第34話 お母様を助けたいのです
幼い弟は、いつもお母様の肖像画を眺めていた気がします。不憫に思ったお父様はお母様の部屋を片付けず、ずっと残されていました。お母様のベッドに潜って泣く弟を見つけたとき、私は何も声を掛けられませんでした。だって、何を言ったらいいのでしょう。
自分が生まれたせいでお母様が亡くなった。あの子はそう思っていたのですから。お父様や私が何度言い聞かせても、あの子はその考えを頑なに曲げませんでした。誰かに刷り込まれてしまったのか。今となっては分かりません。ただ、声を殺して泣き続けるあの子に……私は救いを与えられなかったのは確かでした。
神様の妻となることが確定した聖女――私が願うのは、愛する弟やお父様が泣かずに済む世界。お母様が死なずに生き続けること。
「お母様を治す薬を教えてください」
何か代償が必要なら、私がすべて支払います。この身も魂も自由にしていただいて構いません。ですからお母様を助けてください。お父様や弟が悲しまないように、救いの手を差し伸べてください。祈りの手を組んで、私はただ願いを口にしました。
神様に祈ることはあっても、直接お願いを話したことはありません。緊張する私の黒髪に、カオス様の接吻けが落ちてきました。1回、2回、3回……ぎゅっと瞑った目を開いて、恐る恐る見上げた私は赤面しました。整った顔立ちの殿方が満面の笑みを浮かべています。照れない方が嘘です。
「やっと言ってくれた。いつ僕に願ってくれるか、待ってたんだよ」
驚きました。だって、神様が願い事を叶えてくださる確率は低くて……それこそ奇跡と呼ばれるほど珍しいことなのです。カオス様は「待っていた」と仰いましたわ。私がこのお願いを口にするのを、ずっとご存じだったようですわ。
「なぜ」
「レティの不幸の連鎖は、母親の死亡から始まるからさ。ここでもつれた糸を解かないと、どれだけ努力しても不幸な結末に終わってしまう」
不思議な言い回しですね。すべてをお見通しの神様故でしょうか。
「レティがようやく口にしてくれたんだ。僕は惜しみなくレティの家族に力を振るうことが出来る」
神殿が発行する教典の一文を思いだしました。願われない思いは、どれほど強くても神様の御心を動かすことはない……と。あれは祈りを捧げないと、強い思いも届かないという意味です。もしかしたら神様が人間に関与するのに、何らかの制約があるのでしょうか。
神殿で人々が神様に、様々なお願いをします。祈りを捧げ、自分達の幸せを願い、大切な人への思いを語る。あの行為に意味があったと、神様ご自身が肯定なさいました。神殿で祈るたくさんの人の姿を思い浮かべ、私は満たされた気持ちに包まれました。
「ありがとうございます」
「少し眠るといいよ、レティはまだ6歳の子供なんだから」
カオス様の手が目の上に重ねられ、急激に重くなった目蓋に逆らうことなく目を閉じました。
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