第四章 破片


 

                  1

 当日。日が沈んで間もない頃。冠礼を迎える少年達は、犀融宮の前で待機していた。白装束に身を包んだ集団が居る様子は、正直見ていてあまり気持ちの良いものではない。その場にいるほぼ全員が、緊張した面持ちであった。おまけに天候は悪く、黒雲が空に覆いかぶさり、星は全く見られなかった。気候の悪さも相俟って、場にはどことなく張り詰めた空気が漂っていた。

 待機している最中、昭は、ひたすら少女のことを考えていた。冠礼自体よりも、そちらの方がどちらかと言えば重要であったからだ。しかし、冠礼を切り抜けないことには、確実に彼女と合流することは不可能だ。

 しかし、この出入り口のない隔壁からどうやって出て行くんだ。

 昭は左方に広がる、身の丈の数倍は下らない高さを持つ堅牢な隔壁を見ながら、ふと考えた。出入り口と思われる場所は一切無い上に、姫氏による結界が貼られているので、出て行くことは出来ないように思われた。

 取り敢えず、乗り越えるぞ。

 昭は決心した。

「なんか、緊張するな」

 そう小声で言う嬴冄の肩にはかなり力が入っていた。昭は嬴冄の肩を掴んだ。嬴冄は驚いたように振り向く。

「大丈夫だ。俺達はきっと、乗り越えられる」

 そう言いながらも、昭は内心怯えていた。これは、嬴冄にではなく、自分自身に言い聞かせている言葉であるとも言える。

 昭はふと気になって、娰勧の方を見やった。彼とは、あの日からわずかしか言葉を交わしていない。態と互いを避けているというのもあった。娰勧は少し離れた場所に立ち、何やら物思いにふけっているようだった。

 娰勧の大きな目がこちらを見やった。二人の間に鋭い稲妻のようなものが走る。はっとしたような顔をし、彼は慌てて目を逸らした。

 気にするな、もとはと言えば彼奴が蒔いた種だ。

 昭は自分自身にそう言い聞かせ、再び前を向いた。

「昭、どうかしたのか」

 嬴冄が不思議そうな顔で聞いてきた。

「いや、何でもねえ」

「本当か?なんか顔が強張ってるぞ」

 昭は慌てて笑みを浮かべた。

「大丈夫だから」

 嬴冄は怪訝そうな顔で昭を見た。

「ふーん、ならいいけど」

 こうしている間にも、時間は刻一刻と迫る。雨がぽつぽつと降り、白装束を水玉模様に濡らしていった。

 そういえば、姚向はどうしているのだろう。

 昭は白装束の群れの中に、姚向の姿を探した。姫氏と婚姻したといっても、冠礼の日にはこの場に居るはずである、と考えたからだ。

 しかし、いくら周囲を見渡しても、姚向の姿は見当たらなかった。姜永の姿はあったのだが、その隣はぽっかりと穴が開いたように誰もいなかったのだ。

 やはり、彼奴は冠礼には参加しないのだろうか。

 昭は姜永の隣の空間をじっと見つめていた。姫周を出てしまったら、恐らく二度と姚向と会うことはないだろう。だが、不思議とこれという感慨は湧かなかった。既に心中に姚向に対する諦念のような物が形成されていたからかもしれない。昭はすぐさま前に視線を戻した。

 犀融宮の扉は小さい。一度に中に入ることの出来る人数が限られているからなのかもしれないが、その小さい癖に何処か重みを感じさせる様子は、人が中に入るのを拒んでいるようにも見えた。

 途轍もなく長く時間が引き延ばされたように、昭は感じていた。日々の訓練で忙しなく動き回っていることはあれど、こうして長い間待たされる経験は羌との戦闘以外で味わったことがなかった。このような時は、頭がぼうっとして霞がかかるようになる。この感覚が昭はあまり好きではなかった。

 昭はふと気になって、嬀智と同じ一族の少年―嬀藍を探した。あの日から彼とは同じ集団に振り分けられることはなく、別行動になることが殆どだった。ふと振り向いてみると、嬀藍は娰勧の隣にいて、小声で何か話していた。昭は飛び上がりそうになった。全く気づかない内に、彼は昭のすぐ後ろにまで来ていたのだった。

 彼は解き放たれたように見えた。顔も初めて会った時よりは肉がついて明るくなり、身から滲み出ていた卑屈さが無くなっている。嬀智の死によって、彼自身の中にあったしがらみが無くなったのかもしれない。しかし、昭にはそれが何か不吉なものであるように思えた。

