第87話 『火星に』 その5


 マルガレーテ・キングさんは、当代随一のチェロの名手である。


 それは、フラウト・ヴェングラウ氏も、パスカ・ノーニ氏も、即座に認めるところだったのだ。


 しかし、彼女は、常にこう言っていたのである。


 『飛行機? あんなもの、飛ぶわけがありませんよ。』


 だから、彼女は、高額なギャラを持ちかけられても、飛行機を使うツアーには、絶対に行かなかった。


 おまけに、かなりの、気難し屋だった。


 そこで、演奏会に登場してくる機会は、限られていた。


 しかし、その演奏たるや、まさに、神業だったのである。


 テクニックは、超絶であった。


 特に、音だ。


 あんなに、魅力的な音を出せるチェリストなんか、他には居なかったのである。


 そのマルガレーテさんが、宇宙船に乗っていた。


 やむを得ない面はあったのだ。


 多額の借金に追われていた。それも、最愛の子供が作ったものである。


 ヘレナ王女は、その肩代わりをした。


 宇宙に行くことを条件にしてだ。


 ギャラも、彼女のめんたまが、飛び出しそうになるくらい良かった。


 しかし、多少の訓練は必要だったから、ヘレナさんは、無料でその段取りまでしたのである。


 さらに、火星のステージで、共演する約束までした。


 ただし、マルガレーテさんは、太陽系内までの契約しかしていなかった。


 そこから、地球に帰る道をも、ヘレナさんは、密かに認めていたのだ。


 ただし、本人がその気になれば。


 火星での演目は、ヘレナさんとの共演による、ブラームスさんの『二重協奏曲』と、さらに、ドヴォルザークさんの『チェロ協奏曲』であった。


       🎻


     


 


 


 


 

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