塔守さまはつかれている

むとう貴

塔守さまはつかれている


   

   

 一見すると穏やかそうな容貌の男が、ゲヴュルツ教会本部の廊下を歩いてゆく。擦れ違う信者たちは彼の姿を見るや、一瞬身を固くした。だがすぐに何事もなかったように表情を取り繕って、深々と彼に頭を下げる。

「塔守さま、お珍しい」

「これはこれは、ご機嫌よう、塔守さま」

「ああ…、うん。どうも」

 塔守と呼ばれた男…ヨハンは一瞬歩みを止め、にこりと一応の笑みを浮かべる。だが再び歩き出し、その表情が信者たちの視界に入らなくなった途端、口角がスッと下がった。

「…やれやれ。まったくご苦労なことだよ。塔守という地位がよっぽど怖いらしいねぇ」

 若いながらも最高司祭と同等の高い地位に就く彼のことを、皆敬い、そして畏れていた。彼の仕事は脈々と続く歴史ある家業であるし、誰かに代わりが務まる種類のものではない。重要な役割を背負っているのは皆勿論承知してはいる、が、彼にはあまりいい話を聞かないのもまた、確かであった。やれ恵みを中抜きしている、やれ上層部を牛耳っている、やれ到底表沙汰にはできない血生臭い悪事を働いている…と、黒い噂が彼の周りには絶えないのである。その傾向は、ここ最近特に強いものであった。

 ヨハンは、表向きには信仰の対象の一端である塔守である自分にペコペコと頭を下げる彼らが、通り過ぎたあとは不気味なものを見るように顔を顰めていることを知っていた。ひそひそと囁かれるよからぬ噂に、どんどん尾鰭が付け足されていることを、知っていた。

「ねぇ…ほら」

「…いえ、まさかね…」

 ひそひそ、ひそひそ。小さな声が断片的に耳へと忍び込む。何、いつものことだ。いちいち気にしていては心が持たない。でも。

「せめてあと5秒だけでも、そのお喋りを我慢すればいいのにねぇ…」

 こちらも生身の人間なので、向けられる悪意を一切気にしないというのはなかなか難しいものだ。彼らが自分が立ち去るまでのあとほんの少しの時間口を閉じていられたら、余計な恨みを買うことも無くなるだろうに…とヨハンは思う。私的な復讐などそれこそ面倒の極みなので、手出しをしようなどとは思わない。だが噂好きの代表格が誰なのかぐらいは、とうのとっくに把握済みなのであった。

「はぁ、疲れるったらないな」

 思わずため息が漏れる。

「誰かに悪意を持つのだってタダじゃないだろうに。あやふやなことで騒ぎ立てるのなんて、時間の無駄だからやめたらいいと思うんだけどね、僕は…」

 小さく肩を竦めつつ、そんなことを考えていると、

「…ヒッ…!」

 今度は、廊下を曲がった先から小さな悲鳴が聞こえた。

 礼拝に訪れたのであろう中年の男性が、青ざめながら立ち竦んでいる。その体は震えており、目が合うとあからさまに視線を逸らした。初めて見かける顔だと思うが、おそらく彼の方は自分を知っているのだろうし、つまりこの状況は…自分の良くない噂を知っているということなのだろう。

 …それにしても随分な怖がりようである。

 避けるような態度や、嫌悪感を滲ませた表情を隠しきれていない者はしばしばいる。嫌われ者としての自覚はそこそこ持ち合わせているヨハンではあったが、今回のようにわかりやすく嫌がられてしまうと「そんなに顔に出していたら世渡りできないんじゃないか?」と逆に心配になってしまうほどだ。まあそんなことは、一切ヨハンの知ったことではないのだけれど。

 カツン。靴音を立てながら歩みを進めると、男性は再びヒッと声を上げ、足をもつれさせながらも一目散に走り去ってしまった。

「……………。ちょっと、あんまりじゃないか?」

 慣れっことはいえ、どう考えても大袈裟すぎるその反応に、ヨハンはため息をついた。

「傷つくなぁ」

 というのは勿論嘘だけれど。

「…僕が面倒くさがりで命拾いしたねぇ。噂は兎も角として、出会い頭にそんな態度は…失礼じゃないかい、流石に」

 人としての話だよ、別に僕がそうして欲しいと思っているわけじゃなくってね。誰に言い訳するわけでもないが、ヨハンはそんなふうに思う。そして、自分が話題の中心であるはずの噂について思案した。

 …噂。よからぬ噂。血生臭い噂。

 その類の情報が、民の末端まで広がりつつあるのだろう。そして先程の男の様子を見るに、ある程度の信憑性までもが付随しつつあるのだろう…。

 …神の恵みは尽きかけている。不安ばかりが募る信者たちは、どこかに原因を求めてしまう。これだけ祈りを捧げても救われないというのはどういう訳なのか?神は我らを見捨て賜うたのか?いいや、そんな筈はない、きっと何か理由があるのだ…そう考えてしまうのだ。

 無理からぬことだ、誰もが同じように強くはいられない。それに生活を切り詰めるのにも限度がある。自分たちが受け取るはずだった恵みを、自分よりもいい生活をしている誰かが盗んでいる…そうやって仮想敵を作ることは、ある種の救いでもあるのだった。

 わざわざ表立って仮想敵を演じてやるつもりなどはない。そんなものは業務外だ。給料が出ない仕事に興味などない。かといって、それは誤解だと申し開きをするつもりも、ヨハンには無かった。

 カツン、カツン、カツン。廊下を進みながら、先程の男の表情を思い返す。酷く怯えた様子だった。それはまるで、幽霊でも見たかのような。自分のことを、得体のしれない、相容れない存在だとでも言っているかのようだった。よほど悪い話を耳にしたに違いない。例えば、余計なことを識った善良な民を、無慈悲に葬った、だとか。

「………まぁねぇ。本当に噂…だったら良かったんだけれどね」

 申し開きをするつもりはない。代わりに真実を語るつもりもない。そして、別に許して貰おうだなんてことも、思っちゃいない。

 ヨハンは眉間にクッと皺を寄せたあと、雑念を払うように頭を振った。

 

 

 

 …それが果たしてただの噂か、それとも真実か。それは時々教会に出入りしている程度の民には判断のしようがない。

 しかし、噂が真実かどうかはさておいて、確実に「視えてしまっているもの」があるのだった。物陰から、先程走り去った男が相変わらず青ざめ、ガタガタ震えながらそっと顔を出した。恐怖を押し殺して戻ってきたのだ。『先程見たものは自分の見間違いだった』ということを信じて。だが、現実はそうでは無かった。

