第11話 婚約はお断りしよう

 お父様は我が侭な娘だと思ったでしょうか。王族と結婚、しかも将来の王妃となる道を拒絶する娘を、貴族令嬢に相応しくないと叱るかも知れません。両手で拳を握った私の指先は冷えていました。恐ろしいのです。お父様に嫌われるなら、私は未来の記憶の通りに死んだ方がよいとさえ。


「ならば婚約の話はお断りしよう」


 驚いて顔を上げると、眦に滲んだ涙をお父様の指が拭ってくださいました。温かくて大きな手はその後、私の頭を優しく撫でます。


「お父様っ、私」


「構わない。レティが幸せになれない結婚なんて、価値がないからね」


 本当に? 不安そうな目をしていたのでしょう。お父様は笑って立ち上がり、目蓋にキスをします。温かくて嬉しくて、涙が零れました。過去であり未来の記憶を話せないのに、私の不安を察してくれる。あの途切れた記憶の先で、お父様や弟が不幸になっていませんように。


 目を閉じて祈り、私はひとつ大きく深呼吸しました。吸い込んだ空気を吐き出し、お父様に微笑みます。また婚約して殺される未来は、ここで変わったのでしょう。もう不安はありません。すぐは無理ですが、いずれは王太子殿下にお会いしても震えなくて済むように頑張ります。


「さあ、レティの冒険は王太子殿下にお会いしたところで終わりかい?」


 促してくれる父に背を押されるように、私は出会った黒髪の高貴な雰囲気の方の話をしました。よろけた私を抱きとめた紳士が「レティ」と呼んだことを話すと、お父様は目を瞬きました。心当たりはなさそうです。


「約束通り迎えに来たよと仰ってましたわ。あと、今夜会いに来るそうです」


「今夜?」


「はい」


 関係ないかもしれませんが、神殿の方が何かを囁いたら、王太子殿下が彼に対して一歩引いた態度を取った話も付け加えました。するとお父様が引き出しや本棚を探し、1枚の絵姿を大切そうに広げます。そこに描かれていたのは、あの紳士でした。白い肌と長い黒髪、優しい眼差し――そっくりです。


「お父様のお知り合いでしたのね」


「もう一度よくみて。本当にこの方だった?」


 お父様が念押しなさるなんて珍しい。言われた通り確認しますが、神像に似たお姿は間違いありません。


「この方ですわ、お名前をカオス様と……神様と同じお名前だなんて珍し「本当に、そう名乗った?」」


 お父様が被せて話されることは、記憶にない珍事です。驚いて口元を手で覆い、じっとお父様の瞳を見つめました。私と同じ緑の瞳に浮かんでいるのは、驚きでしょうか。


「はい」


 しっかりと返事をして待ちます。思わず顔を近づけていたお父様が、ソファに力なく腰を落としました。お話ししてはいけない方だったのかしら。でもお父様の知り合いで、私の愛称をご存知なら親しい方でしょう? 首をかしげて見つめる私に、お父様は緊張した面持ちでぎこちなく笑顔を作りました。


「これから話す内容をよく覚えて、いいね? 絶対に粗相がないようにお迎えするんだ」


 お父様が告げたお話を頷きながら復唱し、私は大急ぎでばあやや専属の侍女の元へ向かう。お茶の時間は切り上げました。準備に必要と言われた物をすべて揃えなくては! 時間が足りませんわ。

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