瀬戸物

増田朋美

瀬戸物

瀬戸物

風が吹いて寒い日だった。寒いけれども、いろんな人が日常生活を続けている。そういう中で日常生活をつづけているのだから多少なりとも、衝突することもあるだろう。ある人は、そういう事をぶつかりっこと表現することがある。ぶつかりっこして、すぐに壊れてしまうのが瀬戸物である。どちらかが柔らかければ大丈夫、とその人は説いている。柔らかい心を持ちましょう。とその人はいっているが、そういう私は、いつでも瀬戸物、とも言っている。だから大体の人は、いつでも瀬戸物のママなのだ。どちらかが、相手を何とかしようというのではなく、柔らかければいい。簡単なことなのだ。でも、最近は、瀬戸物どころか、粉々に壊れて、もう修復できないくらいまでやってしまうというのが、流行っていると言えるかもしれない。

その日、杉ちゃんが蘭の家に買い物に行こうやとやってきた。蘭はまだ、刺青の道具を片付ける作業をしていた。

「ごめんねえ。一時で終わるはずだったんだけどさ。何だか、お客さんのおしゃべりにつきあってたら、片付けが遅くなってしまった。もうちょっと待っててくれ。」

蘭は、針を片付けながら、そういうことを言った。

「へえ、まあ、良くしゃべる女だったのかい?」

杉ちゃんが聞くと、

「まあそういうこと何だよ。良くしゃべるお客さんのほうが多いけどね。でも、声に出して、思っていることを、話してくれるんだったら、其れでいいよ。」

蘭は、一寸、疲れた顔してそういうことを言った。

「確かにそうだよね。ほとんどのお客さんが自分の事しゃべれないで、体もこころもダメになって、其れでお前さんのところにくるんだからな。そこから、何とかしてやるのが、お前さんの仕事だよ。で、そのおしゃべりなお客さんは、何をやっている人だったの?」

と、杉ちゃんが聞くと、蘭は、定職にはついていないようだと答えた。

「で、これは何だ?このテーブルの上にあるチラシ。」

杉ちゃんが、テーブルの上にある五枚のA4サイズの紙を一枚とった。

「ああ、何でも、そのお客さんが置いていった。なんでも一週間後だそうだが、市民センターでリサイタルを開くというので、来てくれというんだよ。」

「じゃあ、なんて書いてあるのか、ちょっと読んでみてくれよ、なにをやるのか興味ある。」

蘭は、チラシを一枚とって読んでみた。

「西島明子ピアノリサイタル。演目は、ベートーベン作曲、ソナタテンペスト、ニ短調。モーツァルト作曲、ソナタ第14番ハ短調。バッハ作曲、シャコンヌニ短調。」

「はあ、ずいぶん重たい曲ばっかりだな。何だか短調の曲ばっかりじゃないか。もっと、面白いものやってくれればいいのに。」

杉ちゃんが直ぐそういうことを言うが、

「そうだねえ。確かに、そうかもしれないね。まあ初めてのリサイタルだそうで、演目選びもまだ慣れてないんだとおもうよ。何回もリサイタルを重ねていけば、慣れていくだろう。」

と、蘭は言った。

「ということはつまり、そのピアニスト様はまだお若い方か?」

杉ちゃんが言うと、

「いや、もう30代後半だったけど?」

と蘭はすぐに言った。

「まあ、音楽家だとそのくらいの年代ならまだ若造だ。まあ、年齢が分かったから、演奏も大体わかる。でも、面白そうだ。ちょっと、僕たちも顔を出してみよう。」

杉ちゃんがそういったので、蘭と杉ちゃんは彼女のリサイタルに行くことにした。

当日、会場に行ってみると、結構な人が居た。単に彼女の伝で集めた人たちばかりではないということだ。音楽を聞きたいという人が、たくさん集まっているのだろう。二人は、係の人の案内で、ホールに入らせてもらい、車いすスペースに入れてもらった。座席は、満席というわけではなかったが、結構人で埋まっていた。蘭たちが、そこについて数分後、演奏が始まった。まあ、可もなく不可もなく、平凡な演奏という感じだ。しいて言えば、もうちょっと、ベートーベンらしい武骨な感じがあってもいいような気がするのであるが。

とりあえず、テンペストが終了し、バッハのイタリア協奏曲の第三楽章をアンコールとして弾いて、リサイタルは終了した。杉ちゃんと蘭は、ホールから人が出るのを待ってから、係の人に車いすを押してもらって、ホールの外へ出ようとしたところ、

