第18話 守る力をください

 お母様と一緒にパンを食べます。柔らかなパンに野菜と肉を乗せて、落とさないように注意したのに、反対側からソースを垂らしてしまいました。手を伝うソースに気を取られていたら、お母様が慌てます。


「あっ、レティ」


 ぽろっとパンから肉が落ちていきます。慌てすぎて、パンの端に口をつけて肉を齧ります。落とさずに済んだのですが、頬や口周りがソースで汚れました。前世でもこんなお転婆した覚えはありません。お母様はお皿にパンを置いて、私の頬をハンカチで拭ってくれました。


「うふふ、こうしてると聖女様というより、私達の小さな天使ね」


「私はずっとお母様とお父様の娘ですわ」


 お母様の目が潤んだのは見ないフリです。中身は大人ですもの。ちょっとパンを両側から齧ったりしましたけど、大人ですからね。私の顔を拭いたハンカチは汚れましたので、代わりに私のハンカチをお渡ししました。


「この刺繍はレティが?」


 小さく頷きます。前はもっと上手でした。でも手が慣れていないので、イニシャルだけで精一杯。糸を引っ張ったせいか、少し生地が歪んでいます。普段使いだからいいと思ったのですが、お母様に手渡すなんて失敗しましたね。もっと上手になってから見ていただきたかったわ。


「レティ、お願いがあるの」


「なぁに? お母様」


「このハンカチを交換して頂戴」


「……それは練習なので、別のを差し上げます」


 遠回しに嫌だと言ったのに、お母様はにっこり笑って話を逸らしてしまいました。


「そう、新しいハンカチも貰えるのね。楽しみにしているわ」


 ダメです! そう言いたいのに、お母様があんまりに嬉しそうに笑うので、言えなくなりました。だって、思い出したのです。前世では私が刺繍を習う前にお母様は儚くなりました。お渡ししたことも、刺繍を見ていただいたこともありません。


「本当はもっと上手なんです」


 今度は私が泣きそうで、強がるように可愛くない物言いをしました。つんと唇を尖らせて横を向く私は、涙を零さないために顎を逸らします。


「ええ。もちろん分かってるわ。私はあなたのどんな成長過程も、手元に置いておきたいのよ」


 嫌な思い出が過りました。お母様が亡くなって、王太子と婚約しなくてはならなくなり、弟の教育にかかりっきりのお父様に我が侭は言えなくて……すべてを飲み込んだ日々。辛くても泣くことも出来ず、努力して最後に――。


 感情が溢れて、何も言えなくなって、お母様のお膝に飛びつきました。食器がひっくり返る音がして、ばあやが「あら、まだ甘えん坊でしたね」と笑って片付けます。お母様の大きくなったお腹の上に顔を埋めて、溢れる涙を全て染み込ませました。


「可愛いレティ、私達はいつまでも親なの。あなたを守りたいし、大切に思ってるわ。愛してる、だから怖い時は泣いていいのよ」


 あの頃の私は、味方がいないと思い込んでいた。でもお父様もいたし、可愛い弟だっていたじゃない。王妃様も気にかけて可愛がってくれたわ。私が勝手に思い込んでいただけ。


 一度すべてを失ったから、もう二度と失わないように努力します。幸せになる私を見守ってほしいから、お父様もお母様も、生まれてくる弟も……守れる力が欲しいと、心の底からそう願いました。

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