「あ…ああっ…や、やっぱり…!」

 ぶるぶるっと一際大きく震えたあと、男は耐えきれずにその場に座り込んだ。

「見間違いなんかじゃ無かった。な、何なんだ、あれは…?」

 

 

 

 ────同じくゲヴュルツ教会本部。アルドはメリナたちに助けを乞われ、シャスラ結晶地帯に発生した魔物の討伐を手伝い終えたところであった。

 幸いにして今回の敵はさほど強力なものではなく、ただあちこちに出没したが故に手を焼いているから増援はなるべく多い方がいい、という類のものであった。討伐にはそれほど手こずることもなく、早々に本部へと戻ってくることができたため、時間にも体力にもまだ余裕があった。

 教会所属の仲間たちがそれぞれ任務の報告に向かってしまい、手持ち無沙汰でフラフラと教会内部の散策をしていたが、それも段々飽きてきた。うーん、と両手を上げて伸びをしてから、さて、と周囲を見渡しながら、アルドはこれからどうしようかと悩んでいた。

「大ごとにならなかったのは本当に良かったな。メリナの宿敵だった魔物は、魔力をどんどん吸い上げていくうちに手のつけられない強敵になっちゃったって言ってたし…。オレが手伝える時は、またこうやって来てやりたいな…」

 アルドは腕組みをしながらそう考える。

「…みんな忙しそうにしてるのに、時間を潰してるだけじゃ何だか申し訳ないぞ。せっかくだから何かやることがあるといいんだけどなぁ。誰か知り合いでもいれば、困ってることがないか聞けるんだけど」

 勿論、自分が得意とする魔物討伐なんかを請け負えるなら一番互いの為になるのだが、この際手伝いができるならばなんでも良かった。例えば掃除とか、届け物とか、人探しとか。戦闘ほどではないが、どれもまあまあ得意である。

 思えば、メリナたち教会関係者は、布教の一環としてミグレイナ大陸の人々に対する奉仕活動を日々行っているのだ。こちらの大陸にお邪魔している身、同じように礼を返したいと、そうアルドは思った。

「勝手なことをしたら逆に迷惑になっちゃうだろうし…誰に話を聞いてから…。…ん?」

 ふと、視界の先に見覚えのある紫の髪が揺れるのが見えた。

「あれ、あそこにいるのは…ヨハン、だよな。それから…?」

 塔守一族の秘密とやらを共有し、一時休戦状態になったヨハンの姿を確認したアルドは、同時に何か不自然なものを見た気がして、よくよく目を凝らす。

「んん?何だろ、あれ?」

 ヨハンが立っていたのが、ちょうど日差しと日陰の境目だからだろうか。暗がりの部分の視界が、どうもはっきりしない。

「うーん…?何だろう、あの、もや…みたいなのは…?」

 ヨハンの向こう側、ちょうど影に重なるようにして、何かが蠢いているように見える。じっと観察していると、ゆらゆらとするモヤの中に、人影が見えた。

「…女の人…?」

 薄暗くてよく分からないが、服装のシルエットはスカートに見える。体格もさほど大きくはなさそうだ。

 その様子を観察し、首を傾げているうちに、ヨハンは廊下の先へと行ってしまった。

「あっ、しまった!そんなこと気にしてる場合じゃなかった。ヨハン行っちゃったぞ…おーい!待ってくれ!」

 せっかく見つけた顔見知りを逃すまいと、アルドは慌てて駆け出した。

 

 

 

 ゆったりとした動きに見えるのに、ヨハンの歩調は思いのほか早く、ようやく追いついたのは結晶塔入り口の扉へと続く階段の下だった。

 結晶塔には塔守しか出入りできない、という理由を抜きにしても、この周辺には近寄り難い雰囲気がある。扉手前のホールはがらんとしており、そこへ上がる階段周辺の廊下も皆通行を避けているようで人気が少ない。

「おーい!ヨハン!」

 アルドが駆け寄りながらヨハンを呼ぶと、しんとした空間にその声がよく響いた。

「…うん?」

 呼びかけられ振り返ったヨハンは、その瞬間だけ他所行きの貼り付けたような笑顔だったが、相手がアルドと知るや面倒さを隠そうともしない眠たげな表情に変わった。

「…。どこの誰だい、おたくは?」

 そしてシレッとそんなことを言った。

「えっ、忘れちゃったのか!?オレはアルド。メリナやプライたちと一緒に…」

 だがその嫌味はアルドには通じなかった。本当に忘れられたのだと信じ込んだアルドは、律儀に自己紹介をし始める。ヨハンはスッと手のひらを掲げてそれを止めた。

「冗談だよ、冗談。随分真面目だねぇ。勿論覚えているとも…。今のは、思い出したくなかった、せっかく忘れてたのに、って意味だよ」

 覚えている、というところまでは「ああ良かった、冗談か」とにこにこと聞いていたアルドだったが、思い出したくない、を言われたところで「酷いな!?」と声を上げる。

 だが、腕組みをしてううん、と唸ると、

「…まぁ、でも…そうだよな。ヨハンがそう思うのは仕方ない…のかもな」

 と、ヨハンの言葉を肯定した。

 怒らせるつもりだったヨハンは、アルドの台詞に面食らい、目をぱちぱちと瞬かせる。

「…おたく、変わってるって言われないかい?」

自分の言葉に返ってくるのは、愛想笑いかお為ごかし、もしくは憤りや嫌味の応酬。受け止められることなど、ヨハンの記憶になかった。

「変わってる…?うーん、言われるかなぁそんなこと…?」

「あぁ、それとも馬鹿正直とかお人好しって言われるタイプかな」

「あ、ああ…。それなら結構言われる気がするな。別にそんなつもりはないんだけどさ」

「…ううん…」

 嫌味が全く通じていないことを察し、ヨハンは今日何度目か分からないため息をついた。

「やっぱり、『変わってる』…の方かなぁ」

「…ヨハンがオレのこと、変わってるって思ってるのはよく分かったよ…」

 悪印象とは言わないまでも、変人として認識されているのは間違いなさそうだと理解したアルドは、残念そうに俯く。しかし、すぐに顔を上げ、周りを見渡した。そういえば、先程の女性はどこへ消えたのだろう。すぐに追ってきたのに、ホール周辺には今現在アルドとヨハン以外人影が見当たらない。