「ああ、先生じゃないですか。」

と、いきなり声をかけられてびっくりする。そこにいたのは、出演者の西島明子さんだった。

「先生、来て下さったんですね。ありがとうございます。とてもうれしいです。」

明子さんはにこやかに笑って、蘭に挨拶した。近くには、パンツスーツに身を包んだ同じ年代の女性と、小紋の着物を身に着けた同じ年代の女性がいた。彼女たちは、明子さんの身内というわけではなさそうだ。でもずっとつきあっている人という感じの印象はある。

「あの、先生。この人は、どなたですか。先生の御兄弟とか、そういう方ですか?」

と、明子さんは、蘭に聞いた。

「いや、兄弟じゃありませんよ。僕は蘭の大親友で影山杉三と言います。杉ちゃんって呼んでね。よろしくお願いします。」

杉ちゃんがそういうと、

「影山さんという方、なんでこんなリサイタルの時に、黒大島の着物なんか着てるんですか?」

と、パンツスーツの女性が、そういうことをいった。

「ああ、黒大島が、一番着やすいってことは、誰でもわかっていることじゃないか。」

と、杉ちゃんが答えると、

「そうかもしれないけど、やっぱり、明子の応援の意味じゃ、ちゃんと正絹の着物を着てくるべきじゃなかったのかしら。それは、礼儀というか、明子を馬鹿にしているということにもなるんじゃないかな。」

スーツの女性は、そういうことを言った。

「洋服きているのに、着物代官か。」

杉ちゃんがそういうと、

「もう、歌津子さんは、一寸厳しすぎよ。今日は私のリサイタル何だし、たのしんでもらうつもり何だから、何を着てきてくれてもいいわ。」

明子さんはにこやかに笑った。

「歌津子さん?」

「ええ。坂上歌津子さん。私が音楽学校時代の同級生です。」

と明子さんが説明した。するとパンツスーツの女性が、坂上歌津子です、よろしくお願いしますと自己紹介した。

「そして、こちらは、蓑田佐代子さん。先生にも紹介しておこうと前々から思っていたんですけど、私の二人の親友です。坂上歌津子、蓑田佐代子。そして私が、西島明子。名付けて悪童三人トリオ。」

明子さんがそういうと、小紋の女性も蓑田佐代子ですと言って頭を下げる。

「お三方は、三人ともピアノ専攻だったのかい?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「いいえ、佐代子は音楽学学科で、主に作曲を専攻していました。歌津子は、声楽専攻で、そういうわけで体も大きいのです。そして私はピアノ。何だか、変なトリオができてしまったなと、うちの家族はそういっています。」

と、明子さんは答えた。

「なるほど。声楽専攻じゃ、体がしっかりしてないとだめだ。其れははっきりしているよね。で、お前さんたち三人は、音楽関係の仕事しているのか?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「いえ、歌津子は、今はスポーツクラブでインストラクターやってます。佐代子は家業の農業を継いで、農業女子です。」

と、明子さんが言った。

「だから、今でも音楽を続けているのは、明子だけなんですよ。」

と、佐代子さんと言われた女性が、にこやかに笑って言った。

「そうですかあ。でも、三人トリオで仲良くやっているんで在れば、其れでいいじゃないか。」

「そうよ。これからも、明子は、リサイタルを重ねていくと思うから、もう黒大島は着用しないでもらいたいわ。紬はもともと、クラシックの音楽を聞くような人が、着ているようなものじゃないんだから。それは、明子をバカにすることにもつながるような気がするの。だから、これからは気を付けて。」

「歌津子さんはなんでも口に出して言うんですね。そんなに気の強い女を嫁さんにもらうような亭主なんて、どんな奴だろうか。」

と、杉ちゃんが言うと、

「歌津子は、結婚なんかしていませんよ。気が強いから、彼氏も夫もいらないんだって、歌津子は言っています。」

明子さんが答えた。

「そうなのねえ。気が強いというのは、逆に人が寄ってこない原因にもなりますよ。其れは、ちゃんと考えておいた方が良いよ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「とりあえず、僕たちは、これで帰らなきゃ。ここではタクシーは呼んでもらえるのかな?」

と、蘭が言うと、

「あ、いいわ。あたしが、車でお送りします。」

と佐代子さんという人がそういうので蘭はまたびっくりした。

「あたし、大きなワゴン車持ってますから。車いすの方二人位、何とかなります。」

「はあそうですか。じゃあ、お言葉に甘えて乗っけてもらおう。」

杉ちゃんがそういったので、二人は佐代子さんの車に乗せてもらうことになった。確かに佐代子さんの車は黒いハイエースで、車いすの人間二人を乗せることができるように作られていた。そういうわけで、杉ちゃんと蘭は、わざわざ介護タクシーを呼ぶことなく乗ることができた。佐代子さんは、そういうひとの扱い方にも慣れているらしくて、杉ちゃんたちを乗せるのも手間取らなかった。