 奇妙な胸のざわめきを起こさせる何か。

 それを読み取ったのか、周囲の者たちも、彼を遠巻きに見ているような感じがあった。娰勧だけが変わらずに彼と接しているようだったが。

 嬀智の死と同時に起こった燦の死。これは奇妙ではあるが、果たして互いに全くの無関係なのだろうか。昭は気になって、嬀藍に話しかけに行くことにした。

 昭が近づくと、嬀藍は目を見開いた。横の娰勧が彼に一言声をかけて去っていき、昭は彼と二人きりの状態になる。

「なんだよ」

 嬀藍はこちらを怪しむような眼で見てきた。

「久しぶり。お前とちょっと話してえことがあってよ、時間かかるかも知れねえけど」

 嬀藍は目を見開く。

「もしかして、智のことか?」

「半分はその事だな。嬀藍、嬀智が死んだ日と同日に、嬀燦という、俺の弟が亡くなった事は知っているか」

「知らないな」

 昭は信じられなかった。てっきり燦が死んだことは、全土に伝わっているものであると感じていたからだ。昭の考えを察したのか、嬀藍は呆れたように目を逸らした。

「一人の平民、ましてや名家の出身でもない男一人が死んだところで、何も影響はないからな、おかしい事は何もない」

 怒り狂った昭は衝動的に嬀藍の胸ぐらを掴んだ。

「なんだその言いぐさは」

 昭の剣幕に対しても、嬀藍は相変わらず無表情を貫き、怯えていなかった。

 昭を見た娰勧が、すぐさま止めに入る。小さく鋭い声で彼は言った。

「何してるんだ、神聖な場の空気を乱すな」

 娰勧は昭と嬀藍の顔を交互に見つめた。娰勧に気おされて、二人は固く口を結ぶ。

「絶えず貞人の目があると思いな。ここは犀融宮の外だけれども、今日は事情が違う」

「分かった」

 昭は渋々ながら答えた。安堵したように娰勧は去っていく。

 振り向きざまに見えた彼の目が、悲しみを帯びているような気がした。





                   2

 そうしているうちに、貞人の姫栢が犀融宮の扉から姿を現した。彼は昭達以上に丈の長い白装束を着ており、それは床を引きずらんばかりであった。

「そろそろ冠礼を始めようと思う」

 厳めしい表情をした仮面の奥から声が聞こえてきた。昭は身が引き締まるような思いをした。

「まず、割り当てられた班に分かれ、呼ばれた順に中に入ること。それから、中の床に書かれている升目に沿って座ること。尚、犀融宮の中に入ったら、私が言うことは遵守する。いいな?」

 少年達は一斉にこくり、と頷いた。

「それでは、まず、姜永の班から中に入れ」

 姜永はすっと立ち上がり、他の者たちを引き連れるように先行し、中に入っていった。

 彼奴に姚向について聞いておくべきだったかな。

 昭の頭に後悔の念がよぎったが、それはすぐに消えた。その内、すぐに昭達の順番がやってきた。

「嬀昭の班、中に入れ」

 昭は立ち上がった。名前を呼ばれた者が先頭になって入る決まりになっているので、昭は班の仲間に目で合図して、自身の後ろに並ぶよう促した。

 前を見ると、目に入ってくるのは開かれた扉の先にある闇だった。昭は夢を見ることこそ無くなったものの、この闇を見ると心底寒気がするのであった。

 この闇に打ち勝たなければ。

 昭は拳を固く握り締め、中へと入っていった。後ろにぞろぞろと続く足音だけが、心の支えとなる。

 中へと進むと、前方に式場が見えてきた。脇には一対の松明が掲げられており、中心にある空間を不吉に照らし出している。

 まるで夢の中にいる様だ、と昭は思った。

 毎日の予行練習をこなすも、この空気には慣れない。この場自体が、人を拒んでいるのだ。得体の知れない大きな存在が、成人を迎えようとする少年達を待ち構え、生命を奪おうとしている。

 姫栢は少し前―最後の予行練習の日、こう言っていた。

 ―予行練習では、私の張っている内部結界のお陰で、其方らは怪我を負わず、また生命を奪われずに済んだ。しかし、当日は訳が違う。己で己の身を守らねば、其方らに未来はない。

 その場では皆何も言わなかったものの、練習後少年達の間には反論の嵐が巻き起こっていた。

 どうしてそれを最後の日まで言わなかったのか。

 内部結界が無くなったことによって、冠礼にどの様な影響が及ぼされるのか。

 理由の説明を求めようにも、名家の出身でない限り、姫栢は質問を受け付けないことが分かっていたから、殆どの者が諦めていた。

 融軍に属している者に頼るほかない平民の少年達はそれ程気持ちに変化はなかったが、彼らを間接的に守護する義務のある融軍の少年達は苦悩していた。班の中を占める融軍兵の割合が低ければ低いほど、冠礼で生き残る確率が低くなることは目に見えて分かっていたからだ。

 中には、冠礼を辞退するように求める融軍兵もいた。

 男性全員が冠礼に参加しているわけではない。自ら辞退を申し出た者や体を動かすのに生まれながらに差支えがある者、そして白痴の者は、冠礼に参加しなくても良いことになっていた。しかし、その様な者たちは一生に渡って、姫周の成人が手にする権利を掌握することが出来ない―つまりは結婚することもないし、通貨である宝貝を所持することも許されない。

 その結果、平民の少年達は辞退することを拒んだ。今回の融軍兵は渋々ながらそれを許したそうだが、過去には辞退を拒まれたことに激昂した兵が、平民の少年を斬り殺すという痛ましい事件が起こったこともあったそうだ。

 でも、俺は全員に生き残ってほしい。

 昭はそう考えていた。昭の班の少年達は、彼が不得手なことを補ってくれることが多かったのだ。昭は始めこそ不安な感情を抱いていたものの、彼らの働きを見て、考えを変えたのだった。

 特に娰勧と嬴冄の働きは目覚ましかった。娰勧は策略を以て相手方を欺き、嬴冄は昭と良く息の合った動きをしてくれた。

 多少不得手なことがある方が、周りはそれを補ってくれる。

 昭は毎日の予行練習を通じてそれを実感したのだった。姚向のように完璧な頭になるのには無理があるのは目に見えている。ならば周りに頼る頭になることも良いのではないかと思えてきた。

 その結果、彼らの班は優秀な成績を修めることが多くなり、他の班から多少なりとも注目を浴びるようになっていった。融軍兵が一人しかいないのに、なぜ融軍兵が多くを占める班と互角に戦えているのかが、彼らにとっては不可解なようだった。

 それは、運のお陰である、と昭は考えていた。

 勝ち抜くためには、それぞれの班員の能力の釣り合いが重要である。場を仕切るのが得意な者ばかりや、指示に従って動く者ばかりの集団では、上手く連携することは難しくなるのだ。しかし、占によって無作為に振り分けられた班では、当然能力の偏りが出てきやすくなり、統率がうまく取れないことが多い。その為、このような釣り合いの取れている人員がそろったこと事態が運による奇跡といえた。