「…あれ?」

「何だい?用事があるならさっさと済ませてもらえないかい」

「あぁ、いや…ヨハン、さっき誰かと一緒にいただろ?」

 ほんの数秒前のことだ。ただ歩き去るにしては、見当たらないのは少々不自然に思えた。

「はあ?」

 だがその言葉に、ヨハンは怪訝そうに首を捻った。おや、と思いつつも、アルドは質問を続ける。

「すぐ隣に、誰かいただろ?一緒にこっちに来たよな」

「…何の話だい?おたくなりの冗談か何か?」

 しかしヨハンの眉間の皺はますます深くなるばかりである。とぼけているという感じでもない。だが、見間違いではなかったはずだ。表情こそはハッキリとは確認できなかったものの、あれは確かに…。

「…多分女の人だと思ったんだけど。すぐに追いかけてきたのに、今はどこにも居ないから…オレが来たせいで邪魔したんだったら、申し訳ないなって思って…」

 そう、もしかしたら自分に気づいて走り去ったのかもしれない。それにしては他の誰かの足音はしなかった気はするけれど。

「…?…僕はずっと一人だったよ」

 しかしそれもすぐさま否定される。嘘を言っている様子は、やはり無い。

「見ての通り、今から塔へ戻るところでね。ここへは誰も連れて入れないのに、一緒に誰がいるっていうんだい」

「そ、そうか。うーん…?」

 確かにその通りなのだ。ヨハンはまっすぐ結晶塔へ向かっていくところだった。ここへ入ることができるのは、ヨハンを除けばとてもイレギュラーな存在だけなのである。誰かを伴っているのは逆に不自然だ。

 噛み合わないやり取りに、付き合いきれない、というようにヨハンは首を振った。

「…それが用事なのかな?それじゃあ、僕はこれで」

「あっ!違う違う!」

 無駄な時間だったとでもいうように立ち去ろうとするヨハンをアルドは慌てて止める。当初の目的をすっかり忘れていた。

「ええっと、本題なんだけど、教会内で困りごとがあったら手伝いをしたいんだ。誰か困ってる人がいたりしないかな?」

 そう言われヨハンは、心底どうでもいいとでもいうような虚無の表情を浮かべ、そして

「…僕」

 と呟いた。

「え?」

「今」

「ヨハン、今困ってるのか?何でも言ってくれ!」

 それを聞きアルドはぱっと笑顔になる。まさかヨハン本人から依頼があるとは!

 しかし続く言葉は期待するものとはだいぶ違った。

「誰かさんに仕事の邪魔をされてるんだ、ずっと足止めを食らっていてね」

 非難が込められた目線が、アルドに刺さる。

「えっ、それって…」

「わかったらどいてくれるかなぁ?」

「うっ…ご、ごめん…」

 すっかり時間を食わせてしまったことに気付き、アルドはしゅんとした顔で道を譲った。

「…なにもそんな顔をするもんじゃないだろう…」

 あからさまに落ち込んだ顔を見せられたヨハンは、覚えなくてもいい罪悪感を押し売られ、嫌味を言う気力を削がれてしまったようだった。

「はぁ…。おたくがお人好しだっていうのはよくわかったからさ。それじゃあ僕はもう行かせて貰うよ…」

 そう言い残して、ヨハンは階段を昇っていく。さりげなく変人からお人好しに認識が修正されていることには互いに気づくこともなく、アルドも来た道を戻っていった。

 

 

 

 二人が背を向け合い、誰も見ていないホールの中央。娘の形の影がヨハンの背後からスッと離れた。塔の中へ入る気配はない。従来のルールの通り『入れない』のかもしれないが、そもそも入ろうとする様子が無かった。娘の影はヨハンが結晶塔の扉を開き、そして通過したのちにゆっくりと閉じるのを眺めてから、ふっと姿を消した。



 

 ヨハンと別れた後、アルドはその場でまだしょぼくれていた。

「…結局何の話も聞けなかった…」

 役に立つつもりが、ただ邪魔をしただけになってしまうとは、不覚である。このまま大人しく待っていようか、と落ち込んでいたその時。

「な、なぁ、あんた!」

 物陰から、思い詰めた様子の男が現れ、アルドに声をかけた。

「ん?」

「あんた………視えるのか!?」

 言いながら、男がずいっと詰め寄る。

「見える…?何が?」

 見えるも見えないも、まず話が見えない。

「あ、あ、あんた…さっき塔守さまと喋ってただろう?」

「塔…。ああ、ヨハンのことだな」

 塔守という呼称はアルドにはあまり馴染みがない。一瞬考え込んでから、役職名とヨハンを結びつけそう返事をすると、男はギョッとして一歩後ずさった。

「ヨハッ…!?」

「ん?」

「と、塔守さまをお名前で呼び捨てる方はそう多くないんだが…あんた何者なんだね?」

 その様子を見てアルドは、しまった、と思う。

「あーっと…。そっか、あいつ偉いんだっけ」

 そして前言をフォローするつもりだったのに、失言を重ねてしまう。

「あいつ!!??」

「あっ、えーっと、い、色々あってさ!ほら、メリナとかチルリルはヨハンヨハン言うから、つい」

「めめめ、メリナ!?チルリル!?!?さ、さまを付けんかっ、この馬鹿者がぁ〜!」

「えーっ!?」

 失言に次ぐ失言で、男は大混乱である。混乱の勢いのままに怒鳴りつけられ、アルドも困惑の声を上げた。

「ほ、本当に何者なんだ、あんた…」

 ぜいぜいと息を荒げながら、男は尋ねた。

「は、ははは…。何者って言われると説明が難しいんだけど、仲間なんだよ。メリナやチルリル、プライにロゼッタ。みんな、大切な仲間だよ」

 こうなってはもはや開き直るしかない。ついでとばかりに他のメンバーの名を連ねると、男はひっくり返りそうなくらい背を反らせて絶句する。

「プ…………ライ殿はともかくロゼッタさままで…ひぃ〜…」

「プライはいいのか…」

「ま、ま、まぁ、あんたが何者かは、今は関係なかったな…取り乱してすまんかった」

「いや、構わないよ。最初から随分慌ててたみたいだけど、一体どうしたんだ?ヨハンと喋ったら、何か問題があるのか?」

 落ち着きを取り戻した男にアルドが尋ねると、男は首を横に振った。

「塔守さまじゃないよ。その前だ」

「その前…?」

「ああ。あんた、女の人がどう…とか言っとらんかったか?」

「ああ!うん、そうなんだ。ヨハンの連れ合いかと思って聞いたんだけど、違ったみたいでさ…」

 やはり誰か居たのだ、という確証を得てアルドが状況を語り出すと、男は話を途中で遮った。

「…あんたには、どう見えたんだ?」

「え?」

「教えてくれ…あんたには、どう見えてたっていうんだ!?」

 再び興奮した様子で詰め寄ってくる。

「ま、待ってくれ!何だって言うんだ?」

「いいから!」

「わ、わかった!近い、近いよ!」

「す、すまん。また…」

「顔色悪いぞ、おじさん…大丈夫なのか…?」

「ああ、大丈夫だ。…それで、どうなんだ?」

「そうだな…、正直、ハッキリは見えなかったんだよ。もやーっとした黒い影がヨハンの横にあったから、何だあれ?って思ってさ…でも、スカートみたいな形がぼんやり見えたから、女の人が後ろに立ってるんだなって思ったんだ。それだけだよ」