「じゃあ、良いですか。行きますよ。」

彼女がそういった時には、もう杉ちゃんたちは、しっかりシートベルトもつけてもらって、準備万端という感じであった。蘭が御願いしますというと、彼女は運転を開始したが、運転も非常に上手で、変に振動が多いとか、そういう事もなかった。

「えーと、バラ公園の近くでいいんですね。」

バラ公園の近くを通りかかると、佐代子さんが蘭に聞く。

「ええ。そこで下ろしてくれればそれで結構です。」

と蘭が言うと、

「わかりました。じゃあ、広い場所が必要でしょうから、バラ公園の駐車場でもよろしいですか?」

と彼女はそういった。

「ええ、其れで結構です。」

蘭がそういうと、彼女はバラ公園の駐車場に入って車を止めた。

「はい、こちらでよろしいですね。それではシートベルトを外していただきまして。」

彼女は車のトランクのドアを開けて、車に備え付けられたスロープを出した。

「じゃあ、おひとりずつ出ていただけますか?よろしくお願いします。」

杉ちゃんと蘭は、備え付けのスロープを使って、車から外へ出させてもらった。

「あの、ちょっと浮かないことをお聞きしますけど、あなた、僕たちを介助するのがとてもうまいというか、慣れていらっしゃいますね。その理由というか、何かあったんでしょうか。よろしければ、教えてもらえませんか?」

と蘭が彼女に聞いた。

「ああ、答えたくなかったら、答えないでもいいですよ。僕たちはただ、好奇心で聞いているだけですからね。ただ、僕たちみたいな人間を扱うのであれば、一寸特殊な仕事についていなければできないだろうなと思うので、それを聞いてみたかっただけです。」

「いえいえ、ちゃんとお答えしますよ。私は、障碍者施設とか、そういうところで働いた経験があるわけじゃありません。ただ、私は、農家だったので、それをもっといいものにしたくて、障碍のある人に農業を体験してもらうという、ワークショップを開催しているんですよ。其れでそういう障碍のある人の送り迎えとかしただけで。」

と、彼女はすんなりと答えを出してくれた。

「そうだったんですか。農業も、そういう風に役に立つものなんでしょうか。」

「ええ。家業の農業を継ぐことになったとき、農業を成功させるにはどうしたらいいのかと思って、其れで、こういうワークショップをやったり、農業体験合宿とかもやっているんですよ。そこに参加した人たちはね、皆さん、心が癒されたとか、そういうことを言ってくれるんですよ。だからおかげでいつも大満足です。」

と、彼女はにこやかに笑ってそういうことを言う。

「そうですか、昔は障碍者なんて働かざる者食うべからずだったのにな。今は、障碍者が農業の主役か。」

杉ちゃんがはあとため息をついた。

「障碍者っていう言い方もどうかと思うわ。体とか心で不自由なものがあるっていう程度で、其れでみんなに害を与える存在になっちゃうのかしら?そうは思いたくないわね。」

佐代子さんはそういった。

「なるほど、そういう話を言ってくれるんだったら、お前さんは本当にそういう商売ができるやつだ。」

杉ちゃんは、カラカラと笑った。蘭が、送っていただいたのでお礼をしたいというと、彼女はそんなものはいりませんと明るい表情で車に乗り込み、かえっていくのだった。

その数日後。杉ちゃんと蘭は、いつも通り買い物にショッピングモールへ行ったところ、出入口の近くで、人垣ができていた。何だろうと杉ちゃんたちは思ったが、そこへは近づきたくなかった。でも、その人垣の中心から、ひとりの女性が、警察官と一緒に出てくるのを見て、杉ちゃんも蘭も驚いてしまう。

「あれれ、あの人、こないだあった人じゃなかった?ほら、お前さんの客のリサイタルで。名前は何と言ったかな、、、。」

と杉ちゃんが言った。蘭は急いで、

「ああ、あの西島明子さんのリサイタルで、一番強そうにしていた女性だよ。名前は、坂上歌津子だったと思う。確かそうだった気がする。」

と杉ちゃんに言った。

「はあ、そんな奴がなんで警察につかまったりなんかするんだろう。」

杉ちゃんが言うと、隣に居た、いかにも噂話好きそうな、中年のおばさんが、

「いやあ、なんでもね。子供に怪我をさせたらしいのよ。階段を上ろうとした男の子とぶつかって、その子がけがをしてしまったらしくてね。まあ、あの年で、子供持ったことないというのだから、よほど事情がある人だとは思うけど。」

