話がおとっていることがたまらなく耐えられなくなるんだ。そしてこれが身近な者だとより顕著になる。……最後は離婚だ」

「先輩! 先輩! 被害妄想ひがいもうそうが過ぎます!」

 思わずツッコムほどには自身の心をぶっちゃけてくれるのは嬉しいんだけど、俺はどうにもいたたまれない気持ちになる。『俺、もてあそばれている?』と。

 だから、ひるまずにこう返す。

「でも、そうやって批判とまでいかなくても、アドバイスしあって、お互いを引っ張り上げて、共にのぼってゆく……そんな作家夫婦の形もあるんじゃないですか?」

「なら、目指してみるかい? ピョンちゃん!」

 誰に対して言ってるのか曖昧あいまいなのが、もう小悪魔こあくま全開なんですけど! 思慕しぼのメーターが☆限☆界☆突☆破☆しそうなんですけど! この人は、まったくもう!!


 まったくもって先輩には敵わない。でもそれが俺の幸せになっていった。





 そんなこんなで先輩の家に入り浸る日々が過ぎ、季節が春から夏、秋へとうつろったある日。

 先輩の家(というか蔵の地下室)で執筆しようとした俺は先輩にしかられてしまう。


「ただ、話してだべっているようでは、今日は中止だ」


「キミは今、逃げようとしている。執筆から逃れる為にゲームをするのと同じ心持ちでここに来ている」


「そんな心情ではいくら一緒にいても無駄になる。……書くことから、逃げるな!」


 珍しく先輩が怒りをあらわにした瞬間だった。


「なんですか! 先輩! 俺の気持ちも知らないくせに!」

 だが俺は先輩への思慕しぼやら憧れやら、不甲斐ふがいない自分自身への劣等感れっとうかんなど、感情がないまぜになって。叫びながら倉を飛び出した。


 そう、おれは反発してしまった。思えばここで俺は人の道を踏み外したのかもしれない。

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