 俺は、運がいい。

 そう考えると、顔に笑みが浮かびそうになる。しかし、昭はそれをぎりぎりのところで堪えた。

 更に前方に進むと、彼らが座る空間の横に、一人の侍童が立っていた。彼(もしかしたら彼女だろうか)は、牙の生えた厳めしい顔をした仮面を身に着け、左手ですっと空間を指し示した。その白くか細い腕は、冬の葉を落とした状態の枝を連想させた。

 昭は線を引いて作られた、その長細い四角の空間の中に足を踏み入れる。踏むたびに鳴る床のぎしぎしとした音が、妙に耳の奥に響いた。

 少年達が息をする音と、床を踏み鳴らす音、そして、やけに早い心臓の鼓動のみが耳に聞こえていた。松明の赤々とした炎が、少年達の顔にはっきりとした陰影を作り出す。

 四角の一番端に辿り着いた昭は、音を立てないようにすっと腰を据えた。融軍でやる、前で膝を抱え込む抱膝と呼ばれる座り方をする。

 他の班員達も、同様の座り方をした。

 こればかりは、俺が叩き込んだおかげだな。

 昭は、そう思って安堵した。座り方というのは、幼い頃から習慣づけられることが多く、一旦癖づくとなかなか治らないものだ。現に、嬴冄や娰慧などは胡坐をかくことしかしてこなかったため、抱膝を日常的に行うことに苦労していた。しかし、彼らは何とか癖づけることに成功し、今日に至る。これで何とか第一関門は突破することが出来たのだった。

 少し前方に、また別の班が足を踏み入れた。右目の横に大きな黒子のある少年が先頭を歩いている。彼が座ると同時に、他の班員も腰を据えようとした。しかし、その内の一人が胡坐をかこうとしたらしく、隣の少年に膝が勢い良く当たり、その少年が短く声を上げてしまった。

「あっ」

 その一言だけで、すぐさま侍童がその少年のもとに駆け寄り、少年は犀融宮の外へと強制的に連れ出されることとなった。少年はこの後、然るべき処置を受けることになる。

 嬴冄が唾をのみ込む音が微かに聞こえた。彼が震えている様子が、こちらにまで伝わってくる。

 そりゃ、怖いよな。俺だって怖い。

 少しでも声を上げてしまえば、成人することはできない。崖から落ちるぎりぎりの場所を歩いているようなこの感覚。しかし、崖から落ちるわけにはいかない。

 昭は反射的に、嬴冄の背中に手を当てていた。

 これぐらいなら、禁止されていなかったし、大丈夫なはずだ。

 そう思い、昭はそれを実行した。すると、嬴冄も恐る恐る背中に手を回してきた。少しづつではあるが、心臓の鼓動が緩やかなものになっていくのを感じる。暫くして、侍童の足音が近づいてきたのを確かめて、二人とも手をもとの位置に戻した。

 有難うな、嬴冄。

 昭は心の中でそう呟いた。

 全員が着席した結果、声を上げて退場することになったのはただ一人のみであった。他人であれど、退場の事態に追い込まれるのを見るのはあまり気持ちの良いものではないので、かなりの者が安堵していたことだろう。

「それでは、次に甲骨占卜を行う。呼ばれた班から順に前に出ること」

 それを聞いて、かなりの者が内心驚愕していたに違いない。何故なら、甲骨占卜が予行中に行われることはなかったからだ。甲骨占卜こうこつせんぼくとは、融を必要としない占の方法である。骨を炙り、表面に卜兆と呼ばれる「卜」の形をした溝が出れば、吉ということになるのであった。占としては簡単な部類に含まれるので、これは次の儀式を行う際の順番を決めるための物だろう、と昭は考えていた。

「先ずは、姜永の班」

 姫栢がそう言うと、後ろから大きな衣擦れの音が聞こえた。

 姜永を始めとする数人の者達は、ぞろぞろと壇上に上がっていく。

 全員が整列し終わると、姫栢は姜永に薄くて大きなものを渡した。大鹿の骨だ。

 姜永達の前には、四角い形に組まれた薪が置いてある。姫栢が何やらぶつぶつ唱えながら手をかざすと、すぐさま大きな炎が点けられた。

「始め」

 そう言うと、姜永は燃え盛る炎の上に骨を翳した。しかし、暫く経っても卜兆は出ないらしく、彼は困惑した顔つきをしていた。この場では声を発することが許されないため、目で訴えかける以外に成す術がない。姜永は必死に姫栢の顔を見つめていた。

 姫栢は姜永が握り締めている骨を見やった。暫くすると、徐に姜永の手から骨を取り上げる。

「何も出なかったか。これは後攻だな」

 そう言って、姫栢は壇上に登っていない班の方を向き、骨を見せびらかした。

「この様に、何も出なかった場合は、対戦相手を選ぶ優先順位が低くなる。これからお前たちを二つの塊に分けるから、姜永の班と同じ方に振り分けられた方から、前に出てこい」

 如何せん、手際が悪すぎるのではないかと、昭は感じた。いくら普段の予行と当日が異なるものだとは言え、ここまで説明がぐだぐだであると、こちらもやりにくい。

 しかし、何が何でも反論するわけにはいかないのが辛かった。

 昭達の班は結果的に、卜兆が出たことで姜永達とは別の方に振り分けられ、相手を二番目に指名する権利を持った。これは姜永達と対戦する可能性がある、ということである。

 しかし、昭はそれ程彼ら自身に対して不安を抱いていなかった。恐怖があるとすれば、彼らに取りついていた、青い光を放つ得体の知れない存在だ。本当の所は分からないが、昭は何と無く、あれの正体は蚩属ではないか、と考えていた。

 対戦の舞台は、恐らく姫周のある世界とは別の場所に位置すると言っていい。予想外のことが頻繫に起こる。これは姫周の民の理解の範疇を超えていると言っても過言ではなかった。