と彼に言った。もう子供さんは、救急車かなんかで病院に運ばれていったのだろうか。其れで多分、店の人が警察に通報して、彼女をこれから取り調べるつもりなんだろう。

翌日、蘭の家に客がやってきた。あの時の、西島明子だ。何だか、小さくなってしょぼんとした感じだった。

「こんにちは。」

と言う彼女は、この間のリサイタルの時とは、全然違う表情のように見える。

「一体どうしたんですか。今日は、手直しとか、そういうことですかね。」

蘭はいつもとできるだけ変わらない口調で、そういうことを言ったのであるが、理由はすぐに分かった。

「そうですよね。落ち込みますよね。あの、歌津子さんでしたっけ。彼女が、大変なことをしでかしたんですものね。」

「ええ、先生はよくわかっていらっしゃいますね。私、演奏はそんなに下手だったんでしょうか。あのリサイタルを開催した後、歌津子は、すごく不機嫌で、それがずっと続いていて。」

と彼女は、そういうことを言いだした。なるほど、女の感情というものは、何か続いてしまうものがあるのである。そういう風に切り離しができないのが女というときもあるのだ。

「そうですか、具体的に、どんな嫌がらせをしてきたんですか。」

と蘭が聞くと、

「嫌がらせというか、何というのかな。歌津子は、すごく態度が冷たくなったんです。私は、いつも通りに話しをしているだけのつもりだったのに。なんで、そうして冷たくなってしまったんだろう。私が、何か悪いことをしたつもりはないんですけど。」

と、彼女はそう答えるのであった。

「そうですか。あんなに強そうな女性だと僕も思いましたが、なんだか彼女は、少々もろい女性だったかもしれませんね。」

と、蘭は彼女に言った。

「彼女、坂上歌津子さんという方とはどういう経緯でお知り合いになったんですか。後、もう一人の方、蓑田佐代子という人も気になるな。三人とも、音楽学校で知り合ったわりには、専攻楽器も違うようだし、それに、蓑田さんは音楽学学科にいたそうですね。音楽学校というと、大人数の生徒さんがいるわけですから、現在も続くような友人関係を持つのは難しいでしょう?」

「そうですね。私たちは音楽学校で知り合ったことは確かなんですけど、授業で知り合ったとか、そういうことではありません。私たちは、ただ学校になじめなくて、よくカウンセリングとか受けてたんです。その時に、偶然三人居合わせたことが在って。そこから始まりました。私たちは、どこかの偉い人のお嬢さんとかそういうわけではなくて、ただのサラリーマン家庭の女性であった事が糸口になって、其れで私たちは、仲良くなりました。でも、、、大学を出て、少しずつ変わってしまったのかな。」

「まあ、変わっていくことは仕方ないですよ。誰だって、その人なりの人生があるんだし。だって、蓑田さんは、農業を継いで、福祉事業をやっているし、あなただって、音楽家として、リサイタルを続けていかなければならないでしょうしね。そういう風に、変わっていくのが当たり前ですよ。其れは仕方ないのではないですか。」

と、蘭は彼女にそういうことを言って慰めてあげた。

「それは先生、おわりになったということでしょうか。長かった付き合いも、これで終わりになるのかな。多分きっと私がリサイタルを開いたことで、歌津子はああして犯罪者になってしまうし。それは私が責任があるのかな。」

「いや、そんなことはないと思いますよ。誰でも自分の人生を歩いていく権利はあると思います。誰にでも、それぞれの人生があって、それぞれの思いがあって生きていくんだって僕はそう思いますけどね。そりゃ誰だって、ひとりでは生きていけないものですから、誰かそばについてくれる人が必要なのかもしれないですけど、、、。でも、自分の人生もあるって事を忘れてはいけないんじゃないかな。」

そう自分を責める彼女に、蘭はそういったのであるが、彼女は、そうねと小さい声で言っただけであった。

「きっと、あの、歌津子さんということは、そういうところが、難しかったんじゃないでしょうか。其れで、犯罪というものに行ってしまうんでしょうかね。まあ、難しいかもしれないけど、そこの辺りは、きっとわかりますよ。」

「そうなんですね。」

と、彼女は一言だけ言った。蘭は、こういう風に、誰かの事を考えてやる気持ちがいい方向に向かってくれることを祈った。



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瀬戸物 増田朋美 @masubuchi4996

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