8 目覚めの時

 不思議な感覚だった。

 例えるなら、水中にいるような、あるいは大空に漂っているような不思議な感覚である。もっとも空に関しては他人の記憶だけで実際にしたことはないのだが。


 「私は、なにをしていたんだっけ?」


 頬に手を当て人の姿をしながら竜の鱗に体を覆われた少女は自分の記憶を辿る。

 何か大事な事だった気がする。忘れてはいけない物だった気がする。怖い思いをした気がする。親しい人に名前を呼ばれた気がする。誰かに抱きしめられていた気がする。大切な人と出会えた気がする。とても悲しい思いをした気がする。

 あるいは、誰かと戦っていた気がする。何かを奪った気がする。逆に何かを奪われた気がする。とてつもない後悔をした気がする。

 全ての記憶が曖昧で、繋がりも脈絡もなく脳裏をよぎっては消えていく。

 なぜこんな所にいるのか、そもそも自分が何者かすら曖昧な少女は上から差す暖かな光に気づいて顔を上に向けた。


 「それにしても眩しいな。太陽じゃないみたいだけど」

 

 まるで何かを催促するように光を放つ存在を仰ぎ見ていると誰かが自分の手を握った。驚いた少女が視線を前へ戻すとそこに居たのは10歳前後の女の子だった。緑色の髪に琥珀色の瞳をもつ女の子が笑って自分を見上げていた。

 

 「……イルマ・レイヤードさん?」


 その名前を口にした瞬間少女の中でいくつかの記憶が繋がっていく。

 イルマの記憶を元にしたあの広場での出来事がフラッシュバックする。


 「そう。私は捕まって。でも誰かが戦ってくれて……。名前は、ルカとヴァイシュさん!」

 

 我儘強引、でもどこか憎めない赤毛のルカ。少ししか言葉を交せていないが頼もしかった白いロボットのヴァイシュ。

 フラッシュバックの映像はイルマの記憶から次第に自分自身の記憶に移り変わっていく。

 学校の気の置けない友達、少し口うるさいが自分の事を愛してくれている両親、いつもにこやかに笑っている祖母。そして、がさつでいい加減だけど優しい。人助けと子どもが大好きで、最期は暴走車から教え子を守って死んでしまった大切な祖父。


 忘れる訳にはいかない。帰らなくてはならない。

 自分も祖父のような教師になる。その夢を諦める訳にはいかない。

 

 「でも、どうすれば……」


 そう呟くと幼いイルマがクイクイと手を引き、天に輝く光を指さした。


 「あそこに行けばいいの?」


 その問いにイルマは笑って頷き握っていた手をそっと放した。


 「1人で行かなきゃ駄目なんだね。助けてくれてありがとう!」


 上へ行くと意識した時から少しずつ少女の体が上昇していく。それを見送るイルマに手を振って応え速度を上げていく。

 

 「あともう少し!」


 眩しくも優しい光、その源へもう少しで手が届く距離まで上がってきた。だがその時。

 

 (気を付けなさい)


 聞いたことない、それなのになぜか懐かしく感じる声が聞こえた。

 そして不意に何かが少女の足首を掴んだ。

 

 「わ、私が2人!?」


 下を見た少女が見た物は自分と同じ顔と姿をした存在だった。しかし、その姿は所々黒ずみ両目は紅く輝き、表情は憎しみに歪んでいる。


 『ヨコセ、ヨコセ……!』

 「あなたは竜の女王?ううん、違う。あなたは女王の記憶から生まれた喰らうモノね!」

 

 それはまさしく女王の恐怖の象徴。皮肉にもその記憶がかつて女王から全てを奪ったように少女から全てを奪おうとしている。

 掴んだ手は冷たく、体温を奪うかのように少女から上昇する力を奪い取っていく。必死に少女は抗うが、足首を掴む力は衰えず段々と下へと引きずりおろされていく。


 「離して、離してよ!私は帰らないといけないんだから!」

 「ワタサナイ……!モウ二度ト……!」

 (グオオオオオオオオオオ!)


 その時だった。遠くで何かの咆哮が聞こえた。少女でも女王でもない別の声が遠雷のように響く。

 けれど少女には、その咆哮の主はさっき注意を促してくれた声と同じだとなぜか分かった。

 ふいに足が軽くなる。女王の執念の塊は信じられない物を見たような顔をして、ゆっくりと形を崩しながら沈んでいく。


 もう邪魔する者はいない。

 少女の手が遂に光に触れた。

 ふと下を見ると幼いイルマがいた。けれどその表情は先ほどとは違い無邪気さはなく、まるで我が子を見守る母のようであった。


 「あなたは……」


 本当にイルマのだったのだろうか?

 そう思った時、1つの記憶が蘇ってきた。


 それはまだ幼い頃。

 祖父に自分の名前の由来を聞いた大切な記憶。




 「じゃあ、おじいちゃんが、りゅうをみたから、たつみってなまえにしたの?」

 「ワハハハ!違う、違う。その龍はな、飛んでいっちまったんだ。そしてお前が生まれたと聞いて、すぐにわかった。きっとあの龍は生まれたばかりの赤ん坊の行ったんだと。だから、俺はこう名付けたんだ。龍が見守る子、龍見ってな」




 「龍見。私は、幸原龍見だ!」


 名前を取り戻した少女のバラバラだった記憶は1つに繋がっていく。

 大事な思い出。記憶。そして名前。


 穏やかな光が龍見の中に吸い込まれ体を包み込んでいく。


 光を纏った龍見が翼を広げ飛翔する。

 何を為すべきかは分かっている。

 完全に自分という存在を取り戻すには竜の女王ラーと戦わなければならない。

 その為に龍見はラーの元へと急ぐ。


 

 龍見の飛翔を見届けたイルマ、いや、イルマの姿を借りた者が空に吼える。

 その声はイルマや龍見を救ったものと同じだった。

 そして役目を終えた幻影は消え去り、見守りし者は時が来るのを待つのであった。

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