 過去に、少女の声は昭にこう言ったことがあった。

 ―貴方は蚩界に入ることがあるかも知れないわ。

 ある日の予行の最中に頭に入って来たその言葉は、昭を大いに困惑させた。しかし、「蚩界」が何を意味するかと少女に聞いても、それきり答えが返ってくることはなかった。

 しかし、考えに考え続けた結果、最近になってようやく昭はそれが意味するところを理解できた。蚩属のいる世界、つまり蚩尤の力が最大限に及ぼされる世界を、蚩界と呼ぶ。

 蚩属には遭遇したことは何度かあったものの、その回数はごく少数であった。しかし、この蚩界では、蚩属に出くわす機会が極端に増加する。蚩属一体の力は少なくとも融軍兵三人分に相当すると言われているから、融軍兵の割合がばらばらな班ごとに戦う、というのは相当な痛手になりうるのだ。

 おまけに、姫栢の張っていた内部結界。昭の考えが正しいならば、これは蚩界全体に張り巡らされていたということになる。

 ここで出現する疑問が、一体、貞人とは何者なのか、ということだ。男でありながら、巫王達と同等の力を持ち、更には蚩界に力を及ぼすなど、巫王の能力以上のことをやってのける。

 貞う人、と書いて貞人なのだから、元々は神意を問う力があったのかもしれない。生憎、昭は文字が読めないので、そこまでは考えが及ばなかったのだが、貞人が元々どんな者であったかを、彼は後に知ることになる。






                 3

 昭は、姜永の班を対戦相手に指名した。

 それについて一部の者は異論があったらしく、対戦の場に案内されたのち、彼らは不満を漏らした。

「馬鹿かお前、わざわざ強敵を選びよって」

 そう発言したのは、姞伊であった。彼は消極的な性格であるようで、昭がむちゃな判断をすると、しばしばそれに対して苦言を呈することがあった。しかし、一旦作戦が実行に移されると、そつなく立ち回るので、昭は不思議に思ったものだ。

「大丈夫だ。俺達はきっと勝てる」

 すると姞伊は、溜息をついた。

 「全く、負けても知らねえぞ」

 しかし、それが心からの物ではないことが分かり、昭は安堵した。

 前方を見やると、青い宝玉が虚空にぽっかりと浮かんでいた。結局、あれの正体についても姫栢は教えることはなかったが、慌てることはない。

 しかし、宝玉の向こう側に立つ少年達には恐怖を感じてしまった。

 恐らく、彼らを操っているのは蚩属であろう。先述したが、蚩尤には同じ顔をした七十八人の兄弟がいると言われている。蚩属はその兄弟の具現体なのだ。

 七十八人の兄弟を倒せば、安寧が訪れるのか。それは昭には分からない。しかし、彼らを倒さなければ、生き残ることが出来ないのは確実であった。

 「やっぱり、あの不気味な奴らは未だに見慣れねえな」

 憔悴した様子で嬴冄が言った。

「彼奴らは怖くねえ。現に娰勧が倒しているじゃないか」

「そうは言ってもよお、怖えもんは怖えし」

「俺らだったら何とかなるよ」

 昭は嬴冄を宥めた。互いの姿が見えない中で、青い宝玉の放つ光のみが、彼らを薄ぼんやりと照らしている。

「しかし、姫栢は早く現れないものかねえ」

 娰勧が独り言のように呟いた。

「全く、呼び捨てするなよ。あの方はあの方で別の班同士の対戦を監督しているところなんだと思うぞ」

 娰勧の過去の経歴を知りもしない―恐らくこれからも知ることがないであろう嬴冄が軽く娰勧を咎める。

 姫栢が現れたのは、嬴冄の尿意が限界に達していたところであった。彼は用を足してくる、と言って光の全く当たらない暗がりの方に姿を消していた。

 昭は彼が点呼までに戻ってくることが出来るか気掛かりだったが、彼が自分自身の名を呼ばれる直前に戻ってきたのを見て、胸をなでおろした。

 小をした際特有のつんと鼻を衝くような臭いがするのに姫栢が気づいたのは、対戦の説明をしている際のことであった。遠くなので臭わないと考えて、暗闇でしたのだったが、少し甘かったようだ。

