第12話 『旅立ち』その8
モーツァルトさんの書いたメロディーの中でも、いちばん、よく知られていたものだったかもしれない。
まさか、人類を絶滅寸前に追い込む戦争なんて、モーツァルトさんの頭にはなかったかもしれない。
しかし、少しあとに、ゲーテ先生は、ベートーベンさんの第5交響曲を、まだ子供時代のメンデルスゾーンさんのピアノで聞かされた。
『地球を壊してしまいそうじゃないか。』
とか、おっしゃったらしいから、ゲーテさんは、そうした愚行を将来人類が行う可能性は、考えていたのに違いないと、ぼくは思う。
『ファウスト』の、悲劇第2部『中世風の実験室』で現れた、ホムンクルス(人造人間)を相手にしながら、悪魔メフィストフェレスさんは、その場の最後に、聴衆に向かって、こう言っている。
『つまるところは、われわれは、自分の作ったものに、引きまわされるんですね。』
まあ、なにをどう解釈しても自由だろうけれど、たしかに、人類は、いまだに、何かを作り出しては、その取り扱いに苦労している。
核爆弾などは、その究極の品物だ。
一生を風靡した、コンピューターなんかもそうしたものだ。
宇宙人たちは、同様のものを、もっと、スマートに使っているらしい。
けれども、モーツァルトさんの造り出したメロディーは、人類にそうした問題を突きつけない。
しかし、演奏家は、また、観賞者も、この最初に現れるシンプルな旋律に、まるで、全宇宙を感じているくらいに、魂を震わされてしまう。
このソナタは、第3楽章ばかりに、目が行きやすいが、まずは、この第1楽章の変奏曲主題が、謎である。
聞き流せばそれだけかもしれないが、ここには、恐ろしいくらいの気高さと、深淵が潜んでいると、ぼくは思う。
しかも、やはり、この主題は、きちんと繰り返しをするべきだ。
その繰り返しは、単なる繰り返しではない。
遥かな深みにはまってゆく、繰り返しをしているのだと思う。
だいたい、このソナタは、お決まりのソナタ形式が、まったく使われていない、かわりものでもある。
『あなた、どこに、行ってますか。』
ルイーザ王女に声を掛けられて、はっとした。
『まあ、気持ちはよく、わかりますよ。なにしろ、この録音は、あたくしが演奏したものだから。あなたには、なにかが、聴こえている。それは、わかりますよ。だから、合格なんだし。でも、いまは、こちらをご紹介いたします。ハインツ・フォン・デラベラリさまです。わが、第3王女の夫である、シモンズさまの弟さんです。こちらは、われらがオーケストラの、ライブラリーさま。クラシック音楽の生き字引さま。』
『いやいや、そりゃ、とんでもない。ぼくは、付録です。』
『はじめまして。あなたのことは、ヘレナ王女から聞いています。なんでも、異世界の想像主なんだとか。』
『はあ? そりゃ、なんでしょうか。まあ、はじめまして。よろしくお願いいたします。』
『どうぞ、お掛けください。ハインツさんも、ステーキ、いかが?』
『ぼくは、肉類は食べません。まだ、時間も早い。ババヌッキ・コーヒーにします。』
『あら、残念ですわ。もっか、ガマダンプラールのジャヤコガニュアン風ステーキの、王国あげての、大売り出し中ですのに。』
『それも、ヘレナ国王様から、伺いました。まあ、主義みたいなものです。』
『多少、お肉をいただかないと、宇宙での演奏は、きついですよ。あ、彼は、チェリストですの。あなたは、ご存知でしたか?』
『お名前は、存じ上げますが、なにしろ、ああした世の中でしたから、なまは、聴いておりません。でも、放送されたコンサートは、エア・チェックしていました。たしか、シューマンさんの、協奏曲でした。』
『わが、王国で行った、コンサートでしょう。』
『たしか、そうです。王国ならば、しっかり、録画もあるでしょうね。』
『もちろんです。』
『王国には、膨大な資料があるでしょうに。なぜ、ぼくの、コレクションが必要なのかと思ったのですが。』
ぼくは、ずっと、不思議に思っていたことを尋ねた。
『タルレジャ王国は、秘密主義ですの。』
『はあ?』
『タルレジャには、宇宙人には、知られたくない、多数の秘密があります。だから。』
『はあ?…………………』
これ以上、尋ねてはならない、という、雰囲気を王女は漂わせた。
まあ、どうでも、良いことではある。
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