 先程の様子を思い出しながら、アルドが説明する。こうして思い返しても、大した出来事ではなかったはずだ。

 だがアルドの話を聞いた男は、冷や汗を噴き出しながらガタガタと大仰に震え出し、

「…ひ…」

「…ひ?」

「ヒィイいいいいイィィィィーーーーー」

 再び取り乱して悲鳴を上げた。

「わっ!落ち着けよ、おじさん!」

「や、やっぱり居るんだ…!見間違いじゃない…!お、恐ろしい〜ッ!」

「だから落ち着けって!それが何だっていうんだよ?」

「なあ兄ちゃん…俺にもぼんやり視えるんだ」

「さっきから見える見えるって…。だから、何が?」

「幽霊だよ、幽霊っ」

「え………ええっ?」

「その女、あんたと俺以外気づいてないんだ!幽霊じゃなかったら一体何なんだ…!」

 

 …一頻り騒いだのち、男は語り出した。

 

「ついさっきの話さ…。礼拝に来た俺は、結晶塔…じゃなかった!聖堂に向かっていたんだ」

 初手からよく分からない言い間違いをした男に、アルドは首を傾げた。

「…?あんた、結晶塔に用事があったのか?」

「ち、違う違う!言い間違いだ!」

 妙に激しく否定をする男に、アルドは怪訝な表情を向ける。男はゴホン、と咳払いをし、話を戻した。

「…すると向こうから塔守さまが歩いてきなさった。ご挨拶を…と思ったんだがな。だがその時、塔守さまに…ざわざわと絡まる髪の毛が見えたんだ…」

「うっ…」

 男のおどろおどろしい口調にアルドは眉を顰めるが、

「最初は新しいお衣装かと思ったんだ、海藻でも巻きつけたデザインの、斬新なローブかとな」

「それはそれで、かなり怖いな」

 男の感想は、アルドとは方向性がちょっと違った。

「…だがな。それだけじゃない。背後には昏い表情の若い女が見えた…」

「ううっ…」

「熱烈なファンがいるものだと、何だか甘酸っぱい気持ちになったよ」

「あんた、なかなか前向きだな…」

 どうにもこの男とは価値観が違うらしい。なんだか話を聞くのが馬鹿馬鹿しくなって来たアルドだったが、

「だが…次の瞬間、全部パッと消えちまった。流石にありゃあこの世のものじゃないって思ったさ」

 …結局、この妙な価値観の男でさえも、その存在は幽霊だと認めるところとなったようだ。

「ううう…。あんたはもともと、そういうのが視えやすいのか?」

「いいや、そんなことはないはずなんだがね…。どうして俺らには視えちまったんだろうなぁ…?」

 そこまで語ると、男は沈黙してしまった。アルドは腕組みをして、これこそ自分の出番なのではないかと考える。

「…ちょっと気になるな。よし、オレが調べてみるよ!」

 そう提案すると、男の表情にようやく笑顔が戻った。

「本当かい?何だか放って置けないが、俺には怖すぎる…頼んだよ兄ちゃん!」

 

 

 

 調べ物といえばまずは聞き込みである。アルドは塔から聖堂へと続く廊下を、ヨハンが通ってきたであろう道に沿って歩いて行った。途中、何やら立ち話で盛り上がっている女性二人組を見つけ、ちょうどいい、と声をかけることにした。

「なぁあんたら、ちょっといいか?ヨハン…ええと、塔守の話を聞きたいんだけど」

「あらっ、なぁにあなた。この辺の人間じゃなさそうねぇ」

 噂好きの女性は嬉しげにアルドを話の輪に迎え入れる。

「何も知らなそうだから教えてあげるけど、あまり大きな声で塔守さまのお噂なんかしない方がいいわよ!」

「そうよ!どこで聞いてるかわかったものじゃないし!」

「バレたら恐ろしい罰が下るかもしれないわ!ああ!怖い怖い!」

 訂正である。輪に迎えられたわけではなく、話の聞き役として標的にされただけであった。尋ねる前から、次から次へと言葉が飛び出してくる。

(声、大きいなぁ…)

 アルドはその勢いに圧倒されてしまうが、女性は戸惑うアルドに構わず話を続けた。

「お立場も偉いし、背後にあるものが私たちなんかとは違うのよ」

 ちょうどいい話の流れに、アルドが口を挟もうとする。

「あっ、その背後の話が聞きたいんだ。ヨハンの背後にさ、ゆうれ…」

「そうなのよ、何しろ神の恵みを受け取るお役目は他の誰にもできないんですからねぇ」

 だが喋りのイニシアチブは女性のままであった。

「いや、神の話じゃなくって。髪が絡まったり…」

「その恵みもめっきり減って、最近何かがおかしいわよねぇ!」

「誰かが独占しているんだと思わない!?」

「ねぇ!?誰なのかは知らないけど!ねぇ!?」

「あの…ちょっと話を…」

「私たちはこれで失礼するわ。ああ、怖いわ〜っ!」 

 そして怒涛のマシンガントークを浴びせるだけ浴びせ終わると、二人組はさっさと解散してしまった。その場に一人取り残され、アルドは呆然とする。

「…何も喋れなかった…」

 がっくりと肩を落とし俯いていると、背後から別の女性がおずおず声をかけてきた。ずっと話しかけるタイミングを図っていたようである。

「あ、あのう…」

「ん?」

「と、塔守さまのお話をしてらっしゃいました?」

「ああ、そうなんだ。あいつ、偉いのに随分な言われようなんだな」

「あいつ!?」

「あっ、いや、その、塔守さまが、さ」

「…その…。汚職のことではなく…背後がどうとか、髪が絡まっているとか、言ってらっしゃいませんでしたか?」

「…!ああ、そうなんだよ!もしかして、あんたにも視えたのか?」

 新しい情報が聞けそうな展開に、アルドの表情が明るくなる。それとは対照的に、女性の表情はずうんと暗く沈んだ。

「ええ…。ああ、どうしましょう。やっぱり何かいるのね…。他の誰も見えていないようだったから、私の勘違いであれば…と、見ないふりをしていたのだけれど…!」

「そうか…それは怖かっただろうな…」

「ええ、最初の頃は驚きすぎて、塔守さまを見かけるたびに通り道を変えたりしてたわ。もっと自然に避けられたら良かったんだけど、結構わざとらしくなっちゃって、塔守さまには怪訝な顔をされるわ、その…先程の二人組には、そんなことでは神罰を下される、なんて脅されるわで散々だったわ」

