第35話 王妃ではなく母として(SIDE王妃)
*****SIDE 王妃
大切に育ててきた息子だった。たった1人の我が子は賢く、教育を担当する者達の評判も良かった。だから安心してしまったのでしょう。
勉学も言語も天才と褒め称えられ、まだ未成熟な体で剣を振るう勇ましい姿が、我が子ながら誇らしい。この国を背負って立つ立場を理解し、王太子として振舞う礼儀正しいリュシアンに安堵しました。私は間違っていない、そう思っていたのです。
ラ・フォンテーヌの公爵のご令嬢と婚約したいと申し出があった時も、反対しませんでした。家柄は古く申し分なく、父親のジャン=クリストフも素行に問題はない。その上、奥方が近々次の子を産むと聞いていました。ならば長女が跡を継ぐ必要はなく、王家との繋がりを公爵家は喜ぶだろう。疑いもなくそう考えました。
出来のいい我が子を拒むご令嬢がいる筈がない。外見の整った配偶者を娶るため、王侯貴族は見た目に優れた者が生まれます。その中でも際立った美しさを持つリュシアンは、まだ8歳ながら見惚れる姿の子どもでした。
金髪碧眼と言いますが、父母の特徴を備えた完璧な外見と王家特有の少し傲慢さの滲む表情。この子に「結婚しよう」と言われて、断るご令嬢が想像できなかった。親の欲目と言いますが、私は盲目だったのでしょう。
婚約の申し出書類を渡した公爵家から返答が来ないことに、リュシアンは自ら足を運びました。公爵ご令嬢レティシアが体調を崩したと聞いたため、見舞いだと言って。花束も用意させた我が子を、どうして止めなかったのか。いえ、あの場面で今の状況を想像は出来ません。
ただ、母親である私が同行すればよかった。
ラ・フォンテーヌ公爵から聞いたのは、初めて会った日の話でした。未婚のご令嬢の寝室に入り、彼女の名を呼び捨てにした下りでは、卒倒したくなりましたわ。だって、あり得ない無作法なのです。年齢は関係ありません。たとえ姫が赤子であったとしても、貴族ご令嬢の私室に家族や使用人以外の異性が入るなんて。想像しただけでぞっとしました。
熱が下がったばかりのレティシア嬢は、さぞ驚いたでしょう。取り乱して父親やばあやの影に隠れたと聞いた時は、申し訳なさでいっぱいでした。婚約者になっていないのに、まるで自分の所有物に対するように他家のご令嬢を扱ったなんて。
レティシア嬢が泣き叫んだのも無理ない暴挙でした。その上、カオス様の主神殿に向かったご令嬢を追いかけたと言うではありませんか。知らないでは済まないのです。私は申し訳なさに、公爵の顔が見られませんでした。
神殿に降臨なさったカオス様は、聖女となるレティシア嬢を定められた。そのことに異を唱えた以上、あの子がこの国の王になる未来は閉ざされました。王家自体が断罪の対象になるのは……仕方ありません。ご先祖様に申し訳ないとは思いますけれど。
平民に下ろされた私達の生活は厳しくなります。財産の持ち出しは許されませんでした。公爵は身の回りの小物の持ち出しを許可してくださいました。これが最後の恩情なのです。カオス様の逆鱗に触れない範囲で、彼は譲歩と施しをしてくれたのでしょう。
身の回りと称することが可能な宝石箱や衣服を運び出しながら、私は住み慣れた城を見て回りました。隣の夫は抜け殻のようになり、まるで生きた人形のようです。精力的に頑張ってきた過去を否定された気持ちなのかしら。穏やかな言葉を掛けながら、明日からは縁が切れる王宮をゆっくり散策しました。
さあ、気持ちを切り替え頑張って生きていきましょう。どのような未来が待っていようと、私はリュシアンを見捨てはしません。あの子の罪は私の罪――カオス様のお許しが頂ける日まで、厳しいお言葉の裏に隠された優しさを武器に、私は我が子を守り抜かなくてはならないのですから。
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