ナルシストな火薬

「それでは! と、元素の話に戻りましょうか」

 言いながら、ホワイトボードの左から『N、O、F』と板書する。


「最初に取り上げるのはこの三人、窒素、酸素、フッ素です。お前のものは俺のもの。他の元素からすーぐ電子を奪う暴れ者、ジャイ○ンです」

 ボード上側に大きくジャイ○ンと書き下線を引く。


「でも三者三様に違いがある。どう違うのか、見ていきましょう」

 いよいよだ、気合いを入れて。


「まず、三人の中では最も温厚な窒素。窒素を一言で言うなら『ナルシストで暴れ者』です。自分大好き、自分と結合し二窒素、N2エヌツーとなったら、もう互いを離しません。しっかり結合、手を繋ぎ合っているから、他のものに見向きもしない」

 ホワイトボードのNの上に『ナルシスト』と追記する。


「一方、自分以外と結合すると、他の元素では満足できず、不満を抱え暴れ出す。それが火薬や肥料になる訳です。この二面性が窒素の面白さだと思います。もし宇宙を設計した神なる者が存在するなら、窒素こそ第一の安全装置、第一の封印でしょう」

「何それ?」

 訝しむ黒森さんに、


「窒素は火薬の要であり、N2は空気の約八割を占めています。もし窒素がナルシストでなかったら。原料はそこらに溢れています。簡単に火薬が量産され、歴史はより悲惨なものになったでしょう」

 キ○ガイに刃物、バカとハサミは使いよう、はてさてどっちなのか……って、暗くしてどうする、明るく、軽く、面白く!


「でも、窒素はナルシストで自然界にN2を分解できるものはほとんどいない。だからつい百年くらい前まで、火薬作りは一部バクテリア頼みの、非常に時間のかかるものでした」

 そう未だに現役の、あの偉大な生成法ができるまでは、ね。


「窒素を含む石、硝石の鉱山もありますが、探すのが大変だし、掘り出すのも大変だし、掘り尽くせば終わりです」

「だから封印……」


「そういうことです黒森さん。しかも窒素は肥料、植物にとっても不可欠な栄養素です。小中学校で、作物を作ったら土を休ませることを学びました」

 それが二毛作、年二回収穫するのは二期作、の筈。


「植物に吸収され、土の中の栄養素が欠乏するからです。特に土に含まれる窒素、それを再び作れるのは一部バクテリアと豆科の植物だけ。回復にとても時間がかかるんです」

「それも封印なんですか?」

「はい櫻井さん、食料がなければ人類も増えようがありません。言わば世界人口のリミッター、まさに封印でした」

 ふぅ、何とか窒素はやり切れたか、な……


「…………という訳で、次は」

「えっ、それで終わり?」

 黒森さんが驚きの声を上げる。

「はい……?、残念ながら僕が窒素について話せるのはこれくらいです」

「でも百年前に何があってどうなったのか、知ってるんですよね?」


 ……予想以上に興味を持ってくれた、みたいな? なら化学史? の範囲だけど話しちゃおうか。せっかく興味を持ってくれたんだ。それを逃すなんて勿体ない。


「わかりました、では一気にその辺りもお話ししましょう」

 予定外だから脳内でざっと構成をまとめつつ……


「まず、中世くらいには硝石を撒くと育ちが良い、肥料になることが分かっていました。ただ硝石は火薬の原料でもある。だから農業には使われなかった。しかし、大航海時代を経て、世界中の植民地から安い硝石が大量に出回ります。ヨーロッパの農業生産は大きく向上しました」

「あれ、話終わっちゃった?」


「ところが奥原さん、そうそう旨い話はありません。当時でも一部の人たちは気づきます。もし植民地の硝石を掘り尽くしたら? それを前提とした農業は破綻し大飢饉が発生する。そうなる前に、何としてでも空気中のN2から肥料を作らなくてはいけない!、と……ちょっと燃える展開でしょう?」

「確かに」

「はいドキドキします~」


「だからその後、数多の試練を乗り越えて、一九〇六年! 遂にドイツのユダヤ人化学者ハーバーたちが、空気中のN2と水素からアンモニア(NH3)エヌエイチスリーを生成するハーバー・ボッシュ法を完成させるのです」


「あれ、火薬は?」

「はい黒森さん、まだまだ話は続きますよ。1914低いよ塹壕一次大戦、という訳で八年後、一九一四年に第一次世界大戦が始まります」

「ねぇーザンゴウって何ー?」

「あ、はい奥原さん、銃が発達すると危険すぎてもう敵に近づけません。そこで地面に体が隠れるほどの溝を、道のように掘っていきます。ついでに掘った土を溝の前に盛り上げれば塹壕の完成です」

 ボードの余白に『塹壕』と書きながら、


「特に一次大戦から本格的な塹壕戦が始まったと言われています。それが低くて頭を抱える兵士をイメージすれば、かなり覚え易い語呂合わせだと思います、よ」


 誰も反応してくれない、やっぱ女子受けはしないか……


「話を戻して、一九一四年に一次大戦が始まります。が、塹壕のおかげかどうか各国はすぐ弾薬を使い果たしてしまいます。そこで終戦になれば良かったんですが……原料がなくても、ドイツなどは肥料を作る為のアンモニアを火薬の原料に転用しました……かくて窒素の炎が世界を焼き尽くしていくのです」

「最初は肥料の為だったのに……」

「悲しいお話しです~」


 即興で話したからちょっと暗くなってしまった。TNT火薬のNが窒素のNだとか、化学肥料から爆薬が作れるとか、男子相手なら盛り上がれたかもしれないけど……

 次の酸素はお気楽な内容だし、何とか明るく挽回しよう……

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