第34話 『月基地にて』 その1
ぼくは、あの異世界人の話は、ただ、聞いただけにした。
協力するとも、しないとも答えなかった。
御飯小路の兄は、『まあ、今はそれでいいですがね。機会が来たら、また、お話ししましょうよ。必要なんだから。』
と、言った。
むかしも、そういうことを、言われたような気もする。
『あの、妹さんは、その後どうしたのですか?』
『ああ、あいつは、行方不明ですよ。』
『え? じゃあ、もしかして、どこかに入り込んだとか。』
『まあ、可能性はありますが。あいつは、都会の豪華なレストランとかのサービスの仕事がしたかったみたいでね。あなたがたの母国のレストランに潜り込んだ可能性はあります。なんせ、人間性がかなり残っている変わり種だしね。もっとも、核戦争があったから、さて、どうしたものかな。まあ、死にはしないが。ははは。』
まさか、ぼくは、彼女が新地球首都の、あのレストランにいたとは、まだ、まったく思いついていなかった。
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月は、この移住船にしてみれば、しごく近距離である。
月には、もともと、超古代火星人や金星人が建設した基地があったが、その、ほとんどは、地下に埋もれている。
もっとも、裏側には、いくつかの表面施設が、いまだに残っていた。
それは、今では遺跡観光施設になっているが。
銀河連盟は、この月の地球側に、新しいひとつの街を建設したのだ。
『ルナ・メガ・シティ』である。
ここは、地球人の監視場所でもあり、また、その宇宙見学のコースでもあった。
地球人は、永く、外部宇宙世界を知らずに生きてきた。
それが、一種の閉鎖性を生んだと、考えらえている。
宇宙に出る体験は、生き残った子供たちには、重要な経験になると、連盟は考えていた。
もちろん、すべて、ではない。
地球人が宇宙に出ることには、消極的な種族もあったわけだ。
それでも、銀河連盟の枠組みの中で、そうした反対派も一定の地位を持ち、この『ルナ・メガ・シティ』で活動もしていたのだ。
この、頑固な種族たちを、どのくらい説得可能かも、今回の試練である。
宇宙船は、まもなく、月の周回軌道に乗った。
もっとも、宇宙船本体はかなりでかいし、あまりに不経済なので、月に降りるのは、選抜メンバーだけとなっている。
ぼくは、あの王女様が言う通り、なぜだか、どこにでも、潜り込む役回りであるらしい。
しっかり、上陸要員に入っていたのである。
むつかしい任務はない。
クラシック音楽に関する資料の収集が、その主体である。
実際、この、月の巨大都市には、地球から難を逃れてきた宝物や資料がたくさんあった。
レコード類も、そうとうに、あると聞いた。
予算は限られるが、中古屋市場に出向こうと思っている。
本来は、学者様がすべきなのだが、そうすべき学者さんたちの多くは、戦争で消え去ってしまった。
こまったものだ。
で、この月にあるホールで、各種演奏会が催されることになっている。
オケの単独コンサートもそうだが、そこでは、地球の典型的コンサートのように、協奏曲が一曲入っている。また、それ以外にも『協奏曲の夕べ』とかもあるようだし。その、かの女王さまや、その他、生き残った、ある声楽の先生のリサイタルも企画されていた。
ぼくは、その名高い声楽家の方と一緒に、着陸用の宇宙艇で、月に向かったのである。
『あなたは、音楽資料室の方ね?』
彼女が声を掛けてきた。
実際のところ、この方は、戦争前には、世界最高のソプラノ歌手の一人だった。
たまたま、ある地下施設に入り込んでいたので、巨大な核弾頭の直撃から助かったのだった。
『はい。そうです。先生。』
『ははは。先生と言われるほどの花でもなし、枯れかけの古花か、てなものよね。声楽家にとっては、やはり年齢の壁は大きいのです。と言っても、地球では、そもそも、需要がないし。』
確かに、もう、ぼくよりも少し上で、老境に入った年齢なんだろうとは思うが、それにしては、生き生きとしていて、衰えのような感じはなかったのだ。
『リサイタルでは、なにを、お歌いですか?』
『そうね。まあ、やはり、シューベルトさまが中心になりますでしょうね。でも、相手の反応も知りたいのですよ。だから、ドビュッシーさまとか、ドボルジャークさまとかも、入れて見たの。あなたは、『ルサルカ』の『月に寄する歌』は、お好きかな?』
ぼくは、たぶん、ちょっと目を輝かせて答えたのだ。
『そおりゃあもう、好きです。いつも、涙が出てしまいます。もっとも、言葉は分からないのですが。』
『そう。でも、ほんといいお歌ね。ぜひ、聴いていただいて、ご感想もくだいさい。あなた、歌はなさるの?』
『まあ、大昔、合唱団にいたことはありますが。』
『それは素晴らしい。合唱は大切です。アマチュアが、プロに匹敵する、いえ、超える事だってある世界です。いえ、でした。かな。』
『はあ・・・そうですねえ。そうした世界的に名高いアマチュア合唱団もありましたね。バッハさまとか。録音もたくさんあったです。』
『そうそう。あなたのところには、その『マタイ』とか『ロ短調ミサ』とかの録音資料などがありますか?』
『ええ、あります。CDも、LPも。スコアも。』
『そう、すばらしい。今度、お邪魔しましょう。』
『ええ、ぜひ。』
こうした世のなかにならなければ、このような偉大な方と会話する機会なんて、なかっただろうとは、思う。
それは、たぶん、哀しい事だ。
ぼくは、自分の小ささが、恨めしくもあったから。
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