第19話 お父様も欲しかったのですね

 お母様とお昼寝をして、少し肌寒くなる午後に屋敷へ戻りました。刺繍のお稽古をしておいた方がいいかしら。迷う私をお父様が抱き上げました。


「可愛いレティ、時間を少しもらえるかい?」


「はい」


 何かあったのでしょうか。お父様の表情が硬い気がします。先ほどまで来客があったので、真剣なお話の後で疲れているのでしょうか。お父様は私を抱っこしたまま移動し、椅子に腰掛けました。執務室にあるこの革張りの椅子は大きくて、私が一緒に座っても平気です。よく弟も抱っこしてもらっていました。


「怖くなったら、すぐに言っておくれ」


 怖いお話ですか。きょとんとしながら頷くと、お父様は安心したように微笑みました。こちらの柔らかいお顔の方が、お父様らしいです。仕事で険しい顔をするのも分かりますが、家族の前では笑ってくださるよう私も心を砕こうと思いました。お父様やお母様の笑顔は幸せになれますから。


「刺繍のハンカチをアドリーヌに渡したそうだね」


 思っていたお話と違うようです。難しいお話か怖いお話だと思ったのですが? こてりと首を傾げた私の返事を待つお父様に頷きました。


「お母様と交換しましたわ」


「私とも交換しようか」


「……刺繍したハンカチ、でしょうか」


 まだ練習中なのです。お母様にも申し上げましたが、もっと上手になってから受け取って欲しいのが本音でした。真剣な顔で詰め寄るお父様にそう言いづらくて、私は先ほど自室から持ってきたハンカチを取り出します。練習用に自分のイニシャルを入れたハンカチは、やはり少し歪んでいました。


「練習を始めたばかりなのです。本当はもっと上手ですのよ! えっと……どうぞ」


 期待に満ちた目で待つお父様に差し出します。代わりに花柄が入った美しいレースのハンカチをいただきました。お父様、これは交換ではなくプレゼントですわ。王室御用達のお店のハンカチと交換するには、私の刺繍の拙さが申し訳なく感じました。追加が必要ですね。


 お膝の上に座る私は身を乗り出して、お父様の顎に手を触れます。刺繍を嬉しそうに見つめるお父様がこちらを向いたところで、頬に唇を押し当てました。


「っ、私達の天使からの祝福だね」


 お父様ったら、既婚者なのにそんな甘い言葉を吐いていたら、周囲に誤解されます。娘の私とお母様に留めてくださいね。照れながら頂いたハンカチを広げてみました。刺繍はほぼなく、美しいレースは百合の透かしになっています。カオス様のお花ですね。白いレースなので白百合ですし、中央の絹も白百合の絵が描かれていました。


 淡いピンクの地にも模様織がある、とても素敵なハンカチです。元通りに畳んで胸元に抱きしめました。


「ありがとうございます、お父様。大切にしますね」


「ああ。カオス様と婚約したレティにぴったりの柄を用意させたんだよ」


 あら、既製品ではなく注文でした。百合は薔薇と並んで人気の柄なので、既製品だと思い込んでいましたが……お父様が私を思って注文してくださった。使えないくらい大切です。


「ここから難しいお話だ」


「どうぞ」


 やっぱり何かあったのですね。

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