第14話 『旅立ち』その10


 レストラン内には、新しい曲が流れ出した。


 むかしのクラシック音楽ファンならば、最初の和音だけで、なにが始まったのか、判ったはずである。


 『シベリウスさまですね。』


 『おー❗ワンダフル。あなた、すぐに分かりましたね。さすが。』


 デラベラリ氏が、大きな身ぶりで感動して見せた。


 多少、やりすぎに感じたが、まあ、悪い気はしない。


 ニ短調の、凍りつくような主和音のなかから、しかし、和声外のgの音から、ヴァイオリンのソロが入ってくる。


 フィンランドの大家、シベリウス氏の『ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47』である。


 20世紀に書かれた、最高峰の、ヴァイオリン協奏曲だ。


 『美しいです。』


 ルイーザが、夢心地のようにつぶやいた。


 『あなたの、録音では?』


 デラベラリ氏が、こんどは、プロ同士という

言い方をした。


 『あら、まあ、でも、美しいです。違いますか?』


 『いやあ、とんでもないね。実に、美しいです。とくに、あなたのヴァイオリンのおと。これ、たいへんに、良いです。』


 『まあ、ありがとうございます。そう言っていただけますと、うれしいです。』


 『これ、宇宙でも、演奏されますか。いや、ぼくは、シベリウス先生、大好きなんです。』


 『はい。演奏したく思います。ただ。』


 『ただあ?』


 デラベラリ氏がババヌッキコーヒーの残りを、すすりあげた。


 『オケ側の体制がまとまれば。非常に、微妙で、緻密な、しかも、豪快なアンサンブルが要求されます。』


 『しろとが聞くところでも、なかなか、完璧に合わせるのは難しいみたいですね。』


 『あなたは、たくさん、録音や、演奏を聴かれたのでしょう。だれが、一番良かったですか?もちろん、あたくしと、お姉さまは、べつとして。』


 『あやま。何で、べつですかあ?』


 『だって、このかたは、ぜったい、あたくしたちを一番にしますから。』


 『おわーー。さすが、お姫様。』


 『いじわるですね。デラベラリさんは。』


 『いやあ、ぼくも、あなたがたが、現在は最高だと思うね。』


 『あたくしが、申しますのは、消え去った、旧き時代のことですわ。』


 『あ、あ、たしかに、たくさん、聴きました。シベリウスさまの、この協奏曲の録音は、可能な限り、全部聴きましたが、最後の辺りは、体調をくずしたりして、逃したのもありましたが。まあ、こうしたものは、すきずきなんだろとは思いますですが、この協奏曲は、やはり、あなたがおっしゃいますように、オケが重要です。

 

 第一楽章前半のアンサンブル。三つ目の主題の、くっきりした豪快さ、そうして、ソロも、難所ばかりです。とくに、ながい、カデンツァ。でも、オリジナルバージョンでは、長いカデンツァが、ふたつもあったんですね。終結部は、例えば、一番古い録音にあたる、ハイフェッツさまと、ピーチャムさまでも、少しずれてるような感じもしますが、たいへん、やりにくいみたいですね。オケがアップアップしてますような。まあ、古い時期ですからね、でも、だから、また、スリリングで面白い。じつは、ストコフスキさまと録った録音もあったんですが。ハイフェッツさんが、気に入らなくて、発売は、キャンセルにされました。ストコフスキ先生が、前に出すぎると、ハイフェッツ先生は思ったらしい! ながらく、廃棄されたと思われていましたが、じつは、原盤を、ハイフェッツさんが、持っていたんだそうで、21世紀には、復刻、いや、復刻ではないな。まあ、発売されました。最初は、フィラデルフィア管弦楽団の記念盤のなかで。ものすごく、高かったです。やがて、単独でも出ました。オケは、ストコフスキさまの主兵のほうが、より、上手な気はしましたよ。』


 『フルトヴェングラーさまと、クーレンカンプさまは、いかが?』


 『若い時代は、あまり、好きじゃなかったんです。シベリウス先生というより、シベリヴェングラーみたいな。』


 『まあ、ほほほ。』 


 王女兼女王が笑った。


 それもまた、異様に美しい。


 なかなか、王女兼務女王という話しは切り出せない。



 『でも、50歳からあと、考え直しました。とても、真剣に取り組んでいる、と、理解したからです。若い時代には、そこは、見えなかったんです。』


 『ふうん。ぼくの世代は、昔の録音は、あまり、聴けてないよ。うらやましい。』


 『録音聴くのは、嫌いな演奏家さんもいますね。』


 『影響されたくないとか、言ってね。まあ、あたくしは、気にしません。自分の個性を信じていますし、聴いたから、パンださんが、しろくまさんになったりは、しない。』


 『そう。しかし、そうしたことを、やろうとしたらしいね。わが、政府も、どこも。兵隊たちや、社員を、自由に動かせる、ろぼっと人間にする研究は、たくさんあった。』


 『なるほど、その話になると、難しいです。』


 『あなたの、王国では、ないでしょう?』


 デラベラリ氏は、多少、失礼に当たることを、王女さまに、尋ねているのかもしれなかった。


 とくに、ヘレナ王女は、他人の頭の中を、自由に操る能力があると、言われるし。


 こんな、美しいひとに、迫られたら、そら、大変だな。


  ・・・・・・・・・・・・・・・


 

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