喫茶店 ティザンヌ / 後

 「皆さんおかわりはいかがですか?」


 切なさが店内に紛れたような気がる中、麻里が落ち着いた声で二杯目をすすめた。

麻里の声や雰囲気には人を落ち着かせる不思議な感覚がある、初対面とは思えない穏やかさ、ずっと求めていた安心感すら感じる。いや、麻里だけではなく、門をくぐってからの空間そのものがそうだ。


 「あ、でも私たちそろそろ帰らないと。お父さんも心配しているだろうから・・・」


 千香が店内の時計をみると夕方の六時、この季節だとすっかり外も暗かった。

しかし麻里は、穏やかな表情のまま再び鍋を火にかけ、新しいティーカップを戸棚から用意している。


 「楽しくてすっかり話しこんでしまいました。たしかに外が真っ暗ですね。でも、もう少しすれば大丈夫ですよ。」


 「・・・?」


 千香の困惑する表情に誠司は胸を撫で下ろした。

麻里の発言に違和感を感じたのは自分だけでなかったからだ。麻里には確かに人を落ち着かせる不思議な感覚がある、しかしそれと同時に、得体の知れぬ不思議な力が紛れているのも感じる。それは決して身の毛がよだつものではないのだけど…。

そんな二人と眠たげな三樹を尻目に麻里が四つ目のティーカップにお茶を注ぐ。お茶が丁寧に注がれる様子に自然と全員が惹きつけられた。


こぽこぽこぽこぽ…耳心地の良い音が店内に響くと静寂が広がる。最後の一滴が注ぎ終わった瞬間、遠慮がちに鈴を鳴らしてドアが開いた。


 「あの・・・すみません・・・」


 なんとも言えぬ静寂を打ち破った新しい客人は、物腰の柔らかい中年男性だった。そして、


 「お父さん!」


 千香と三樹の父親でもあった。

男性の声に振り返った千香と三樹が声をそろえて立ち上がる。二人の重なった声が店内に響き、窓際でずいぶんと長い昼寝から目覚めたマーロが、大きな欠伸をした。

ちょうど窓際も冷えてきたのであろう、店内奥の暖房機の前に移動しようとしたマーロと、千香と三樹の父親の目が合ったのを、誠司は見ていた。父親はあからさまに


”二人だけならまだしも。なんで猫すけまでここに?”


と、驚いた表情をしている。

至極当然の反応である。たいしてマーロは特に気にする様子もなく暖房機の前につくと再び丸まって眠った。それもそのはずなのだが、まるで我が家のような堂々たる振る舞いをする猫すけ(マーロ)に父親はますます困惑を余儀なくされるのであった。

仮にも、ここにいる五人を引き合わせることになった張本人(猫)だというのに勝手気ままな猫なのである。


父親は我に返って


春日修也かすがしゅうや、千香と三樹の父です。二人と一匹がお世話になっているようで……」


と、とりあえず挨拶に戻る。

どうやら、家に帰宅すると鍵がかかっていなかったこと、リビングの電気がつけっぱなしで、書置きもなしに二人がいなかったことから、すぐに異常事態であるということを理解して二人を探し回っていたという。


その途中、


「普段なら見かけないような場所で、大人しい二人が珍しくどたばた走り回っているのを見かけた。」


と、運よく近所の人が報告してくれたので、この辺りまで来たのだ。姉弟はおろか父親まで慌てているものだから、さすがに様子がおかしいと近所の人も思わず声をかけずにいられなかったのだろう。


そうこうして修也は、とうとう二人の傘があの門の前に立て掛けられているのをみつけて中へ確認しに来たのだった。

ずいぶん心配して探していたのだろう。この時期だというのに額の汗やシャツの染み具合でずっと走り回っていたのがわかる。


 「心配かけてごめんなさい。」


 千香と三樹が駆け寄る。

その様子を微笑ましく眺めながら麻里は、注ぎたてのお茶をカウンターに乗せて、


 「春日さん、今回のことは私からお詫びをしないといけないんです。詳しくご説明させて頂きたいので、よろしければこちらを召し上がってください。ミントのハーブティーをたった今淹れたところなのです。」


 すっかり麻里が自分用に淹れたお茶だと思っていたが、あまりに抜群なタイミングは、どこか魔法のように修也が来ることを予知していたのではないか、そうならいいのにと思わずにはいられない…むしろ願ってすらしまう。


" きっと充満するハーブの香りや効能の影響で、この不思議な感覚にとらわれてしまっているだけだ。これは偶然のほかないのだ。"


誠司はだれに言うわけでもなく自分に言い聞かせていた。

千香と三樹はというと突然の父親の登場で、新しいハーブティーとそのタイミングなど眼中にないようだった。


一通り話も体も落ち着き、明日もあるので……と席を立つ四人に


 「みなさん本日は本当にありがとうございました。特に、千香ちゃん三樹くん。二人にはこれからもたくさんお店にもマーロにも会いに来てもらいたいから、今日ご馳走したココア(とおかわりのホットミルク)は、これからもずっと無料でご用意させていただきます。


二人はマーロの命の恩人なのですから。」



 えっへん!となぜか自慢げに麻里が言い切ると、千香と三樹は飛び跳ねては転がるように喜ぶ。


「そ、そんな……」


不安がる修也を押しのけて


「本当に?いつでも?約束!」


と二人は約束までこぎつけた。


そして、いつの間に用意していたのか麻里は、誠司、千香、三樹、修也に、お土産と簡単なメッセージが入った小さな紙袋を持たせてくれた。リボンの色がそれぞれ違う。


 「ティザンヌは店主の都合を除くほぼ毎日、年中無休で朝九時から夜の八時まで開店してます。暖かいハーブティーが飲みたいときや心穏やかに過ごしたいときなどは、いつでもお越しください。皆さんのご来店をマーロと一緒にお待ちしております。」


喫茶店なんて男性である誠司にはなかなか縁のない場所だと思っていたが、また来よう。と心から誓った。

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