 気落ちした様子の女性を見ながら、アルドは先程のマシンガントークを思い出して苦笑いした。日常的にあの調子で来られたら辛いものがありそうだ。

「重ね重ね災難だったんだな」

「ええ…。…あれは、なんなのかしら?これといって悪さをする感じじゃなさそうだけど…」

「へぇ、そうなのか?」

「ええ。私が見かけた限り、あの子は塔守さまが降りてきた時はその後ろをついて歩いているけど、塔守さまが塔に戻られると入り口の前で止まってしまうの」

 てっきりどこまでも付いていくものとばかり思っていたアルドは、意外な事実に驚く。

「へぇ!幽霊でもあの中には入れないものなのかな?」

 楽園の技術というのは霊的なものにまで影響を及ぼすのだろうか、と腕組みしながら考える。

「どうかしら…入れるかどうかまでは分からないけど、入ろうとしているようには見えないのよね…」

 女性の見解によると、結界的なものの影響ではなく、霊そのものの意思であるようだった。

「随分詳しいな」

「や、やっぱり気になっちゃって。怖いけど、見かけるたびに観察してたの。それに…あの子の行動って、私に少し似てるのよ…」

 非常に言いづらそうに、女性はそう明かした。

「…?どういうことだ?」

 幽霊と行動が似ているとは、なかなか想像し難い。女性は一旦俯いたのち顔を上げると、声を小さくして、己の行動を明かした。

「…塔守さまが出入りするときだけ、扉が開くでしょう?その一瞬だけ、隙間から中が見えるでしょう…?それを眺めているときの私に、なんだか似てると思ったの」

 覗き見をしていた、という恥じらいなのだろうか。女性の声はどんどん小さくなる。

「中に入りたいなんて思ってないのよ。ただ、見てるだけで…」

「あんた、この塔が好きなんだな」

 アルドはその言葉を聞いた後、にこりと笑ってそう言う。アルドの穏やかな笑顔を見た女性も、ようやく緊張を解いて笑みを浮かべ、それを認めた。

「…ええ、とっても。本当は外観ももっと眺めたいのだけれど、教会の外は出歩くには危ないし…私が毎日見ることができるのはこの扉くらい」

「なるほどな。そんな自分と似てる…って思ったのか」

「あの子の気持ちが分かる気がするの。何か悪さをしようとしているわけじゃないって思うのは、そういう理由よ。怖いことには変わりないけどね」

「幽霊になっても眺めていたいくらい好きなのかな」

「…。もしかしたら…、塔信仰、していたのかも…」

 女性はまた声量を絞って、こそりとそう告げた。

「…塔信仰…?」

 聞き慣れない言葉と、女性のその様子に、アルドも小声でそれを復唱する。女性は一旦周りを見渡し、誰にも聞かれていないことを確認してから、またひそひそ声で話し出した。

「…異端な考えよ。ここに神様が座すからではなくて…塔そのものを崇めている、ってこと」

「オレには違いがよく分からないけど…それって、いけないことなのか?」

「…はっきりとそう示されているわけじゃないの。だって、塔そのものだって重要なのは間違いないじゃない?でも…やっぱり神様とは違う。あまりにもこの結晶塔に魅入られている者は追放刑に処されるっていう話よ。事実、姿を消した人が過去何人もいるらしいの…」

「そういうものなのか…。じゃあ、この話をするのも勇気がいっただろ?」

 先ほどから必要以上に気まずげに小声である理由に合点が行く。なるほど、身の危険に絡む可能性があったわけなのだ。

「色々教えてくれてありがとうな」

「ううん、私も誰かにこの話をずっとしたかったの。気持ちが軽くなった気がするわ。…ねぇ、でも一応断っておくけど私、心から神様を敬っているのよ?本当だからね?告発なんてしないでね…?」

「大丈夫だよ。オレ自身は教会とは関係ないし、あんたの言ってることだって本当だと思ってるよ」

「ふふ…ありがとう。私の話、何かの役に立ちそうかしら」

「そうだな、助かったよ」

 正直まだ話の繋がりは見えて来ていないが、今の会話が何かのヒントになりそうな確信があった。それから、アルドは思い出したように質問を付け加える。

「そういえば…あんたは、そういうのよく見るのか?」

「いいえ。正直全く縁がなくて。幽霊だなんてそんなもの、怖がりな人の見間違いだ、って思っているぐらいだったのに」

「ふうん、どうしてあんたには視えたんだろうな…」

 

 

 

 会話を終え、女性と別れたアルドは、一旦情報を整理するために立ち止まった。

「塔信仰、って言ってたな。そういうのもあるんだな…。でも確か、塔の秘密を知ろうとした人って…」

 アルドは今までのゼルベリアでの旅のことを思い返す。旅のそもそもの発端として、塔の秘密を探ったメリナたちはヨハンによって記憶を操作され、クラルテに至っては一度命を奪われている。そして、ヨハン本人の口によって、そのような行為は割と日常的に行われていると白状されているのだ。

「塔を信仰する、ヨハンに取り憑いた幽霊…。…それって、もしかしなくてもヨハンの手で………」

 あまり考えたくはないが、それこそが幽霊の娘の末路だったのでは、という可能性がアルドの脳裏に浮かぶ。塔守一族が守り続けた塔の秘密、それを覗こうとした者はヨハン以前の代からずっと、容赦なく処理されてきたのだ。そして一般の信者たちには、それが塔守ではなく教会側の処罰だと思わせることで、塔に興味を持ってはならないというように意識を誘導されていたのではないだろうか…。

 

 

 

 そこまで考えたところで、アルドの思考は一旦止まる。

「やや、アルド殿。お待たせしているようですな」

 向かいからプライが現れ、声をかけてきたためである。

「プライ!報告は済んだのか?」

「報告に関してはチルリル殿とメリナ殿に任せて参った。私は部隊の装備点検の雑務に向かうところですぞ」

「はは、そっか。メリナもチルリルも、立場が偉いんだったっけ」

「いやはや、私も負けじと精進したいものだ。あの二人にだけ重荷を背負わせておくなど、心苦しいですからな」

「…ああ、そうだな」

 先日の神下勅廷の一件…いや、それよりずっと以前から、プライは二人の天才ばかりが負担を負っていることに心を痛めていた。二人がまだ幼いからというのも否定はできないが、決して年長者だからそう思っているわけではなく、祭り上げられた偶像に頼り切っている現状をよしとはできないたちなのである。そんなプライの心持ちは、わざわざ全て語らずとも、旅の初めの頃から一緒に過ごしてきたアルドもよく理解できた。

