第34話 『月基地にて』 その1


 ぼくは、あの異世界人の話は、ただ、聞いただけにした。


 協力するとも、しないとも答えなかった。


 御飯小路の兄は、『まあ、今はそれでいいですがね。機会が来たら、また、お話ししましょうよ。必要なんだから。』


 と、言った。


 むかしも、そういうことを、言われたような気もする。


 『あの、妹さんは、その後どうしたのですか?』


 『ああ、あいつは、行方不明ですよ。』


 『え? じゃあ、もしかして、どこかに入り込んだとか。』


 『まあ、可能性はありますが。あいつは、都会の豪華なレストランとかのサービスの仕事がしたかったみたいでね。あなたがたの母国のレストランに潜り込んだ可能性はあります。なんせ、人間性がかなり残っている変わり種だしね。もっとも、核戦争があったから、さて、どうしたものかな。まあ、死にはしないが。ははは。』


 まさか、ぼくは、彼女が新地球首都の、あのレストランにいたとは、まだ、まったく思いついていなかった。


 


    **********************



 月は、この移住船にしてみれば、しごく近距離である。


 月には、もともと、超古代火星人や金星人が建設した基地があったが、その、ほとんどは、地下に埋もれている。


 もっとも、裏側には、いくつかの表面施設が、いまだに残っていた。


 それは、今では遺跡観光施設になっているが。


 銀河連盟は、この月の地球側に、新しいひとつの街を建設したのだ。


 『ルナ・メガ・シティ』である。


 ここは、地球人の監視場所でもあり、また、その宇宙見学のコースでもあった。


 地球人は、永く、外部宇宙世界を知らずに生きてきた。


 それが、一種の閉鎖性を生んだと、考えらえている。


 宇宙に出る体験は、生き残った子供たちには、重要な経験になると、連盟は考えていた。


 もちろん、すべて、ではない。


 地球人が宇宙に出ることには、消極的な種族もあったわけだ。


 それでも、銀河連盟の枠組みの中で、そうした反対派も一定の地位を持ち、この『ルナ・メガ・シティ』で活動もしていたのだ。


 この、頑固な種族たちを、どのくらい説得可能かも、今回の試練である。


 

 宇宙船は、まもなく、月の周回軌道に乗った。


 もっとも、宇宙船本体はかなりでかいし、あまりに不経済なので、月に降りるのは、選抜メンバーだけとなっている。


 ぼくは、あの王女様が言う通り、なぜだか、どこにでも、潜り込む役回りであるらしい。


 しっかり、上陸要員に入っていたのである。


 むつかしい任務はない。


 クラシック音楽に関する資料の収集が、その主体である。


 実際、この、月の巨大都市には、地球から難を逃れてきた宝物や資料がたくさんあった。


 レコード類も、そうとうに、あると聞いた。


 予算は限られるが、中古屋市場に出向こうと思っている。


 本来は、学者様がすべきなのだが、そうすべき学者さんたちの多くは、戦争で消え去ってしまった。


 こまったものだ。


 で、この月にあるホールで、各種演奏会が催されることになっている。


 オケの単独コンサートもそうだが、そこでは、地球の典型的コンサートのように、協奏曲が一曲入っている。また、それ以外にも『協奏曲の夕べ』とかもあるようだし。その、かの女王さまや、その他、生き残った、ある声楽の先生のリサイタルも企画されていた。


 ぼくは、その名高い声楽家の方と一緒に、着陸用の宇宙艇で、月に向かったのである。

 

 『あなたは、音楽資料室の方ね?』


 彼女が声を掛けてきた。


 実際のところ、この方は、戦争前には、世界最高のソプラノ歌手の一人だった。


 たまたま、ある地下施設に入り込んでいたので、巨大な核弾頭の直撃から助かったのだった。


 『はい。そうです。先生。』


 『ははは。先生と言われるほどの花でもなし、枯れかけの古花か、てなものよね。声楽家にとっては、やはり年齢の壁は大きいのです。と言っても、地球では、そもそも、需要がないし。』


 確かに、もう、ぼくよりも少し上で、老境に入った年齢なんだろうとは思うが、それにしては、生き生きとしていて、衰えのような感じはなかったのだ。


 『リサイタルでは、なにを、お歌いですか?』


 『そうね。まあ、やはり、シューベルトさまが中心になりますでしょうね。でも、相手の反応も知りたいのですよ。だから、ドビュッシーさまとか、ドボルジャークさまとかも、入れて見たの。あなたは、『ルサルカ』の『月に寄する歌』は、お好きかな?』

 

 ぼくは、たぶん、ちょっと目を輝かせて答えたのだ。


 『そおりゃあもう、好きです。いつも、涙が出てしまいます。もっとも、言葉は分からないのですが。』


 『そう。でも、ほんといいお歌ね。ぜひ、聴いていただいて、ご感想もくだいさい。あなた、歌はなさるの?』


 『まあ、大昔、合唱団にいたことはありますが。』


 『それは素晴らしい。合唱は大切です。アマチュアが、プロに匹敵する、いえ、超える事だってある世界です。いえ、でした。かな。』


 『はあ・・・そうですねえ。そうした世界的に名高いアマチュア合唱団もありましたね。バッハさまとか。録音もたくさんあったです。』


 『そうそう。あなたのところには、その『マタイ』とか『ロ短調ミサ』とかの録音資料などがありますか?』


 『ええ、あります。CDも、LPも。スコアも。』


 『そう、すばらしい。今度、お邪魔しましょう。』


 『ええ、ぜひ。』


 こうした世のなかにならなければ、このような偉大な方と会話する機会なんて、なかっただろうとは、思う。


 それは、たぶん、哀しい事だ。


 ぼくは、自分の小ささが、恨めしくもあったから。




    *********************

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