「誰か漏らしたか」

 姫栢はその場にいる全員の顔をぐるりと一瞥した。昭は懸命に笑いを堪えていた。他の班員も同様であったようで、みな肩が小刻みに震えているのが見えた。

「ここは神聖な場所であるのに、何と無礼な」

 しかし、誰も名乗り出ないし、姫栢は諦めたようだ。

「まあ良い、説明を続行する」

 冷や汗をかいていた嬴冄は、ほっとしたに違いない、肩の力が抜けているように見えた。

「今回も同様、接近戦の形式をとることにする。しかし、内部結界が張られていないことを鑑みて、特例措置をとることにする」

「特例措置とは?」

 娰勧が質問する。姫栢は暫く娰勧をじっと見つめていたが、やがては渋々といった様子で答えた。

「班の中で、最後に一人だけ生き残った場合、其の者は解放される」

 姫栢がそう発したとたん、周りの空気が凍り付いた。

 なんて非情なんだ。

 昭は憤り、次の瞬間、反論が口をついて出ていた。

「なぜそのような、内部のいざこざを引き起こすような措置をとるんですか」

 すると、姫栢は今度は昭の方をじっと見つめた。仮面の目の部分には穴が空けられていたが、その奥にあるはずの双眸は全くと言うほど見えず、ただ闇が広がっている。

「余計なことを問うでない」

 嬀昭、と嬴冄が諌めるように後ろから肩をつかむ。

 昭が言いたいことは山ほどあったが、仕方なく堪えることにした。

 「それでは、これより対戦を始める、一同、礼」

 すると、姜永の班全員が、一斉に同じ動きで一礼した。昭の班も同様に、なるべく動きを合わせて一礼する。

 これから事態が決するまでには、長い時間がかかるだろうと昭は考えていた。しかし、これから起きたことによって、事態が決するのにそこまで時間はかからなかったのである。

 「始め」

 姫栢が号令をかけるのと同時に、昭は前へと足を踏み出した。







                  4 

 少年―姚向は呆然とした様子で燦を見つめた。

「お前―その顔は。果たして、宮中にそんな顔の奴がいたかどうか」

 姚向は顎に右手を添えて考え込んだ。

 「僕は侍童になったんだ」

 燦は口元をニヤリと歪ませた。目もとにしわが寄り、爛れた肌が折り畳まれる様子が何とも言えず不気味で、姚向は顔を直視することが出来ない。

 「どうやってだ」

 俯いたままで姚向は言った。

 「嬀鞍という侍童がいたのは知ってるか」

 姚向は考えを巡らせた。名前を何処かで聞いたことがある気がする。確か、嬀智と同じ壬邑嬀氏の出だったはずだ。彼に関する情報はその程度であった。

 「ああ、名を聞いたことはあるが」

 「僕はそいつに成り代わってここへ来た」

 「成り代わったということは―殺めたということか」

 「―まあ、そうだな」

 姚向は束の間絶句した。しかし、気を取り直して言葉を発する。

 「どうやって殺めたんだ。甲邑から壬邑まではかなり遠いはずだろ」

 燦は周囲の木々に視線を巡らせた。

 「ずっと、彼奴の行動を見てたんだ、僕のとこから」

 「どうやって見えるんだ」

 姚向は間髪入れずに聞いた。燦は伏し目がちな様子で答える。

 「頭の中で念じてたら見えるんだ、壬邑嬀氏領の中の様子が。普段嬀鞍がどんな生活を送ってるかとか」

 それを聞いて、驚くことはなかった。前から何と無く察知していたことではあったからだ。

 「やっぱり、あるんだろ」

 姚向は勘ぐるような様子で聞いた。

 「ああ、僕は確かに持っているだろうね。ただ、君らの想像する融とは、異なるものだとは思うけど」

 燦はあっさりと答える。

 「融じゃなかったら、なんなんだ」

 「うーん、こればかりは僕にも分からないな。でも、融っていうのは、姫氏一族と、融軍兵に限定された力だろ。また、姫氏以外では物理攻撃で使うことしか許されないよな。遠くの出来事を直接見られるという能力はなかった筈だ」

 「つまり、お前自身にも分からない、と」

 燦は軽く頷いた。

 「まあ、そういうことだな」

 前を向くと、赤黒い中で光り輝く双眸と目が合う。見るに堪えなかったが、ようやく姚向は顔を上げることが出来た。

 「姚向、お前に頼みたいことがある。お前は確か、明日の冠礼には出ないんだよな」

 「ああ、そうだが」

 「お前が婚姻を結んだ、姫蓮っているだろ」

 姚向は意外に思った。なぜそこで蓮の名前が出てくるのかが理解できなかったからだ。

 「蓮様が、どうかしたのか」

 「僕、分かったんだ。姫蓮も、姫周からの逃亡を企てているということに」









                  5  

 昭達が冠礼を始める少し前。蓮は夢から覚めたあと、一睡もせずに心映珠を見つめていた。

 青い髪の女。

 蓮はその女の正体を知っていた。以前にも夢の中で会った時があり、その時に彼女は自身が何者であるかを明かしてきたからだ。彼女はそれを敢えて少年には伝えずにいたのだが。

 様子を観察する限り、問題は何も起きていないようだった。しかし、冠礼が始まり、少年達が奥の部屋に入ると、途端に心映珠に像は映らなくなった。

 どうしたのかしら。

 蓮は心配になり、珠を叩いてみたり、融で働きかけてみたが、一向に像が映し出される気配はない。

 蓮は半ば顔を青ざめさせた様子でじっと珠を見つめた。その時だった。

 どんどん、と戸を勢い良く叩く音が後ろから聞こえる。

「蓮様!早くお開けください」

 何か緊急事態でも起こったのか。そう思った蓮は急いで入口へと這って進み、扉を開けた。

 そこには、姚向と見慣れない小柄な少年が二人で立っていた。小柄な少年の方は、顔に大ぶりの仮面を付けている。

 侍童か。それにしてもなぜわざわざこの部屋に。

「其方達、一体どうしたのじゃ」

 姚向はごくりと唾を飲み込み、それから言い放った。

「少しお伺いしたいことがあるのですが」

「何だ。言うが良い」

「貴方様が姫周からの逃亡を計画しておられるということを、この侍童が証言していて」

 蓮は体中から血の気がさっと引くのを感じた。

「私は一切その様な愚行は行ってなどいない。痴れ者が」

 蓮は必死に被りを横に振った。すると、仮面の中からぶっきらぼうな口調の声が聞こえてきた。

「安心しろ。僕達は断じてそれを貞人に言ったりしない。だから、正直に答えてくれ」

 蓮は目を見開いた。それは聞き覚えのある声だったからだ。しかし、相手が何者かということを聞くと、心映珠を使用していたことがばれてしまう。

「それは、真か」

 すると、侍童は大きく頷いた。

「僕も逃亡を企てているからだ」

「あなた、一体何者」

 蓮は言葉遣いに注意するのも忘れて、聞いていた。すると、侍童は軽く笑い、仮面を片手で手早く取り払った。その下の顔には醜い傷跡が広がっていたが、蓮は不思議と恐怖を覚えなかった。彼は口元に悪い笑みを浮かべて言う。