「…あのさプライ、忙しいところ悪いんだけど、ちょっとだけ聞きたいことがあるんだ。いいかな?」

 やることが山積みであろうプライの時間を割くのは申し訳ない気がしたが、プライは愛想良く「勿論、何なりと」と答える。

「教会内で幽霊の噂なんて聞いたことないか?」

「むっ…なんと!?神聖な教会にそのようなモノが…!?」

 なるべく手短に済まそうと色々な説明を省いた質問だけしたつもりだったが、どうやら神を敬愛してやまぬプライの逆鱗に触れたようであった。クワっと瞳を見開き、素早く槌を取り出して構え、どこからでも来いと言わんばかりに熱気を放つプライを、アルドは慌てて諫める。

「わーっ、待て待て!武器をしまってくれ!」

「おっと、私としたことが!頭に血が上ってしまってお恥ずかしい!」

 プライは平静を取り戻すと、サッと武器を仕舞い込んだ。アルドは胸を撫で下ろし、話し続ける。

「実際にどうなのかは調べてる途中なんだよ。何か知っていたら教えてくれないか?」

「むむう。そうは申しても、教会に彷徨う魂が入り込むなど…あり得ますかな…?」

「ああ…確かにそうだな。外から入ってくるのは難しいのか」

 場所柄、そういったモノに対する防御は強固なのだろう。ちょっとやそっとのことでは入り込めない…言われてみるとその通りのように思えた。

「強い怨念があるとすれば或いは…。いや、しかし仮にそうであれば、噂どころかもっと騒ぎになっていそうなものだがな」

 プライが独り言のようにそう続けるのを聞きながら、アルドもうんうんと頷いた。そうなのだ、幽霊を目撃した男も女性も、普段から霊障に悩まされるタイプではない様子だった。何か問題を起こす気配はない、という女性の推理も、なんとなく理解できる。

「してアルド殿、その幽霊とやらはどのような者なのだ?私も神官の端くれ。魂が導きを必要とするならば、力をお貸ししよう!」

 あれこれと思考を巡らせ終えたプライが、いつもの通り熱い口調で胸を張りながらそう言った。

「ああ、ありがとうプライ。って言っても、若い女性らしいってことぐらいしか分からないんだけど」

「ふうむ!該当者がいくらでもいそうな条件ですな!?」

「だ、だよなぁ…」

「しかし、ふむ…実を申し上げると、直近に心当たりがあるのだ」

「なんだって!?」

 アルドは驚き大声を上げてしまうが、プライは普段の自分の声の方がよっぽど大きいので、何のそのである。落ち着いた様子で、コクリと頷き、続けた。

「ちょうどその幽霊殿程度の年頃の者に関する相談を受けたのだ。その場では話を聞くことしかできなかったのだが、もしかするとアルド殿の調べている話に繋がるやもしれん。全く無関係の可能性も勿論あるが…」

「構わないよ!手がかりになりそうなことなら、何でも教えてくれ!」

 うむ、と返事をして、プライは相談を受けた時のことを語り出した。

「…先ほども討伐をおこなったばかりではあるが…知っての通り、教会周辺の環境は安全とは言えず、魔物が多々出没している。特に日が暮れた後などにわざわざ出て行っては、武器を持たぬ者などは狙ってくれと言っているようなものでしょうな。だが、戦闘の心得もない娘が夕暮れ時にメルロ区方面へと出かけて行ったのだという訴えがあったのだ。向かったらしい場所の近くには魔物の巣があるので、わざわざ近づくなど危険の極み…自殺行為である!捜索隊も出たのだが、結局見つからず…。悔しいが、状況からしても…」

 言葉を濁らせるプライの横で、アルドもしゅんと俯く。

「…そうか…。その子は、どうしてそんな危ないところに外出したんだろうな…?急ぎの用事でもあったのかな」

「それが…何やらヨハン殿に遣いを頼まれたらしいとのことでしてな」

「なっ…」

 再び登場したヨハンの存在に、アルドの中の嫌な予感が大きくなる。 

(やっぱりヨハン自身が関わっているのか…?)

 もしそうだとしたら、かの幽霊の無念は当然と言えるだろう。思う存分祟らせてやりたい気さえする。

 …ヨハンの策謀の可能性への疑いを深めてしまったアルドだったが、しかしそれはあっさりと否定された。

「…ちなみに、ヨハン殿に対する調べならついておるのだ」

 ヨハンが疑わしい、と余程わかり易く顔に出ていたのだろう。プライに考えを先読みされ、アルドは狼狽した。

「え!?あ…ああ、そうなのか…」

 ほっとしたような、それはそれで腑に落ちないような、おかしな気分である。

「調べ…って、どういうことなんだ?」

「いや何、そんなものは頼んでいない、とのことで」

 あまりにも簡単に済まされていることに、アルドは思わずずっこけた。

「…そ、それって、口ではなんとでも言えるんじゃ…?」

「…事実、ヨハン殿が誰かに遣いを頼むことなど滅多にないことでな。あるとしても、正式に手順を踏んで依頼がなされている…。正直、ヨハン殿に頼まれごとをされたという話の方が、よほど訝しいのだ」

「…そっか。頼むわけがない、ってことなのか」

 アルドも渋々ながら納得する。もし本当にヨハンの差金だったとして、遣いを頼んで危険な場所へ向かわせるというやり方はあまりにも不自然なのだ。こう言ってはなんだが、やるならもっとさっくりと始末している、気がする。

「…教えてくれてありがとう、プライ」

「お役に立てましたかな?それでは、私はここで失礼!」

 そこまで話を聞いたところで、アルドとプライは一旦解散となった。

 疑いが深まってしまった部分もあったが、結論から遠ざかってしまった部分もある。

「…とにかく、まずは女の人が向かった方へ行ってみようか。何かわかるかもしれないからな」

 

 

 

 アルドは教会を出てシャスラ結晶地帯を歩いていった。南西へと向かう坂をくだれば、あと一息でメルロ区である。

「こっちの方だよな…」

 教会と町とを結ぶ街道であるはずの道だが、討伐を終えた後でも相変わらず魔物がちらほらと出没する上に、大型の飛行モンスターも定期的に周遊している始末。丸腰で通っていいとは到底思えない。

