第37話 意地悪な女神様

 手入れのための侍女も入れないのに、埃ひとつない部屋の長椅子に腰掛けました。猫足の家具はお洒落で可愛いのですが、耐久性という意味ではどうなのでしょう。平民が使わないのは高いからか、耐久性の問題があるからか。気になっています。


 重厚感がある黒檀の肘置きは、鏡のように磨かれていました。お化粧された自分の顔を確認していると、肩に手が触れます。びくりと肩が揺れますが、この部屋に入れるのは神様だけ。微笑みを浮かべて顔を上げると……こちらの方は、どなたでしょう?


 初めてお見かけする方ですが、制約に引っ掛からないなら神様のお一人でしょうか。この国を含め、すべての国は多神教です。多くの神様がおられ、国によって祀る度合いが違うと聞きました。我が国はカオス様の主神殿があるので、カオス様が最上位になります。


「あの……」


「うん。カオス様って変わった趣味してるわね」


 お声がけしようか迷う私をじっくり確認し、名も知らぬ女神様は吐き捨てました。そう、好意的な印象のお言葉ではありません。私を馬鹿にしたような言い方をなさいます。でも神様のお一人なら、無礼な対応は出来ません。何も言わずに我慢しました。


「こんなガキのどこがいいのよ」


 きゅっと唇を引き結び、でも顔を下げたりしません。だって、私のことをカオス様は可愛いと仰いました。それが欲目であっても、私はカオス様のお言葉を信じます。他の神様に「醜い」と言われても関係ありません。なのに、少し怖いと思いました。


 一度怖いと思うと、この方の動きひとつでもビクビクしてしまいます。


「……ふーん。馬鹿じゃないのね」


 呆れたような口ぶり、やっぱり私を嫌っておられるようです。心の中で必死に呼びかけました。カオス様、怖い。早く来て。私を抱き締めてください。


「馬鹿はお前だ、下級神の分際でオレの聖女に手を出すか」


 温かい腕に包まれて、いきなりなのに不安が吹き飛びました。恐怖ももうありません。心の隅まで百合の香りを纏ったカオス様が広がって、私の中を埋め尽くしました。潤んだ目で見上げたカオス様は、少し厳しいお顔です。


「大丈夫かい? ごめんね、少し待たせてしまった」


「いいえ」


 姿勢を正して座り直した私を、カオス様は当然のように膝に乗せました。もう子どもではありませんの、淑女でしてよ? 抗議してもさらりと流されてしまいます。


「さっきの女神様は?」


「ん? 数年は帰ってこられない地下に埋めた」


 さらりと恐ろしい冗談を仰るのですね。優しいカオス様がそのような行為をなさる筈がないのですから、私はくすっと笑っていました。


「冗談じゃないけど……まあいいか」


 小さなカオス様の呟きは聞き損ねてしまったようです。首をかしげて尋ねてもカオス様は「なんでもない」と教えてくださいません。


「レティ、今日は正装だね」


「はい! 白いドレスはお父様のプレゼントです。お母様にも百合のブローチを正式に譲っていただきましたし、この百合のお飾りは一式新しく用意しました」


 嬉しくて自慢したら、カオス様は「今度は僕からもドレスを贈るね」と仰いました。婚約者にドレスを贈るのは、人間なら普通ですが……神様にもそういった作法があるのでしょうか。きっとカオス様なら、素敵なドレスをくださるのでしょう。わくわくします。


「楽しみにしています」


「うん。レティを飾りたてるのは僕の権利だからね」


 義務じゃないよ。そう付け足したカオス様は、いつも通りお茶の準備を始められました。何度か私が用意すると言ったのですが、火傷をすると困るそうです。まだ幼いので信用できないのでしょうね。本当はお茶を淹れるのも得意なのですよ? 前世の話ですけれど。王宮で侍女にも無視されたことがありまして、自分で出来るように練習しました。


「わざわざレティに正装してもらったのは、君が将来暮らす世界を見て回ろうと思ってね。折角だから僕の白百合を纏ったレティを連れて行きたかったんだ」


「まあ」


 仰ってくだされば、ちゃんと正装しますわ。こんな手の込んだ方法でこっそり準備なさるなんて、カオス様は楽しい方ですね。抱き上げられて、強い光に目を閉じて開いたら……そこは別世界でした。

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