「嬀燦だ。―お前が一緒に逃亡しようとしていた、嬀昭の弟」






                  6

 冠礼での対戦が始まって間もないころ。昭はかなり苦戦していた。何しろ、予行

 の時より相手方の攻撃速度は速くなっていて、融で鏡を作って光線を跳ね返しても、更に速く次の光線が打ち出されたりするなど、内部結界が無くなった影響はかなり出ているように見られた。

 鏡を作るということは、かなり体力を消費するので、頻繫に作り出すわけにはいかなかった。そのような中、善戦していたのは嬴冄であった。

 彼は姜永の班の攻撃に法則性があることを見出した。彼らは代わる代わる攻撃を行っているのである。六人が三列になり、二人が代わる代わる前後交代して格闘を行っていた。これは後ろに居る者が暗闇の中に隠れているので、交代した場合突如として後ろに並んでいる者が湧き出てくるという錯覚を起こさせ、相手方を混乱させるという効果がある。

 嬴冄は、真ん中の二人にじりじりと近寄っていった。相手方は皆、他の班員を攻撃することをやめ、嬴冄の方に目線を集中させる。

 両者の間には、糸が張り詰めたような緊張感が漂っていた。しかし、嬴冄は暫くすると怯える様子もなく前に進み始めた。

 彼奴、何をするつもりなんだ。

 昭は不安げな様子で嬴冄の背中を凝視していた。

 その刹那、嬴冄は走り出した。全員の腕から光線が射出される。

 彼はそれとほぼ同時に、地面に倒れ込んだ。昭は嬴冄の頭上に岩を模した防壁を咄嗟に作り出した。すると、光線同士が嬴冄の頭上で干渉しあい、防壁にぶつかり、虹色の衝撃波が生まれた。それはそのまま光線の射出元―姜永達の腕に戻って行き、直撃するという結果になったのだ。結果、姜永らの腕からは血が流れ、彼らは大きな呻き声を上げた。

 嬴冄はそのすきに自陣へと戻ってきた。

「よくやったじゃねえか」

 昭は笑顔を浮かべ、嬴冄に声をかけた。

「いんや、あれも偶然だ。まさかあんな事になるとは思いもしなかったぜ」

「まあ、ここでの戦闘は例がないからな。偶然の積み重ねで試行錯誤していくしかない」

 その時、娰勧がある事に気付いた。

「皆、前を見て」

 鋭い声に反応して、全員が彼の方を見た。

「前後が、入れ替わってない」

 娰勧に言われた通り、前方を向くと、先程と同じ者が待ち構えていた。何人かは傷を気にしているようだったが、どうやら戦闘に支障が出ない程度には全員回復したらしい。

「―なんつう回復力だよ」

 嬴冄が怯えと驚きの混じった声で言った。

「そりゃ彼奴らは蚩―」

 昭がそう言った時、思いがけない出来事が起こった。

  姜永の方からぱあんと凄まじい爆発音が響き、昭達は一斉に彼の方を見た。そこには、首から上が無くなった体が直立している。数秒後、それは手前に向かってどさりと倒れた。姜永の横に居る兵を見ると、彼らは無表情で佇んでいた。しかし、その体には所々、血まみれの頭部の破片がくっついている。もぎ取られたような不規則な首の切り口と、白くて丸いものが二つ地面に転げ落ちているのを見つけた途端、昭は思わず目を逸らしそうになった。

「ひいっ」

 そう言って目をふさいだのは、娰慧であった。確かに、これは見るに堪えない凄惨な光景である。だからといって目を逸らすということは、何が起こるかまるで予測できないこの場では禁物だ。

 昭は、娰慧の後ろに近寄り、背中をどんと叩いた。

 娰慧は弾かれた様に顔を上げた。恐る恐る後ろを向こうとするが、昭は再び背中を強打し、後ろを向かせないようにした。

 前を向いた娰慧を見て、昭は胸をなでおろす。

 嬴冄が鋭い声で耳打ちしてきた。

「姜永は何で殺られたんだろう」

 昭は考え込んだ。

「さあな。分からねえ」

 すると、娰勧がぼそりと呟いた。

「爆頭花だ」

「ん?お前今、何か言ったか?」

 「爆頭花だよ。蚩尤の分身体である蚩属の力と融がせめぎ合う場所で、頭部が突如爆発する現象のこと。血痕が大輪の花が咲いたように見えることからこう名付けられたと言われているね。僕は考えた結果、姜永達に取りついているのは蚩属であると結論付けた。嬀昭が作った防壁に反射した光線のエネルギーが、そのまま返ってきた後に何らかの形で姜永のもとにだけ集まったということだろう」

 つらつらと知識を述べる娰勧に、他の全員が圧倒されていた。

「娰勧、その知識、どこで仕入れたんだ?それを知っている奴はそう多くないだろう」

 娰慧が畏敬の念を込めた目で娰勧を見る。

「それに関しては、黙秘ということにしておこうか」

 娰勧は娰慧の目をじっと見つめ返した。娰慧は慌てて目を逸らす。赤みがかった闇を連想させるこの少年の瞳を見る者は、それに引き込まれてしまうか、目をすぐさま逸らすかの二択に分かれる。

 恐らく彼は、宮中で様々な出来事―善いことだけでなく、目をそむけたくなるような残忍なことにも向き合ってきたのだろう。彼は、他の者が介入する余地が無い孤独を抱えているように昭には見えていた。それは、彼の性的指向によって増長されているという面もあるだろう。男と女の性の境界に居るということ―恐らく、彼はそれを姫栢に買われて侍童となったのだ。

 気が付くと、先程まで姜永がいたはずの場所に、別の者が立っていた。

 よく見ると、それは姚向であった。

「―姚向」 





                  7

 昭は驚愕した。

「班長である姜永が最初に死亡したので、姚向を補充人員として配置することにした。本来ならば姫網第五十五条、『姫氏と契りし者、例え正丁(成年男子)に非ずとも冠礼に予参(参加)すべからず』との法によって、参加不可能であったが、そこを巫王姫旋様が先日改訂なさり、本人が希望するならば配置することが可能になったのだ」