 坂を降り切ったところで一息つき、アルドは辺りを見渡した。曲がり道続きで見通しが悪く、街道から逸れた一帯はいかにも魔物が住み着くのに絶好といった雰囲気である。一人で出歩いたとして、引きずり込まれるならこんな窪地だろう…そう考えていると、予想通りにぞろぞろと徒党を組んだ魔物が現れた。トリディマイラにアルゴードンにモンモリロン、クリストバルガ。仲が良さそうにはとても見えない面子が一斉にアルドに襲いかかってきた。

「やっぱりここが魔物の巣か!」

 それぞれに弱点が違う魔物を一度に相手するのは骨が折れるが、アルドは慣れた調子で次々にのしていく。やぁっ、と威勢のいい掛け声と共に最後に残った魔物を叩き斬ると、倒された魔物は順にサラサラと分解して消えていった。

 ふうっと大きく息を吐いて呼吸を整えているうちに魔物たちの分解は終わり、辺りにはまた静寂が戻る。…と、落ちている荷物がアルドの目に留まった。魔物の体内から出てきたのだろうか。ここらの魔物は倒してしまうと結晶化して消えてしまうことから、素材となるものは落としてくれない。つまり、外部から魔物の体内に取り込まれたものであると考えられた。

「これは…もしかして、あの女の人のものかな…?」

 屈んで拾い上げてみると、それは小さな布袋だった。ゼルベリアの現状を窺い知れるような、布地を継ぎ接ぎしたボロボロの袋だったが、小さな刺繍が施されている様子から、女性ものであると予測できた。中からは何かかちゃかちゃと音がする。

「…よし。ヨハンに届けに行ってみよう」

 アルドは立ち上がり、教会へと踵を返した。

 

 

 

 教会へと無事戻り、そのまま結晶塔へ向かうと、先程話に聞いた通り、大扉の前には女性の幽霊の影が佇んでいた。彼女にはどう対応していいものか、と逡巡しているうち、ちょうどヨハンが扉から現れた。探す手間が省けた、とアルドが駆け寄ると、ヨハンは不審げにアルドを見返した。

「…えぇ…?なんだい、ずっと居たのかい、ここに…?」

 どうやら、付き纏われていると感じているようであった。

「ち、違うよ!タイミングが良かっただけだって!」

 アルドが慌てて否定するが、ヨハンはじっとりとした目つきをする。別にアルドを疑っているわけではないのだろうが、単純に気味が悪いのだろう。

「タイミングが良かった?これは、タイミングが悪いと言うべきじゃないかな」

「う…。オレにとってはタイミングが良かったんだよ」

「ってことは、まだ何か用事があるってわけか」

 もともと眠たげな目を、さらに細めながらヨハンは言う。

「言っておくけど手伝って欲しいことは相変わらず何もないからね。全く、おたくみたいに強引なお節介焼きは定期的に湧いてくるものなのかい?最近ようやく静かになったと思ったんだけどねぇ」

「…!」

 アルドはハッと息を飲む。正直、問い正してもヨハンの口を割るのは難しいのではないかと思っていたのだ。アルドが部外者であるということで多少の油断があったのか、おそらく雑談をあまり好まないであろうヨハンが、自分から進んで話をしている。核心を明らかにする、またとないチャンスであった。

「少し前、やたらと手伝いをしたがる教会の小間使いがいてね。おたく、僕の仕事は知ってるだろう?あんまりちょろちょろされると、本当に始末しなきゃならなかったからね…」

「…!」

 ヨハンの語り口は、仮定の状態だった。

「ヨハンは…殺してない…んだな、その人のこと」

 アルドが恐る恐る、しかしかなり踏み込んだ質問をする。ヨハンは片眉をぴくりと動かし、アルドをじっと見た。

「………僕のことを無差別殺人者だと思ってるわけ?…まぁ、おたくらから見たら、同じことかな」

「…そんなふうには思ってないよ。でも…ヨハンがやってきたことを肯定はできない…」

「肯定なんてこっちから願い下げだよ、おかしなことを言うねぇ」

 呆れ返った様子でヨハンは言う。説教なら間に合っているとその顔には書いてあるが、一方では、どうにもアルドの言葉を切り捨てることもできないようだった。

 今までの行為を肯定はできない、しかしヨハン自身が好き好んでやっていたことではないのも、旅の過程でアルドは見てきた。『使命を全うしただけ』とプライも語っていたように。真っ直ぐにそう思っていることが、多少なりヨハンにも伝わったのだろうか。

「…調子狂うなぁ、ほんと…」

居心地悪そうに、ヨハンは口元に手を当てる仕草をする。彼のそんな人間らしい様子に、アルドはなんだか嬉しくなる。

今ならいろんな話をしてくれるんじゃないかと感じたアルドは、質問を付け加える。

「なあヨハン、おかしなことついでに聞くんだけどさ。今までもそうやって…ヨハンの言う『仕事』をしてきたわけだろ?その…怨まれたりとか、してこなかったのか」

「本当におかしなことを言い出すねぇ…。怨恨を買うにも、相手は死んでるんだから、どうしようもないと思わない?」

「い、いや、その…」

「まさか残留思念がどうとか言い出すつもりかな?」

「うっ…ま、まぁ、そうなんだけどさ…」

 それまでは過剰なぐらいにぐいぐいとパーソナルスペースに入り込んできたアルドが、なんだかふわふわとした物言いになっていることに多少の疑問を抱きつつも、ヨハンは問いに答える。

「…。あのね。ここは、見放された大地の、救いも何もあったもんじゃない有様だけれど、仮にも神聖なる教会の中なんだ。『そんなもの』が入り込んだら、大ごとだと思わないかい?」

「…そうか。そうだよな」

 ヨハンの見解がプライの話とほぼ同じものであることに、アルドは安堵する。

 この幽霊は、ヨハンの計らいによって命を落としたわけではなく、また深い怨みを抱いてここにとどまっているわけではないのだろう。

 ただこの結晶塔に、どうしようもない憧れを抱いてしまったのだ、きっと。そして塔との関わりの媒介として、ヨハンの存在が不可欠だったのだ。生前、そうしていたように。

「あのさ…その人にさ、頼まれたんだよ。これ…」

「…?…」

 アルドはシャスラで拾った布袋を差し出す。ヨハンは最初なんのことかわからずに首を捻ったが、袋が揺れた時に中身がぶつかり合って発生する音で、何が入っているのか理解したようだった。

