第38話 物悲しい聖域

 想像していた神様の世界とは、美しい花畑でした。でもまったく違います。花は地に埋まっておらず漂うだけ、水の中に浮かんでいるような気がしました。


「ここが、神様の世界ですか?」


「そう。穏やかで平和な風景が延々と続く。誰かが願った世界だけど、僕はあまり好きじゃない」


 カオス様は不思議な言い方をなさいました。最高神であるカオス様はこの世界が好きではない。その上、誰かが願って作ったのですか? カオス様の前にどなたか別の神様がおられたような口振りです。


「僕が生まれ出たとき、すでに世界はあった。この世界に一人で生まれて、漂っていたからね。隅から隅まで知ってるよ」


 私の目には美しい世界に映ります。でもカオス様は長年見てこられて、飽きてしまわれたみたい。勿体ないですね。美しさは同じだと思うのですが。


「神族が地上に降りるのは、刺激が欲しいからだ。僕の花嫁になれば、いずれ君も同じように感じるんじゃないかな」


 カオス様の黒髪が波間を漂うように揺れます。ふわりと私の前に流れてきた黒髪を一房、指で摘みました。この黒髪はこの世界にない色のようです。


「昼や夜はあるのですか?」


「ないよ。ずっとこの明るさだし、神は眠る必要がないから問題ないんだ」


 眠らなくていい? すごい。たくさん時間が使えますが、もしかしたらカオス様が風景に飽きてしまったのも、毎日起きて見ていたからかも知れません。


「眠れないのですか?」


「眠ろうと思えば、眠れる。人間と違って、眠らないからって疲れたりしないだけさ」


 丁寧に教えてくれるカオス様に、私は大きく頷きました。ここを見せてくれると仰っていましたから、私に見せたい場所があるのだと思います。もっと綺麗な景色でしょうか。


「移動するよ」


 カオス様がぱちんと指を鳴らします。途端に風景が変わりました。まったく別の場所です。巨木がある景色は、茶色ばかりでした。枯れた木が並び、土の上に草もありません。寂しい風景の中央に、大きな木の幹が立っていました。葉が揺れることもなく、枝すら残っていません。


「なんて……寂しい」


 何も言わずにカオス様は巨木の前に降りました。私は滑り落ちるようにして、地面に足をつけます。固い土は乾燥して、長らく雨が降っていないように感じました。ここには生きたものの気配がないのです。草木も動物も神様も、誰も寄り付かない場所――やっぱり寂しい。


 巨木に歩み寄り、そっと手のひらを当てました。地上の木々の瑞々しさはなくて、まるで死んでしまったかのよう。さらに近づいて、誘われるように耳を押し当てました。何も聞こえません。分かっていたのに、何故だか悔しくて、悲しくて……。


 お願い、水の音を聴かせて。私に応えて。


 後ろで見守るカオス様のことを忘れるほど、私は夢中になっていました。この地が枯れていることが、とても悲しいのです。ぽろりと溢れた涙が、頬を寄せた大木に吸い込まれていきました。

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