 姫栢の無表情な声が天から降ってきた。それと同時に、姜永達の動きがぴたりと止まる。一時的な内部結界を姫栢が張ったのかも知れなかった。

「現巫王が無能であるとは耳にしていたけれど―ここまでとは」

 娰勧は声を震わせていた。それが怒りによる震えだということに気づくまでに時間はかからなかった。

「巫王姫旋様は尊い御方だろ!何を馬鹿なことを言ってるんだ」

 嬴冄は怒鳴るようにして言った。

「馬鹿は彼奴だ!姫網は初代巫王の姫后稷が、姫周の恒久の平和を守るために制定した法だ!例え巫王自身であっても、内容を変えてはいけないことに成って居る。それをあの女は―」

 昭は激昂する娰勧の頬を平手で打った。ぱあん、という音が辺りに鳴り響く。

「落ち着け、娰勧」

 娰勧は頬を押さえて、昭の顔を見上げる。

「巫王がどんな方であれ、決まったものは直ぐには変えられないだろが。この場で余計な感情を出すな」

「変わったね。君も」

 娰勧は呟くように言った。

「この場は訳が違う、ということは、流石にこの俺もしかと認識しているつもりだ」

 その時、姫栢の厳かな声が響いた。

「これより、一時的な内部結界を解き、戦闘を再開する」

 昭達は慌てて元の場所に布陣し、構えを取る。

「では、始め」

 姚向の参入により、相手方は先程までとは明らかに異なっていた。姚向以外にあと一人融軍兵を擁すると言われている彼らは、それを利用し、新たな配置を模索しているようだった。しかし、昭にはその一人が誰であるのか見当がつかなかった。

 珠に融を付与する力があるとはいえ、融軍兵とそうでない者とは融の出力の仕方に差があるはずだ、と考えた昭は、姚向の隣にいる少年を試しに攻撃してみることにした。

 昭が身体感覚を麻痺させるために電気を帯びた融を素早く放つと、彼は明らかにそれに戸惑っているようだった。少し遅れて彼も融を放ったが、彼の融が届くよりも昭の融が届く方が半拍ほど早く、彼は融をまともにくらい、その場にへたり込んだ。一旦身体の感覚を痺れなどで喪失すると、融を使うのにかなりの支障が出る。

 どうやら、彼奴は融を持っていねえみたいだな。

 そう感じた昭は、姚向の左隣の少年も攻撃しようと考え、そちらに意識を向けた。

 すると、突然へたり込んだ少年の後ろの暗がりから、矢のような光線が飛んでくる。昭はそれをさっとかわしたが、心臓の鼓動が明らかに跳ね上がったのを感じた。

「誰だ!」

 昭が言うと、暗闇の中から別の者が姿を現した。小柄な体躯をした彼は、一言も発することなく、昭に向かって二回目の融を発射する。顔ははっきりと見えなかったが、昭は間違いなくその姿に見覚えがあった。

 彼奴は、確か―

 その時、姚向が声を発した。

「お前にしては、良くやってるじゃねえか」

 彼の目には、蚩属に取りつかれた人間が見せるような虚ろさがなかった。姚向は晴れやかな笑みを浮かべる。昭は呆気にとられ、声も出なかった。

「お前達、攻撃を一旦取りやめろ」

 姚向は右を向き、翳した手を下に降ろすような仕草をして合図を送った。すると、他の面々はそれに呼応するように攻撃を止める。

「いきなり、どうしたんだ」

 昭が訝しむような様子で聞くと、彼は言った。

「お前に話があってな。この様な場所じゃないと、機会もないだろ。その前に、と」

「その前に?」

「邪魔者には、消えてもらおうか」

 その時だった。

 姚向以外の五人の頭が、爆発したのは。

 忌まわしい破裂音と共に肉の千切れる音が、辺りに響き渡る。

 破裂音が止んだ時に姚向の周辺を見回してみると、広がっていたのは、地面に横たわる首なし死体の群れだった。頭蓋骨の破片や、桃色をした柔らかそうな脳漿の一部等が散乱している。

 昭の班は全員無事だったが、今度ばかりは娰勧や嬴冄も見るに堪えなかったらしく、手で鼻と口を塞ぎ、目を逸らした。

「姚向、何をする!」

 姫栢は声を荒げて姚向に言った。

「どうするも何も、これから重要な会合があるのでね」

「冠礼の最中での同士討ちは禁じられておる!お前は重大な刑罰を受けることになるであろう!」

 姚向は、声のする方に、右腕を伸ばした。

「ぐっ―」

 姫栢が苦し気にわめく声が暗闇から聞こえた。

「殺されたくありませんのでしたら、今すぐ蚩界からの出口を用意して下さいますか」

 口調は丁寧だったが、逆らうことを決して許さない響きがそこには込められていた。

「―し、承諾し、た」

 すると、暗闇に重厚な質感の扉が現れる。

「嬀昭、班の全員を連れて早急にそこから出ろ。でないとお前達も全員諸共爆頭花にする」

 昭は言われた通り、大人しく他の班員を先導し、扉を開けた。

「何で従うんだよ、お前らしくないぞ」

 嬴冄が不満げに言う。

「取り敢えず全員の命を守ることが大事だ。俺は全員に生きて帰ってほしいからな。なあに、彼奴が先に仕掛けたんだから、俺らはどうにかなるだろ。少なくとも、刑罰に処せられることはない」

「それならいいけど」

 扉を開けた先には、先程の犀融宮のだだっ広い部屋が広がっていた。






                 8

「お前ら、取り敢えず、ここに並べ」

 昭を一番端にして、彼らは横に並んだ。姚向が前にやって来た時、昭は彼の隣にもう一人少年がいることに気付いた。顔には大きな仮面を付けている。

「姚向、隣にいる奴は誰なんだ」

 昭が聞くと、姚向は高笑いする。

「知らねえのか、お前の良く知った奴じゃないか」

 良く知った奴?