「…ああ、手伝いは何も必要ないって言うのに随分食い下がったから、今必要なのは結晶を磨き上げる粉ぐらいだって言ったんだったっけ。それ、魔物から採取するしかなくて、手に入れるのがちょっとばかり面倒なんだよ。ほら、ここいらの魔物って倒すと消えちゃうだろう?生捕だとか、そっと住処にでも忍び込むかでもしないといけないんだよね。一般人にはまぁ無理だし、そもそもどうやったら手に入るのか知ってる人も少ないんだ。…別に急ぎじゃなかったのに律儀だねぇ」

「…使ってやってくれよ、もうその子は渡しには来ないから…」

 アルドは苦々しい笑みを浮かべる。ヨハンは嬉しいとも迷惑とも言わず、ただその袋を受け取った。

「ふうん…。…それじゃあ有り難く活用させてもらうよ」

 

 

 

 一人、ゆったりと歩きながらヨハンは手元を見た。布袋の中では、魔物の鱗が擦れ合い、かちゃかちゃ小さな音を立てている。

「…あーあ。心酔する偶像だって、死んだら眺めることもできないだろうに…」

 誰にも聞こえないような小声でヨハンはつぶやいた。捜索隊が自分に尋問をしてきた時には、もうあの娘の命がこの世から失われていたことは予測できていた。まして、熱心に通い詰めていた娘をぱったり見かけなくなったことからも、それは明らかであった。

 

 自分のせいだとはこれっぽっちも思わない。散々警告はした。その挙句に、わざわざ自ら危険に飛び込んだ愚かさに寄り添うつもりなどヨハンにはない。ただその無駄とも言える命の散らせ方に、無性に腹が立つのだった。

 

 

 

 結晶塔の大扉前。ぼんやりと立っている娘の幽霊にアルドは話しかけた。

「これで良かったかな?お節介だったかもしれないけど」

 娘の影がこちらの言葉を聞いている様子はない。塔へと繋がる扉をしばし眺めた後、ヨハンの方にゆっくり歩いていった。

「はは…粉を使い終わるまでは未練があるのかな。プライもヨハンも悪霊なら教会の中にはいられないって言ってたし、あとはもう満足するまで放っておくしかないのかもしれないな…」

 これ以上介入すべきではないと、アルドは思う。しかし、娘の未練を解き放つきっかけにはなれたのではないだろうか、と、少しだけ晴れ晴れした気持ちではあった。

「それにしても、無関係のオレにどうして彼女が見えたんだろう?話を聞いた限り、塔に強い想いを持ってる人には見えてたみたいだけど。…ん?」

 …視線を娘の影の方にやると、教会に住み着いた猫がテクテクとそちらへ近づいていくのが見えた。どうやら、猫には彼女が見えているらしい。猫は無邪気に、娘のスカートの裾にじゃれつきながら、やがて視界から消えていった。

「…は…ははは…そんな理由か…。確かに猫って何も無いところ見てたりするもんな…」

 アルドはなんとも言えない気持ちになりつつ、引き攣った笑いを浮かべたのだった。


 

 

「おっ、兄ちゃん!」

 後始末として、アルドは初めに話しかけてきた男のところへ向かった。男はアルドの晴れやかな表情を見て、いい報告であることを悟ったようで、明るくアルドに声をかけた。

「おじさん、あのさ…色々調べてみたんだけどさ。もう大丈夫だと思うよ」

「何!?本当かい!?」

「ああ。それで…一応確認なんだけど…。もしかしておじさん、今日は礼拝じゃなくって、本当は結晶塔を見にきたんじゃないのか?」

「ぎくっ!」

 男は、これ以上ないぐらいわかりやすく動揺した。

「はは…やっぱりそうなのか」

「い、いやいやいや!俺は礼拝に来たんだよ!嘘じゃないとも!そりゃあ塔だって見るさ、何しろこの塔のてっぺんには神様がだな…!」

 掴みかかる勢いで言い訳をし始める男に、アルドはどうどうと宥めさせる仕草をする。

「そ、そんなに慌てなくても大丈夫だって。オレは別に教会の関係者じゃないし、告げ口したりもしないし…」

「うう…。本当かい…?確かに俺は結晶塔が好きなんだ。遠くから見ても立派なもんじゃないか。美しくて気高くて、ここから与えられる恵みが俺たちを支えてくださっているのだと思うと何だか誇らしくなるんだよ」

「そうだな。余所者のオレが見てもすごいと思うよ」

「だろう?なあ、頼むぞ兄ちゃん、塔信仰の告発はやめてくれよ」

「大丈夫だってば。それに…」

 塔信仰者の失踪は告発が原因ではない、ということを口に出そうとしたアルドは、はっとして言い淀んだ。これは部外者が伝えていい内容ではない。

 …今や塔の守るべき秘密は失われた。ヨハンの汚れ仕事も休業なのだ。

「…いや、なんでもない。とにかく安心していいよ」

「そうか…ありがとうな、兄ちゃん!」

 男は安心した表情で立ち去っていき、アルドもやれやれと背伸びをして、その場から歩き出した。後は時間が解決してくれるはずだ、きっと。

 

 

 

 後日。「もう大丈夫だから」とアルドに伝えられ、安心し切った様子の信者の男が再び礼拝に訪れていた。

「あの時はびっくりしたが、剣士の兄ちゃんがどうにかしてくれたらしいからな。いやあ、よかった、よかった!」

 今日も外から見る結晶塔は美しく荘厳であった。内部を拝むことは出来ずとも、扉だけでも眺めてから聖堂へと向かおう…足取りも軽く教会本部の廊下を奥へと進んでゆくと、先日の再現のように向こう側から歩いてくるヨハンの姿が見えた。今日こそ挨拶を、と男は思う。

 …だが。

 

 ざわ、ざわり。

 

「…ん?」

 蠢く黒い影に気付き、男は全身を強張らせた。

 ヨハンの背後に、何かいる。

 強烈な既視感に襲われ、血の気が引く。

「ヒッ…」

 

 ざわざわ、ざわり。

 

 いる。

 まだもうちょっと未練が残っている娘の幽霊がまだ、そこにいる。

 

「ヒィーッ!全然大丈夫じゃない!やっぱりいるぅぅ!」

 アルドの言う『大丈夫』の意味を理解していなかった不幸な男は、悲鳴をあげて走り去った。

「………。」

 その場に残されたヨハンは眉根を寄せ、遠ざかる男の背を睨みつける。

「会うたびにコレを繰り返す気なのかな…?全く、疲れるなぁ…」

 …ヨハンがそう愚痴を零し、はぁーと息を吐くのと同時に、若い女の笑い声が小さく響き渡った。

 



 ────塔守さまは、今日も、つかれている。

 

 

                   完

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塔守さまはつかれている むとう貴 @mutou610

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