 昭が彼をじっと見つめて考え込んでいると、彼は徐に仮面を取り外した。その下には、醜く焼け爛れた顔があった。昭は一瞬驚いたが、直ぐにそれが誰であるかを気付いた。明らかに面影が残っている。

 嘘だろ。

 昭は目の前の出来事が信じられずにいた。

「もしかして―燦か?」

「―そうだよ」

 一拍置いた後に彼は答えた。

 昭は嬴冄の制止も振り切って、なりふり構わず彼の元へと駆け寄った。

「―お前、顔、どうしちまったんだ」

 燦の頬に手を当てて、昭は言った。

「まあ、色々あったんだよ。でも、何とか生きてる」

 昭は燦を思わず抱きしめた。涙が溢れて止まらない。

「―馬鹿野郎!心配したんだぞ」

「そんな泣くなよ、汚いなあ」

 そう言いつつも、彼は細めた目に涙を滲ませていた。

「感動の再開はそこまでだ」

 突然、姚向の冷たい声が矢のように降り注いだ。昭は泣き腫らした目で姚向の顔を見る。

「嬀昭、そいつが何でここに居るか、考えたか」

 昭は無言で燦の肩を掴んでいる自身の手に目をやっていた。

「―分からねえ、でも折角再会できたんだ、もうちょっと浸らせてくれや」

「そいつはな、侍童に成りすましてここに来たんだ。姫栢に仕えていた侍童を嬀鞍と言うんだが、そいつの顔にも、燦と同じような赤黒い火傷の痕が見られた。燦は夜中に壬邑嬀氏領に忍び込んでな―」

 昭の言葉を無視して、姚向は続けた。

「寝ている嬀鞍を、嬀智諸共刺し殺したんだ。その後、嬀鞍の亡骸をお前んとこに持ち込んで、自分は竈の燃え残りに顔に火傷を付けて、嬀鞍のふりをして寝ていたって始末さ」

 嬴冄はぞっとした。あの時、隣にいる嬴冄が気づかぬ間に夜中に甲邑を抜け出して、壬邑まで向かっていたというのか。

「燦、一つだけ聞いてもいいか。壬邑までは、どうやって行ったんだ」

 嬴冄の質問に対し、燦は戸惑っていたが、この際だからすべて話そうという様子で、嬴冄の方を向いた。

「壬邑嬀氏領までの最短の道を、一月以上前から模索していたのさ。僕は体力がなくて病弱だから、兵として出陣することもできないし、畑仕事も簡単なものしか任せてもらえない。その代わり、時間だけは山のようにあった」

 全員、身じろぎもせず、燦の様子を固唾をのんで見守っている。

「言っておこう、僕は不思議な力を持っているんだ。簡単に言うなら―そうだな、遠くで起きた出来事を丸でそれが目の前で起こっているかのように見聞きする力かな」

 嬴冄は問うた。

「それは、融とはまた異なるものなのか?」

「―そうだね。多分違う」

「取り敢えず、それによって、お前は嬀鞍とか言う奴の身元を突き止めたということだな?」

 嬴冄が言うと、燦はこくりと頷いた。昭は燦の元から離れ、列へと戻る。その時、燦を指さしながら姚向が言った。

「嬀昭、此奴からお前に関する聞き捨てならない噂を聞いたんだが」

 昭はびくりと心臓が跳ね上がる心地がした。

「何だ?」

 まさか。

「お前が国外脱出を企てているということだ、これは本当なのか」

 班の全員の視線が、一斉に昭に集中する。

「―いや、そんな事は一度たりとも考えたことはないな」

 昭は姚向の目をじっと見つめ、断言した。

「昭。僕、とある人から聞いたんだよ。その人は、お前の脱出の共謀者だって言ってた」

 あの少女の声。燦は宮中に居るのだから、きっと彼女と交流する機会があっただろう。不思議な力を持つ彼は、彼女と昭が交信していることをも見抜いていたのだ。

「誰なんだ、そいつは」

 昭の口から、いつの間にか質問が飛び出ていた。これこそが、自身の一番知りたかったことだった。

「―僕が、その人の元へ連れていってやる、と言ったら?」






                  9

 蓮はその頃、再び心映珠を眺めながら、姚向と燦が戻ってくるのを待っていた。

 ―何としても、嬀昭を連れてきて参ります。

 そう言い残し、部屋を去っていった姚向と燦の姿が思い浮かぶ。

 燦はまだしも、姚向まで協力してくれるとは思わなかったわ。

 蓮は感慨に耽っていた。純粋な彼女は、人を信じて疑わない。これで、自分は父親の無念を晴らすことが出来るのだと、只々浮き立った気持ちでいた。

 嬀昭は、本来姫周に居るべき人間ではない。

 それを彼女は知ってしまった。夢に出て来た青い髪の女の言動から、彼女はそれを教えられたのだった。

 これは禁忌を犯しているけれども、実は正しい行為なのだ。両者にとって利益になる。これ程素晴らしいことはあろうか。

 そんな事を考えながら時間を過ごしていると、こんこん、と姚向が叩扉する音が聞こえた。彼女には、それがこの上ない福音に聴こえたのだった。

「入るが良い」

 扉の方を向いて正座すると、喜びを相手に悟られないよう、蓮は厳かに声を発する。

 がらりと音を立てて、扉がゆっくりと開いた。

 そこには、蓮が長い間恋焦がれていた、あの顔が待っていたのだった。

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